第4話(by 白原 南)
息子が無理をしているのは分かって居た。
私は小さな漁村で育った、世間知らずな元々察しの悪い天然を演じてはいるけれど、本当は正反対の人間だ。
そも、あんな閉鎖的な空間で育って、顔色を窺うなと言うのが無理な話だった。
勿論悪い人達では無かったのだろうけれど、プライドがあって排他的で。
仕来りや習慣。付き合いや、山や海に納める儀式に関わるアレコレなど、子ども目から見ても、色々と雁字搦めになっていて、自由奔放に育つには少し難しい土地柄だった。
勿論、村を出た後も天然の仮面は都合が良く、大学や職場でも男性の誘いや女同士の面倒事を避けるのにも使えていたし、そのままずっとこの仮面をかぶり続けて来た。
そんな私に、私が折れるまでアタックを続けて来たのが今の夫、勇さんだった。
最初は、他の有象無象と同じく、こんな仮面を付けた私を好きになってと、内心、面倒臭がりつつも、どこか嘲笑っていたのだが。
彼の猛攻撃を受ける内に。彼が私の仮面を。仮面の端から覗く私も。全てを含めて私だと。そんな私が好きだと言われ続けて、だんだん自分が分からなくなって来て。
——確かにこの仮面は便利だが。
天然で温かくて朗らかで。そんな私の姿はどこか理想であったし。演じていて楽しいく。全てが全て嘘では無かった。——はずだ。
夫にそう言われ続けて、本当に良く分からなくなってしまったのだ。
仮面も含め、私の全てを肯定してくれて、全力で好いてくれていて。それは結婚をした今でも変わらなくて。
だからそれからも、夫が全力で好いてくれる私を。私が好きな私を演じ続け。
夫の全力な肯定のおかげで、それを演じているのかどうかすら分からなくなる位になって。
仮面が外せなくなったんじゃなくて、本当は成りたかった理想の自分と。演じ続けていた仮面と一つになったんだと考えられる様になった。
少なくともそう思わせてくれて。私の、私自身の嫌いな所を嫌味なく、全て肯定して、私は嫌な奴なんかじゃないと思わせてくれる夫が好きで。
冷静沈着な様で、内に熱い思いを秘めている夫が好きで。
私に甘い様で、甘いからこその厳しさが顔を見せる時もあって。
独占欲でこんな私に頼み込んで、専業主婦にしちゃう所も。それでいて、私に仕事を辞めさせた事を、いつまでも負い目に感じている所も可愛いくて。
まぁ、それは、これだけ長く一緒に暮らしていれば、ムカッとして、喧嘩の一つや二つ、した事は有るが。
そんな事も気にならないぐらい――そんな思い出も含めて、私は夫を愛している。
——勿論、そんな事を言えば夫は調子に乗り、私が恥ずかしい思いをするのは目に見えているので、口にも態度にも出さないが。
それでも誰よりも。自身を育ててくれた両親親族よりも信頼している、私のパートナー。
それが勇さんだ。
そんな相手との子どもだ。可愛くない訳が無い。
素直で。素直過ぎて。勇さんから引き継いだのか、その揺るがない正義感でちょっと回りと衝突する事はあったが。他人の傷に共感できる優しい良い子で。
もうちょっと器用に立ち回れば傷付かなくて済むのに。と思った事は一度や二度では無いが、その真っ直ぐで折れずに立ち向かって行く姿勢が、また可愛くて。
その表情が年を経るにつれ陰って行くのは、成長痛だとは分かって居ても、苦しかった。
でも、私達はそれを笑顔で優しく見守って。
見守って、見守って。家で表情を取り繕うのも上手くなって来て――。とうとう息子は壊れてしまった。
私達は息子の限界に気付け無かった。
彼なら乗り越えてくれるだろうと、放任してしまった。
昼間だったと言うのに、仕事場から顔色を悪くして帰って来て。
震えて声も出せない様で。そんな姿で涙だけをボロボロと流していて。
すぐに病院へ連れて行って、診断書を貰い休職させた。
