第17話 弱者と強者と選択肢(by 清原 夏)
「こんばんわ」
二カ月以上に及ぶ籠城の末、私室と化した校長控室。
化け物達の襲撃に少しでも耐える為、窓ガラスはトタンなどが張られており。
明かりも貴重になった昨今。この暗い部屋で、何かを目視で確認する事等、困難に近いのに。
そこには部屋の闇より深い黒が。
周囲の暗闇を吸収し、濃縮し、曖昧な人型を取っている様にも見える訪問者が、当然の様に立って居た。
——少なくとも足音も、扉を開ける音はしなかったはずだ。
「どう言った御用件でしょうか?」
私——清原 夏は、隣で眠る夫——清原 大悟を起こさない様、静かに身を起こし、床に足を付ける。
そう言った動作を暗闇の中で自然に出来るのは、私達が新人類として第六感に覚醒したからだろう。
その第六感を以てしてですら、今の今まで。
声を掛けられたその瞬間まで、訪問者の存在には気付け無かったのだが。
「ええっと。まずはこんな夜遅くに、勝手に入って来てごめんなさい」
そういって、丁寧に腰を折って頭を下げる黒い影。
丸くて柔くてしおらしい。それでいて子どもにしては落ち着いている、男の子の様な声だった。
「いいえ。こちらこそ、こんな格好で申し訳ございません。こんな状況でなければおもてなしもさせて頂きたかったのですが――」
しかし、そんな情報は、この空間に置いて相手が圧倒的上位者である事実を覆せる内容では無い。
彼の手の動き一つ。胸三寸で私達の未来は決まる。
相手が下手に出ているからこその交渉?
それで相手の機嫌を損ねたら?
そもそもこれはテストかも知れない。
私達を生かし、利用する価値があるかどうかのテスト。
それなのに初めから食って掛かるなんてリスクが大きすぎる。
するにしても、まずは相手の本質を見極めてから。
相手が本心からの低姿勢なら、その本質を見極めた後でも、付け込むチャンスは生まれるだろうし。
その性質が別の場所にあるのなら、今、私の取った行動が、私達の寿命を延ばしたと言う意味でも、無為に相手の信頼や機嫌を損ねなかったと言う意味でも正解になる。
ここは出会い頭に襲われず、言葉が通じそうな時点で儲け物と考えて動いた方が賢明な場面だ。
「あっ。今の所殺す気とかは無いんで大丈夫ですよ。——今の所は」
あははっ。と軽く笑いながらも、その可能性は否定してこない彼。
やはり中身は子どもでは無いらしい。
「——で、すいません。こんな形の接触になってしまう程に急ぎの用だったのですが」
私が口を開く前に彼が本題を口にする。
「はい」
私はそれに求められた相槌を打つだけ。
「今、清原大学の商業キャンパスから搾取されていた学生とその家族達が脱走を謀った様で――」
私はその言葉に鈍い痛みが走ったが、表面上、顔に出す事はせず。
「悪い人達では無さそうでしたし、見殺しにするのもアレで――。と言うよりかは、その中に一人、目を付けている子が居たからですかね――?兎も角、秘密裏に脱走に手を貸して、市街地まで逃がしたのですが――」
——理由はどうあれ、彼は人に手を貸すと言う選択肢を持つ上位者なのかもしれない。
それは、今の今日を生きるので精一杯な私達にはとても魅力的な存在で。
「あと、貴方の娘さんがその指揮を執っている様ですね。息子さんはキャンパス内に残る決断をした様ですが」
「そう、ですか」
生きていた――。その言葉に、安易に"よかった"と言う言葉が思い浮かんでしまうのは、私達が守れず死んで行った人達にも、その過程を見せつけられ、要らぬ火の粉を被ったであろうあの子達にも、申し訳ない事かも知れないが――。
それでも、"よかった"。
私は身勝手に、内心、胸を撫で下ろして。
「それと、僕が手助けをし過ぎて順調に行き過ぎたせいか、貴方の娘さん達が少し勘違いをしてしまった様で……。脱走したそのままの足でこちらの地域に近付こうとしていたので、協力者に少し現実を教えて貰って、足止めをしました」
「そのような事が――。不肖、娘が御迷惑をお掛けし、誠に申し訳ございませんでした」
「いえいえ。彼女達が事実を誤認したのも僕のせいですし、強行軍も、調子に乗ったと言うよりは、皆の負担を考えての選択肢でしょう」
本当に。裏の無い声で話す彼。
「ご配慮ある御言葉。恐悦至極に存じます――。して、私達はその集団を受け入れる準備をすれば宜しいのですか?」
付け加えた質問は、半分願望の様な。それだけであって欲しいと言うだけの言葉。
勿論、娘を助けに行きたい感情は有るが。娘の状況所か、周囲の状況の把握すらもままならない程に、現状の生活を維持するだけで精一杯の現状だ。
