第3話 幼馴染の涙
エマのもとに一通の手紙が届いたのは、レオンの葬儀から十日ほど経った頃だった。
差出人は、王都の外れに店を構える鍛冶師。
名前に覚えはなかった。
手紙を開くと、そこには短い文章が記されていた。
『お預かりしていた剣の修復が完了しております。魔王討伐から数週間後にご連絡するよう、ご依頼主様より申し付かっておりました。お手数ですが、一度お越しください』
エマは首を傾げた。
「……剣?」
自分が剣を預けた覚えはない。
そもそも、修復を依頼するような剣など持っていなかった。
いや。
一振りだけ、あった。
父の形見だった剣。
幼い頃から大切にしてきた、あの剣。
けれど、あれはもう手元にない。
半年前、レオンが勝手に売り払ってしまったのだから。
『あんな古臭い剣、持ってても仕方ねえだろ』
『どうせお前の親父も、大した剣士じゃなかったんだろ?』
あの言葉を思い出した瞬間、胸の奥が痛んだ。
エマは手紙を握りしめた。
「……まさか、ね」
それでも、確かめずにはいられなかった。
◇
鍛冶屋は、王都の外れにある小さな店だった。
店先には大小さまざまな剣が並び、奥からは鉄を打つ音が響いている。
「すみません」
エマが声をかけると、奥から大柄な男が現れた。
「いらっしゃい。何かお探しかい?」
「あの……手紙をいただいた者なんですが」
エマが封筒を差し出すと、男はすぐに頷いた。
「ああ、あんたがエマさんか」
「はい」
「ちょっと待ってな」
男は奥へ引っ込み、しばらくして細長い木箱を抱えて戻ってきた。
「これだよ」
机の上に置かれた箱。
エマは息を呑んだ。
箱の蓋が開かれる。
そこには、一振りの剣が収められていた。
「……あ」
声が漏れた。
見間違えるはずがなかった。
使い込まれた革の柄。
鍔に刻まれた、小さな花の模様。
父が生前、何度も手入れしていた剣だった。
「……お父さんの、剣……」
エマは震える手を伸ばした。
指先が、柄に触れる。
懐かしい感触だった。
けれど、以前とは違う。
欠けていた刃は綺麗に整えられ、錆びついていた部分も丁寧に磨かれている。
新品のように輝いているのに、長年使い込まれた剣の面影は失われていなかった。
「……どうして、ここに……?」
鍛冶師は不思議そうに首を傾げた。
「聞いてないのかい?」
「……何を、ですか?」
「半年前、金髪の若い剣士が持ってきたんだよ」
エマの心臓が跳ねた。
「……金髪の?」
「ああ。随分と口の悪い兄ちゃんだった」
鍛冶師は苦笑した。
「『金なら払うから、ちゃんと直せ』ってな」
エマは何も言えなかった。
「最初は断ろうと思ったんだ。古い剣だし、傷みも酷かったからな」
鍛冶師は剣を見下ろした。
「でも、どうしても直してほしいって言うもんだから」
「……その人は、何て……?」
「名前か? いや、聞いてないな。何度尋ねても名乗らなかったんだ」
「……そう、ですか」
鍛冶師は剣を指差した。
「この剣、かなり大事なものだったんだろう?」
「……はい」
「だろうな。あの兄ちゃん、妙に細かかったから」
「……細かい?」
「鍔の模様は絶対に削るなとか、柄の革はできるだけ元のものを残せとか」
鍛冶師は笑った。
「刃を直すより、そっちの注文の方が大変だったよ」
エマは剣を見つめた。
鍔の花模様。
父が母に贈った花を模したものだと、幼い頃に聞かされた。
柄の革。
父の手に馴染むよう、何年もかけて柔らかくなったものだった。
レオンは、それを知っていた。
エマが何度も話していたから。
幼い頃、父の剣を抱えて眠っていたことも。
父が亡くなった日、泣きながら剣を磨いたことも。
全部、知っていた。
「……それからな」
鍛冶師が続けた。
「一度、途中経過を見に来たことがあったんだ」
「……途中経過?」
「ああ。まだ刃の修復が終わってなかった頃だ」
鍛冶師は苦笑した。
「そのとき、俺が『ここまで直すなら、新しい剣を買った方が安いぞ』って言ったんだよ」
「……それで?」
「あの兄ちゃん、随分と怒ってな」
エマは顔を上げた。
「……怒った?」
「ああ。『代わりがあるなら、わざわざ直しに来ねえよ』って」
その言葉を聞いた瞬間。
エマの視界が滲んだ。
「……っ」
喉の奥が熱くなる。
あの日。
レオンは言った。
『あんな古臭い剣、持ってても仕方ねえだろ』
けれど、本当は。
代わりがないことを、誰よりも知っていた。
◇
「……これ、何ですか?」
エマは木箱の隅に、小さな布袋が入っていることに気づいた。