その後も、話し合おうにも声が出せず。
後日、震える手で書かれた文字で、退職したい旨の手紙を本人から受け取って。
すでに診断書と休職届を受け取っていた会社は電話一本で辞めさせてくれた。
息子は職場での事を、喋れるようになった後も語らないし、私達も下手に触れて彼を傷つけたくないので、聞いていない。
どちらが悪いとか、そう言う話でも無いのかもしれない。
でも、虐めにも一人で立ち向かって、次は自身がその対象にされて。
いつもボロボロで帰って来ても、「ごめん。また汚しちゃった」と笑う息子の顔を思い浮かべて。
あの時は気付けていたのに、自力を付ける為にと、声を掛けなかった。
高校では楽しそうとまでは行かなくとも、上手くやれている様でホッとした。
――でも本当は、無理を隠すばかりが上手くなっていた様で。
優しい息子をこんなにボロボロにした社会が憎くて。
それに気付け無かった事が悔しくて悔しくて。
深夜、寝室で悔し泣く私を、勇さんは歯を食いしばりながら、優しく撫でてくれた。
だから、あの日から私は息子を見続けている。
大きな変化が無いか、毎日チェックして。
人の機微を察してしまい、鬱陶しくさえ思っていた観察眼を、これ程有難く思った日は無かった。
息子には申し訳無いが、部屋に鍵は外させてもらったし、自殺を図っても手遅れにならない様に、スマホには黙ってGPS機能を付けているし、部屋にも無断で盗聴器を仕掛けさせて貰っている。
ここまでしても安心できないのだから、持ち前の観察眼も相まって、相手の中の魔力の、魂の、感情の流れも見通せて、距離や障害物もある程度無視して知覚出来る、魔力感知のスキルが私に生じたのは、ある意味必然だと思った。
そんな私のステータスは――
蓄積魔力値:150
許容魔力値:120
生産魔力値:10
肉体維持消費魔力値:10
外部魔力出力値:30
魔力吸収能力値:60
魔力抵抗能力値:2
スキル:魔力感知(自身の魔力をソナーの様に撃ち出して、周囲の状況を探る。感度や距離、遮蔽物の透過率等は外部魔力出力によって消費した魔力量に依存する)
――この様になっていた。
肉体維持に使われている魔力は直接的な身体強化と言うより、女性なら定期的に必要になってくる身体治癒や、細胞の劣化防止に使われている感覚だ。
そしてなにより、自身が観察眼だと思っていた物の正体。
その根源が、第六感だったのかもしれないと納得できる程に高い魔力吸収能力。
その魔力吸収能力で、他人の放出した。或いは纏った魔力を無意識に読み取って、感じてしまっていたのだろう。
そして、その受け取った魔力を放出して身を守る為に上がった外部魔力出力能力。
この能力で相手からの敵対的な魔力を、自身の放出した魔力で打ち消したり――そもそも敵対的な姿勢を取られない様に魅了……魔性にも近い魔力も発していたらしい。
反面、自らの魔力で敵対的な外部魔力を祓っていたせいか、吸収能力に対して、魔力抵抗値が恐ろしく低い。
覚醒してこれなのだから、以前はもっと低かっただろう。
そのせいで他人の、大なり小なり魔力の籠った視線や言葉、表情や纏う空気感などを無視できなかったのだと考えると合点も行った。
きっと、これは感受性の高い守も一緒だ。
自分と相手の間に上手く壁を作れず。
他人の痛みや投げ付けられる呪詛を全てその身に取り込んでしまって。
私はそれを受け取りながらも、ナニクソっ!と思い、自身の魔力として活用して身を守った。
それが性格故だったのか。元々外部に魔力を漏らして扱う素質があったからだったのかは分からないが。
きっと守はそう成れなかった。――そうしなかった。
他人の思いを攻撃だと、他人事だと切り捨てる事なく。
放出する事も、拒絶する事も無く、全てを自分の中に受け入れて、留めてしまった。