彼の言葉から鑑みるに、商業キャンパスの道徳は悲惨の一言なのだろうが。
私達がそうなって居ないのは、私達統治者の力と言うよりは、この農村部に昔から住み、地元を愛し、隣人を愛し、共に育ち育って来た住人達が、仲間達が集まっているからに過ぎない。
私達は軍事の専門家では無いし、化け物どもには交渉も通じない。
一応、この様に部屋を与えられて、今までの恩返しと称して、集団の象徴として担ぎ上げられてはいるが――。
精々出来るのは、仲介者として皆の不安や不満を和らげ、衝突や不和を最小限に抑える程度。憎まれ役を買って出る程度。
——尤も、そんな必要も無い程に。
これ程困難で理不尽な状況に、文句を垂れながらも、それを隣人と共有し、笑い話に出来る彼らの精神力の前には、私達なんぞ、本当にただのお飾りでしかない訳だが。
そしてそんな私達に、新たに傷付いた人々を受け入れる余裕が有るかと言われると――。
それこそ、この命を捧げてでも"彼"と交渉する他無かった。
「いえ。商業キャンパス側で悪意に晒され続けた彼らをそのまま受け入れた場合、彼らの中の他人に対する本能的な不信感が抜けるのには時間が掛かりそうですし。
こちらは人との衝突が無いにも関わらず、置かれている環境のせいで、この状況でしょう――?その現状を、僕の力を借りて、知らず知らずの内に突破してきてしまう事も、相補の認識の歪みを生んで、また問題の種になるかと」
——彼はそこまで本気で。助けた後の人々の事までも、考えているのか。
「——分かりました。して、私達はどうすれば?」
元々、私達に拒否権などは無いのだが。
それでも、これだけの短い会話で、私は全てを彼に任せてみようと思えた。
それは統治者としての。清原家の存在意義その物を放棄する事に他ならないかもしれないが。
それでも。無力な私達よりも彼の方が、私達の守りたいモノを守ってくれる気がした。
名や地位、意地やプライドなんぞよりも、大切な者達を。
必要とあらば、この判断の責任も取ろう。
尤も、この身一つでどうこうなる物では無いだろうが。それは初めから同じ事だ。
「そうですね。まず、脱走部隊の人数は50程」
(ごじゅう?!)
彼の口から軽く吐き出された情報に、もう既に頭が痛くなる。
――このキャンパスで全体で現在生き残っている人数は、周囲から受け入れた人々も含め、200にも達していない。
学生に関しては休日と言う事で登校していなかった子達も多く。そもそもが単位制の大学だ。普段の日でも全員が全員集まる方が少ないだろう。
それでも生命に関わる以上、常に面倒を見る人物が必要ではあるし、生物に関する研究棟なども存在するせいか、商業キャンパスに比べて生徒の登校率は高かった。が。
それでも、そうか、そもそも商業キャンパスの方が絶対数が多かった。
それに、彼の話から察するに、魔物や魔力の影響もあちらの方が弱いのだろう。
そうなれば生き残る人も増えて、その結果の治安の悪化なのだろうが……。
それにしたって多すぎる。
彼の助けが無ければ何人が向こうのキャンパスから無事脱出でき、そこから道中でどれだけの人数が脱落したのだろうか。
それを自分達の力だけで成しえたと考えるなら、後継ぎ候補では無いとは言え、娘にも少し教育が必要な様だ。
或いはそう考えられてしまう程に、向こうの環境が緩いのか。
——どちらにせよ。
「申し訳ありません。その人数を受け入れた場合、私達のコミュニティーも崩壊します」
受け入れられないとは言わない。
ただ淡々と事実だけを話す。
「食料が足りないだけで、横に成れる屋根のある場所は有りますよね?」
「はい」
「集団の中には魔物の肉を無毒化して――。それどころか自らの力の一部として取り入れられる様、加工できる調理系スキルを持った者が10名以上います」
「それは――」
確かに調理系のスキル持ちはこちらにもいるが、その数は圧倒的に足りておらず。
大人数分の食材の加工には、筋力と体力は当然の事、魔力と集中力も消費し、その全てを彼らに任せないと魔力の処理が上手く行えない為、今は喉から手が出る程に欲しい人材だった。
「それと、そちらに多い生産系スキル持ちは、農畜業関連ですよね?」
「はい」
「でしたら、その人々の受け入れに成功した場合、食糧の安定確保の為に、キャンパス内の他区画を全て僕が解放しましょう」
驚愕。
「——それはつまり、キャンパス敷地内の魔物を全て排除し、再侵入に対抗できる措置を行えるまで、魔物を退け続けて頂けると言う事でしょうか?」