「ああ。それも一緒に預かったものだ」
鍛冶師が答える。
「剣を持ってきたとき、あの兄ちゃんが腰につけてたんだが、修理の途中で一度置いていったんだよ」
「……置いていった?」
「剣の完成が近づいたら、取りに来るって言ってたからな。次に来たとき返そうと思って、そのまま保管してたんだ」
エマは布袋を手に取った。
小さな袋だった。
色褪せた青い布。
端には、不格好な白い刺繍が施されている。
エマの指が止まった。
「……これ」
見覚えがあった。
いや。
見覚えがあるどころではない。
自分が作ったものだった。
◇
十年前。
まだ、レオンが勇者になる前のこと。
エマは村の外れで、一生懸命に針を動かしていた。
布を縫うのは苦手だった。
何度も指を刺し、そのたびに涙目になった。
それでも、どうしても完成させたかった。
翌日、レオンが初めて魔物討伐の訓練に参加することになっていたからだ。
『……はい、これ』
エマが差し出すと、少年だったレオンは不思議そうに首を傾げた。
『何だ、これ?』
『お守り!』
『……お守り?』
『そう! 怪我しないようにって!』
レオンは袋を受け取り、じっと見つめた。
『……お前、縫うの下手だな』
『う、うるさい!』
エマは顔を真っ赤にした。
『いらないなら返して!』
『誰がいらないって言ったよ』
レオンは笑った。
そして、袋を腰に結びつけた。
『ありがとな、エマ』
その笑顔を、今でも覚えている。
◇
「……ずっと、持ってたんだ」
エマは小さく呟いた。
色褪せた布袋。
何度も洗われ、何度も縫い直された跡があった。
自分が渡したときより、ずっと古びている。
それでも。
捨てられていなかった。
レオンは、ずっと持っていたのだ。
「……あの馬鹿」
声が震えた。
涙が、布袋の上に落ちた。
「……何なのよ、本当に……」
鍛冶師は何も言わなかった。
ただ、静かに店の奥へ戻っていった。
エマは剣を抱きしめた。
父の形見。
そして、幼い頃の思い出。
どちらも、レオンが守っていた。
なのに。
『大嫌い』
あの日、自分はそう言った。
『もう二度と、顔も見たくない』
レオンは笑っていた。
『そりゃ結構』
あのときの笑顔を思い出す。
腹立たしいほど、いつも通りだった。
「……嘘つき」
エマは泣いた。
声を押し殺すこともできずに。
「……何で、言ってくれなかったのよ……」
返事はなかった。
もう、二度と返ってこない。
◇
数日後。
王都の小さな酒場に、三人の男女が集まっていた。
カイル。
ミリア。
そして、エマ。
レオンの葬儀以来、三人が顔を合わせるのは初めてだった。
テーブルの上には、三つの杯が置かれていた。
以前は、四つだった。
誰も、そのことには触れなかった。
「……まず、俺から話す」
カイルが口を開いた。
彼は村で見た帳簿と、寄付の記録について説明した。
金貨百枚を取り立てたあと、三百枚を寄付していたこと。
それを仲間に知られないよう、口止めしていたこと。
話を聞き終えたミリアは、静かに頷いた。
「……私も、似たようなことがありました」
彼女は少年トーマの話をした。
あの日、レオンが朝まで戻らなかったこと。
その夜、金髪の剣士が治療師を連れてきて、少年の命を救っていたこと。
そして、その事実を自分には知らせるなと言っていたこと。
カイルは額を押さえた。
「……あいつ、何やってんだよ」
「分かりません……」
ミリアは俯いた。
「でも、あの人だったと思います」
最後に、エマが剣を取り出した。
「……私も、見つけたの」
鞘から抜かれた剣を見て、カイルが目を見開いた。
「それ……親父さんの剣じゃないか?」
「うん」
「売られたんじゃなかったのか?」
「……違った」
エマは首を振った。
「レオンが、修理に出してたの」
ミリアが口元を押さえた。
エマは続けた。
「私に内緒で。元の形をできるだけ残してほしいって、何度も頼んでたんだって」
彼女は小さな布袋を取り出した。
「……これも、持ってた」
カイルはそれを見つめた。
「……お守りか?」
「うん。昔、私があげたの」
エマは笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「……私、あいつに大嫌いって言ったの」
声が震える。
「お父さんのことまで馬鹿にするなんて、最低だって……」
ミリアがそっとエマの手に触れた。
「エマさん……」
「……でも、違った」
エマは俯いた。
「違ったのに……もう、謝れない……」
