第7話 新しい力(by 白原 守)
——温かい。
——少し現実を知ったからって、調子付いたガキの声が、まだ頭にこべり付いていやがる。
最高で最悪の目覚めだった。
「——ありがとう。母さん」
俺は目を開けて、こちらを覗き込んでいた顔に、お礼を言う。
——あれ?今、少し開いた眼の奥で何か光った様な……。
「ふふふっ。遠慮しないで、この膝は、お父さんと貴方だけの物なんだから」
再び目を細め、優しく頭を撫でてくれる母さん。
恥ずかしいが、嬉しい。それが俺達の素直な感想だった。
「……そっか。それならもう少し此処に居させて貰うよ」
「えぇ。好きなだけどうぞ」
——少しだけ素直に。
「ねぇ。お——僕、やっぱり無理のない範囲でなら、人を助けたいかも」
——全部は拾えなくても、出来る分だけ。
少しだけアイツに譲歩して。
「そうか。守がそう言うなら仕方ないな」
そう言って、母さん同様、泣き腫らした様な顔で笑う父さん。
「あれ?父さん、その髪と目……」
白髪なんてなかった筈の父さんの髪が、綺麗な白髪——いや銀髪に変わっていた。
「ん?あぁ、これか?なんか良く分からんが、気付いたらこうなってたな」
そう言って髪先を触る父さんの瞳は、やはり銀色に染まっており。
良く見れば、元々ガタイの良かった。それでも、中年の市役所職員の域を出なかった体つきも、一回り大きく、より筋肉質で、骨太で、力強い物になっている気がして。
その顔つきも、武骨さの中に、何処か、安心して身を任せられる様な力強さを感じられて――。
いや、どちらも元々その様な傾向があって、気のせいだと言われれば、髪色と瞳以外は否定できてしまう様な些細な変化ではあるのだけれど。
――言うなれば、神性——?いや、覚悟――?
言葉に言い表せない様な力強い意思を帯びた魔力が父さんの身体から滲みだしており、それが確かな存在感として、印象を変えている可能性も有った。
「……それって大丈夫なの?」
「ムッ。この程度の事で守にどうこう言われるのは心外だな」
何の事を言っているのかは、すぐにピンときた。
顔を顰める父さんに墓穴を掘ったなと首を竦め、視線を逸らす俺。
「って、あれ?そう言えば、何で僕の身体……」
首だけ上げて見える全身を確認して見ても、ちゃんと人の形をしているし、穴も開いて居ない。
「それは南さんの御陰だな」
「母さんの?」
改めて首を動かし、母さんの顔を見上げる。
「ふふふっ」
しかし、母さんは俺の頭を撫でながら笑って誤魔化すばかり。
仕方なく父さんに視線を戻すと。
「南さんは――」
突然、こちらを見詰め、とろんとした瞳になり、動きを止めてしまう父さん。
――その視線の先には、父さんの方へ視線を向ける母さんが居て。
その少し開いた瞼の隙間からは金色の瞳が覗いていた。
——それに。
やっと母さんが俺から顔を遠ざけ、背けた事で見える様になった、側頭部。
そこには、犬の耳がある様な位置に、黒い、コウモリの羽にも似た、小さな何かが、サラサラした、以前よりも艶やかな黒髪の中から顔を覗かせていて。
良く見れば、元々年齢の割には若々しかった肌も、よりハリが出て、瑞々しくなっている様な……。
——バタリ。
音に振り向くと、床へ、力無く、脱力する様に崩れ落ちた父さんが居た。
しかし、それは危害を加えられたと言うには、あまりに幸せそうな寝顔で。
「——母さんのソレは?」
父さんの異変を察知しながらも、確認しない訳にも行かず、恐る恐る口を開く俺。
すると、その瞳を今度は俺に向けて来て。
「——?」
これは――。母さんの魔力?
金色の瞳を通して発せられた母さんの魔力が、俺の瞳を通して、確かに体内へ侵入してくるのが感じられた。
でも、然程量が多い訳では無く、この程度ならレジスト――。
――しなくても良いかな?
なんか心地良いし。それに、何より、母さんの魔力だし。何も危険な事なんてある筈無いじゃないか。
それよりも今は、この魔力に浸って――。
「守?母さんを叩いてみて?」
母さんを叩く――?
それぐらい――。
——それぐらい?