「そうですね。というより、結界を張っちゃおっかなって。そうすれば敵対的な魔力も、それを含む人間や魔物も近付けなくなるから――。
あ、勿論、フェンスなどは張り直してくださいよ?そちらの事情は考慮しますが、だからと言って、ずっと張り続けてくれるとは思わないで下さいね?」
「——ありがとうございます。それだけの材料があれば、必ずや全員を説得して見せます」
商業キャンパスとは違い、この農業キャンパスは、その土地の広さや、自然との融和性を鑑みて、殆どの境界線がフェンスで区切られている。
その為、穴を掘ったり、フェンス自体を突き破ったり。そもそも内側に居た家畜が魔物化したり、それが内側からフェンスを突き破って、その隙間から別の魔物が侵入してきたり。
様々な方法で、そこかしこから魔物が侵入し、今ある本棟以外の機能が完全に死んでいて。
他には研究棟区画や、温室棟区画。畜産棟区画に湧水や川の水を利用した養殖棟区画。当然農業棟区画や林業棟区画等もある。
それぞれの棟には屠殺場や蚕場に機織り場、脱穀場に木材加工所等の加工施設も付属しているし、その全ての土地と施設を開放できれば――。
「あっ。でも、魔物の討伐はみんなに任せた方が良いのかな?食料の確保にも、戦闘経験にも、目標を達成した時の達成感や連帯感、奪還した施設への愛着にも繋がるだろうし――」
そう言って考え始めたと思ったら、一瞬ちらっと顔を上げ、私を見て。
「いや、ごめんね。やっぱりそうする。勿論、討伐中、討伐後に関わらず、追加の魔物が入って来ない様にはするけど、それでも良かったら受け入れて?」
選択肢を奪って来る。
決断は私達の仕事だと言うのに。
「——分かりました。そのように伝えて置きます」
「それと、僕が先頭に立つから、戦える人達をそれなりの人数集めて欲しいかな?」
「連れて救助に向かうのですか?」
「うん。それで僕の実力の一端でも感じて貰えれば、今後色々やり易くなるだろうし、道中の戦闘や、僕と言う共通の脅威を感じて貰えれば、双方のグループとも結束も強くなるだろうしね」
……提案自体は悪くない。自身の存在をも利用した思考誘導も良い選択肢だと思う。
――ただ、それは彼の言っている事が全て本当だった場合だが。
彼に預けた人々が帰って来なくなる可能性。彼が戦力を分散し、各個撃破しようとしている可能性。これは無視できない。
それを行うのであれば、私の直感だけでは無く、実際に、私を含めた皆の前で、逆らう気も起きない様な。
私達を滅する上でそんな小細工など一切必要無いと一目で分かる様な、圧倒的な力を見せて貰う他ない。
「——でしたら、避難民用の物も合わせて一週間分。事前に周囲の、私達の脅威になる魔物を狩って、食料に変えて頂く事は可能でしょうか?」
「うん。それぐらいなら良いですよ。ただ、向こうの学生達も夜が明けて暫くしたら動き始めそうですから、寝ている皆さんには悪いですけど、起きて集まって貰う事は可能ですか?
その間に狩りは終えてしまうので、その集まった人員で、僕が転がした魔物を回収して貰って、その後に出撃と言う流れで……。当然、どちらも僕の方である程度の護衛はしますよ?」
それだけの速度で殲滅が可能と言う事か。
「ありがとうございます。それだけご配慮頂ければ十分です。直ちに皆の者を起こして――」
その後も一言二言言葉を交えて。最後に彼は「それじゃ」と言うと、第六感でも感知できない程に完全に姿を消し。
「ッ――!」
突如体の気怠さが消える様な。
意識がより鮮明になった様な。
重力から、酸欠から、騒音から。煩わしい全てから少しずつ解放されて行く様な感覚。
(これは――。これが彼の言っていた結界の能力――?)
本当に敵対的な魔力が。私達の本来の機能を阻害する様な存在が、何処かに吸い寄せられる様にして消えて行く。
(この能力があれば本当に――)
「おっ?!うぉっ?!」
ギー。ガタン――。
どうやらそれは本棟全体に張られていた様で。
夫も含めた敏感な人達が異変に気が付いたのか、静かだった廊下から、僅かにだが、様々な物音が響いて来る。
——いや、寧ろ、これだけ彼と会話を続けていたにも関わらず、今まで隣にいた夫が目覚めなかった事自体、おかしな現象なのだが。
「状況は私が把握しています。道中で話しをしますので、急いで準備を」
「あ、あぁっ!」
素早く身支度を整え、私と共に部屋を出る大悟さん。
——さて、私達に目を付けたのは天使か悪魔か。
どちらにしろ、力のない私達は、その手の平の上で全力で藻掻く他無かった。