誰も何も言えなかった。
◇
長い沈黙のあと、カイルが口を開いた。
「……おかしい」
ミリアとエマが顔を上げる。
「三人とも、同じだ」
「……同じ?」
「ああ」
カイルは指を折った。
「俺には、村から金を奪ったと思わせた」
「私には、怪我人を見捨てたと思わせました」
「……私には、お父さんの剣を売ったって」
エマが呟く。
カイルは頷いた。
「なのに、裏では全部、逆のことをしてた」
ミリアが小さく息を呑んだ。
「……まるで」
「……まるで、俺たちに嫌われたかったみたいだ」
その言葉に、三人は黙り込んだ。
そんなはずはない。
レオンは、自分たちの仲間だった。
親友だった。
憧れの人だった。
幼馴染だった。
嫌われたい理由など、あるはずがなかった。
「……でも」
エマが口を開いた。
「レオン、昔はあんな人じゃなかったよ」
「ああ」
カイルは即座に頷いた。
「俺も知ってる」
「私もです」
ミリアが続ける。
「誰よりも優しくて、困っている人を放っておけない人でした」
「……いつからだ?」
カイルが尋ねた。
「いつから、あいつは変わった?」
三人は記憶を辿った。
半年前。
レオンが突然、金に汚くなった頃。
村人を見下し、怪我人を見捨てるようになった頃。
その少し前。
「……あ」
エマが顔を上げた。
「どうした?」
「……神殿」
カイルの眉が動いた。
「神殿?」
「覚えてない? 半年前、王都の大神殿に行ったでしょ」
ミリアも顔を上げた。
「……あのとき、レオンさんだけが奥に呼ばれましたよね」
「ああ……」
カイルは記憶を辿った。
聖剣を授かった勇者が、神託を受けるために訪れる場所。
王都の大神殿。
レオンは一人で奥の祭壇へ向かった。
自分たちは、外で待っていた。
しばらくして戻ってきたレオンは、いつも通り笑っていた。
けれど。
「……あいつ、あのとき何か言ってなかったか?」
カイルが尋ねた。
エマは首を振った。
「何も。いつも通りだったと思う」
「……私も、そう記憶しています」
ミリアが答える。
ただ、一つだけ。
エマには、気になることがあった。
「……でも」
「何だ?」
「その日の夜、レオンが一人で外にいたの」
カイルとミリアが顔を向ける。
「宿の裏庭で、ずっと空を見てた」
「……何か話したのか?」
「ううん。声をかけたら、すぐに笑って……」
エマは目を伏せた。
『何でもねえよ』
あのときの声が、耳に蘇る。
いつもと同じ、明るい声だった。
けれど、今思えば。
あの笑顔は、少しだけ無理をしていたような気がした。
「……あの日から、だったのかもしれない」
エマが呟いた。
カイルは立ち上がった。
「……確かめよう」
「……何を、ですか?」
「神殿で、あいつが何を聞いたのか」
ミリアは不安そうに言った。
「でも、神託の内容は、勇者本人にしか伝えられないはずです」
「ああ。だからこそ、調べる」
カイルは二人を見た。
「王宮には、歴代勇者の記録が残っている。神託について書かれたものがあるかもしれない」
「……王宮の記録って、簡単に見られるの?」
エマが尋ねた。
「普通は無理だ」
カイルは頷いた。
「だが、俺たちは魔王討伐に参加した勇者の仲間だ。陛下に直接頼んでみる価値はある」
ミリアはしばらく考えたあと、頷いた。
「……私も、行きます」
エマも立ち上がった。
「私も」
三人は顔を見合わせた。
半年前。
自分たちは、レオンのもとを去った。
彼を信じることができなくなったから。
けれど、今。
自分たちは、彼の真実を探そうとしている。
あまりにも遅すぎる、旅の続きを。
◇
酒場を出る前、エマはふと足を止めた。
テーブルの上。
三つの空になった杯が置かれていた。
エマは店員を呼び止めた。
「……すみません」
「はい?」
「もう一杯、お願いできますか?」
カイルが振り返った。
「エマ?」
「……あいつの分」
エマは小さく笑った。
「いつも、四人だったから」
店員が新しい杯を運んできた。
エマはそれを、誰も座っていない席の前に置いた。
「……レオン」
小さく名前を呼ぶ。
「私たち、まだ何も知らないんだね」
答えはない。
けれど、エマは続けた。
「……ちゃんと、調べるから」
カイルも、ミリアも、何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
四つ目の杯には、誰も口をつけなかった。
それでも。
その夜、三人は久しぶりに、四人で同じテーブルを囲んでいるような気がした。