他人の痛みや悲しみを自分のものとして受け入れ、浴びせられる呪詛や罵詈雑言を自分のせいだと受け止めてしまった。
虐めに言葉や暴力で立ち向かって、魔力が蓄積する原因を退けたり、体に溜まった魔力を発散出来ていた内は、まだマシだったのかもしれない。
高校、社会人と大人になって行く内に、自身の中にそう言った全てを押し込める様になって。
――そんなの。心が。魂が耐えられる筈がなかった。
まして、今は痛みや苦しみ。悲しみに怒り。殺意に狂気。そして、それらを含んだまま死んでしまい、誰にも吸収されなかった魂のカケラ。
そう言った物が空気中に漂い、外界から流れ込んできていると言う魔力と混ざって、刻一刻と周囲の、引いてはこの世界全体の魔力濃度を押し上げている。
そう言った、あぶれた魔力達が、自身の痛みを、苦しみを、叫びを、感情を、存在を伝えようとして、宿主を探して彷徨い。
そう言った魔力達が、上手い具合に一つの魂として、死体の中で再結晶して動き出したり。
或いは生きている人間の魂を乗っ取って、その肉体や魂を魔力によって変形させ、新たなる魔物を生み出したり。
魔物に襲われて貪られるだけじゃない。
そう言った惨状が、私の能力が届く半径1km範囲では発生していた。
――勇さん達に伝えた事は殆どが嘘だ。
希望を持たせる為の。外に飛び出させない為の、優しくない嘘。
私の全力の魔力出力では、それだけの範囲の物が見えるし、100m程度先までであれば、室内の状況だって分かる。
刻々と減ってはきているが、生存者はまだ居るし、魔力達が生者や死体、或いはオモチャなどに宿って、徘徊する魔物の数が増えてきているのも、そもそも魔力濃度がこのまま上がっていけば、私達がああなってしまうのも。全部分かってる。
時間は私達の敵だ。
でも外に出たら確実に殺される。
どうせ魔物に殺されるぐらいなら、いっそ、ここで家族一緒に緩やかな死を待つ事の何がいけないのだろうか?
もし、この真実を口にすれば勇さんは私達の為に全力で足掻くだろう。
きっと、その最期が、精神的な物であれ、肉体的な物であれ、壮絶な結末を辿る事は容易に予想が付く。
――今の。
本来の魂の色が見えなくなる程に、すがる様な、欲する様な魔力達に纏わりつかれてしまっている息子がどう判断するかは分からないが。
本来の守なら。
――ううん。
こんな状況に陥って、そんな状態になってまでも、人を守る様なスキルを発現する様なお馬鹿さんは。
今に至っても私たちを気遣って、元気に振る舞う様な優しい子には、教えない。
それを聞いて、行動するにせよ、しないにせよ。
優しい二人では、その判断に痛みが伴うのは分かっているから。
黙って、希望を持たせて、安らかな死を待とう。
多分、この調子だと先に魔物化するのは守だから。その時は申し訳ないけど、苦しんでいる間に縛り付けてしまおう。
その次は私だ。
自分で自分を縛って。大人部屋から勇さんを追い出して。内側から鍵をかけて、扉の前に物も置いて、閉じこもってしまおう。
そうなったら、きっと勇さんは最期まで足掻くだろうけど……。
もしかしたら、その後があって。
人としての魂を失ってしまっても、残った記憶の残滓が悪さをして、魔物として一緒に暮らせるかもしれないし。
もしかしたら上手く魔力と私達の魂が融合して、記憶と知性を保持した、悪魔の様な存在として生まれ変われるかもしれない。
そんな私の考えは、蓄積した魔力量と許容量を見る限り、狂気側に傾いていて。
今この瞬間も傾き続けているのだろうけれど。
「よしっ!行くぞっ!」
「あぁ!来いっ!」
まだ守が幼かった時の方な、2人の燥ぎ様を笑顔で見守れる幸せを、正気に戻って手放す気には成れなかった。