「ッ――!」
無意識に持ち上げていた手を止める俺。
この感覚を俺は嫌と言う程、知っている。
魔力に体が、意思が、魂が侵食され、思考を奪い取ろうとして来る際のソレだ。
強いて違いを上げるのであれば、あの時の外部魔力達の時とは違い、力づくで思考を捻じ曲げてくると言うよりも、最小限の、温かく、抗いがたい幸福感で満ちた魔力で思考を満たし、鈍らせ、優しい言葉と魅力で誘導される。
そんな感覚だった。
「——どう?これが私の力」
いつも通りの優しい笑みを浮かべる母さん。
しかし、それは体内に残った彼女の魔力のせいか、何処か蠱惑的に見えて。
「こら。急に起き上がろうとしちゃダメ」
その言葉だけで、実行に移す前に、体を持ち上げようとした俺の意志は、柔らかく折れ曲がる。
「——心が読めるの?」
母さんの膝から頭を上げる気を失った俺は、
「そうね――。守のラインを参考にして、魔力探知の時に出している自分の魔力を、自分と繋いだまま展開させてみたの。
そしたら、その魔力に触れた魔力の動きや感情まで詳細に伝わって来て――」
分かるからこそ、適切に、適度に誘惑出来て、誘導できるのだろう。
「——それ、危なくない?」
感じると言う事は、逆に浸食される恐れもある筈だ。
それに相手に寄り添った誘惑を行うと言う事は相手を理解しなきゃいけない。理解したら、歩み寄ったら、その分、同情などの隙が出来て、付け込まれやすくなる。
ガキの俺はソレをして魔力を引き寄せ、俺はソレを拒絶して一瞬の自由を勝ち取った。
つまり、相手を"感じる"と言う行為は。立場を、考えを、行動原理を理解しようとする試みは、それだけ危険な行為なのだ。
「まぁ、相当な事が無い限りは、浸食される前にラインを切り離せば良いだけだし――。自分を滅多刺しにしてまで、勝手に私達を守ろうとした守には言われたくないわね?」
ふふふっ。と笑う母さん。
こちらも父さんと一緒で、目が笑っていなかった。
当然、それを言われれば俺も弱いわけで。
それに、ここでどんな言葉を尽くした所で。上っ面の約束を捥ぎ取った所で、その時が来れば、きっと全ては反故にされるだろう。
俺には分かる。俺だって、そうするから。
約束なんてモノよりも、大切なモノが目の前にあったら、破るのは目に見えているから。
「分かってくれて嬉しいわ」
目を細め、笑う母さん。
その視線と共にラインが切れたのか、俺の中に残る母さんの魔力が、俺の魔力の一部として、溶けて、吸収されて行くのが分かった。
「——この力でね。意識の無い守の魔力とスキルを操って、傷口を塞がせたの」
「なるほど」
「それで、守は気絶していたから、魔力の生産量が落ちていたし、足りない分の魔力は、今見たく、私の分を分け与えて。
守の中に残った悪い魔力達も私が誘惑して、誘導して、宿主が死んでしまっては困るでしょう?と説得して、体の修復を手伝わせたわ」
「……なるほど」
もう既に、俺が懸念していた事は行われていた訳だ。
「——それで、色んな魔力と触れ合ってたら」
「気付いたらそうなっていた、と」
今度は俺が渋い顔をする番だった。
当然、俺が責められた口では無いのは分かって居る。
しかし、それはどう考えても、魔力の浸食による肉体変化その物だった。
「——父さんのアレは?」
首を横に倒し、未だに幸せそうに、だらしない顔で眠る父さんの銀髪を見る。
「アレはストレス性のモノね」
内心、ガクリとする俺。
「勇さん。魔力に苦しむ私達を見てる事しか出来なかったから――」
「なるほど……」
父さんの性格から考えるに、それはかなりの心労だったに違いない。
「それで、自分の中で発生させた、自分を責める魔力で自家中毒になってしまったみたいで……」
「…………」
その苦しみは良く分かる。——なんて事は、感じ方も人其々なので、一緒くたには語れないが。
それでも、苦しいモノであったには違いない。
少なくとも、自身の容姿を変化させてしまう程には。
「なのにあの人、自分の事はぼやかして置いて、私の事はちゃんと話そうとしていたから、ついカッとなって」
ふふふっ。と口元に手を当て笑う母さん。
金色の魔力が閉じた目元から溢れている。激おこだった。
「——ただ、まぁ、安心して。今、勇さんの中の魔力は安定してるから――。覚悟を決め直したせいか、高い状態で完璧にね」
——だらしない顔で寝こける姿を見ていると、とてもそうは思えないが。
それでも尚、俺にすら感じ取る事の出来る。消えない、威厳をも感じさせる魔力は本物なのだろう。
と言うより、そんな状態の父さんを、あんなにもしてしまう母さんがおかしい。
いや、多分に母さんの魔力に父さんが弱い。という理由も含まれているのだろうけれど。
まぁ、惚れた弱みはお互い様なので、お互いに特効同士になっているのかもしれないが。
「——そうそう。ごめんなさい。守の欠けた部分、全部は集められなくて、傷は何とか治しきれたんだけど、その、身長が……」
「…………」
そう言われ、首を上げて、自身の身体を見て見るが、あまり違いは分からない。
と言うか、どちらかと言えば、生まれ直したように、白くて艶艶で、柔らかそうな肌の方が気になった。
尤も、立ってみれば、また違いも分かるのかもしれないが。
まぁ、あれだけ体中ボロボロだったどころか、骨まで変形して、人の形だったかも怪しかったんだ。
皮膚程度一新されていても何も驚かないし、身長が減っただけで生きていられるなら御の字だろう。
「……そっか。じゃぁ、お互い様だね」
少なくとも俺の変化は俺のせいだ。
寧ろ、二人の御陰で生き延びられたのだから、二人の御陰とも言えるだろう。
でも、二人はそう思っていない様だし。
どちらかと言えば、俺に付けてしまった消えない傷の様に思って居そうで。
それを言うならば二人の変化は俺のせいだ。
俺が二人に残した、消えない傷だ。
だったら、お互い様の話にしてしまえば良い。
だから、この話はこれでおしまい。
「あと、私の魔力の影響か、瞳も金色になってしまって……。その……、髪も、体を直している時に、溢れ出してくる勇さんの魔力が混ざってしまったからか、銀色に……」
そう言って手鏡を渡してくる母さん。
「えぇ……。後だしは無しだよー」
正直どうでも良いので、軽く笑顔で、冗談めいた声で流しつつ、鏡を受け取って。
「——まぁ、前より二人の息子って気がして、これはこれで――。ううん。こっちの方が良いかも」
「あら。嬉しい事、言ってくれるじゃない」
「親孝行は息子の義務ですから」
芝居がかったやり取りに笑い合う二人の横で、父さんは気持ち良さそうに口元を緩ませていた。




