第10話 壊れた世界の歩き方(by 白原 守)
「…………」
魔物に襲われている様な二名の反応。
俺達は、先程の事も有りながらも、魔物相手ならと駆けつけた。
——一人は間に合わず。もう一人は、怯えと様に蹲って泣いていて。魔物の姿は、少なくとも俺達には見えていなかった。
「…………」
母さん曰く、魔物は駆けつける俺達の存在を感知した様で、少し離れた位置からこちらの様子を窺っている様だった。
——背後。魔物の居る方を警戒しつつ、優しく声を掛けながら。
同性と言う事で、優しい声を掛け、宥めながら、泣いて蹲る女性に近づいて行く母さん。
ッ――!
瞬間、結界に衝突し、痛みを堪えながら素早く距離を取る女性。
——そう。泣いていた振りをしていた女性が、蹲った状態から地面を蹴り、母さんに襲い掛かったのだ。
勢い良く、顔面から結界に衝突した彼女の顔は出血していて。その手には刃物が握られていて。
——チッ!
舌打ちをする女性。呆気に取られる俺達の背後から、俺達に目もくれず、女性を攫う様に駆け抜ける影。
何がどうなっているのか分からない。
一瞬で消えてしまった二つの存在は、機動力の無い俺達では追いつけなかったし、追いついた所でどうすれば良かったのかも分からなかった。
——少なくとも、人間も安全全では無い。それだけが俺達に残った教訓だった。
「…………」
庭で、日常の延長線上の様に、放棄と塵取りで瓦礫の掃除をしているおばあちゃんと会った。
その脇には、大きな瓦礫の撤去を手伝う、縦長に自立した、肉のスライムのような存在が居て。
数年前に死んだ夫が帰って来てくれたと言っていた。
それは、俺達から見れば、ただの肉の化け物だったけれど。こちらを攻撃する様子も無く、それどころか、頭らしき部分までこちらに下げて来たりして。
目が無かったので化物の内心は分からなかったが、母さん曰く、少なくとも纏う魔力は、化けもと言うには異常すぎる程、正常らしく。
しかし、先程母さんを襲ってきた彼女も、攻撃に転じるまでは、母さんを含め、全員の目を欺いていた。
加えて、おばあちゃんと肉の化け物は俺達の言うラインの様に、化け物と繋がっていた様で。
あれが、おばあちゃんに目覚めた能力だったのか。
本当に死んだ人間の魂が肉塊に宿っておばあちゃんを守っていたのか。
はたまた、魔力濃度の下がった世界でおばあちゃんから魔力を吸収して生き延びようとしている魔物だったのかは分からなかったが。
それを指摘しても誰も幸せにならないし、最悪、おばあちゃんと魔物、どちらも敵に回る可能性があった。
結局、おばあちゃんは思い入れのある家を離れたがらなかったし、そもそも、あの肉人形と共に人の居る場所へ避難するのも困難だろう。
そもそもどこに避難するべきかも分からないから、俺達も山を目指している訳だし、人が多ければそれだけトラブルも多くなる。
俺達は二人の想いを優先し、その場を去る事にして。
自分達を気に声を掛けてくれた事に、おばあちゃんは感謝を言い。俺達に肉スライムと頭を下げた後。
本当に楽しそうに。壊れた世界が全部嘘だったかの様に。二人の時間を取り戻す様に。
おばあちゃんは本当に楽しそうに話しながら。
肉スライムはそれに身振り手振りで一生懸命に答えながら。
歪な二人。壊れた世界。それでも、二人はとても幸せそうで。
俺達はそんな二人を尻目に、その場を後にした。
「…………」
一人、足取りも怪しくふらつく妊婦。
警戒しながらも、万が一の事を考えて、全員で近づいた。
しかしそこに居たのは、青年で。
力無く笑う青年は語る。
なんでも彼女との子を妊娠しているらしい。
青年の言う様に、確かにその腹は膨れていて。
彼はその腹を愛おしそうに撫でていて。
体の変化に慣れていないだけで、食べ物にも、休む場所にも困っていないと言う。
実際、彼の口元は赤く染まっていて。本当に食べる事には困って居なさそうだった。
俺達は彼を刺激してしまわない為にも深い事情は聞かず。
当然、母さんの瞳で探りを入れる様な事もせず、軽く言葉を交わしてその場を去った。
終始彼は、本当に普通の。——いや、今時には珍しい程の、気の良い好青年だった。
俺にもこんな友人がいれば、と思ってしまうぐらいだった。
——世界がこんな事になってしまう前であれば。
——俺達は当然、出会う人を厳選して歩いていた。
厳選してこれなのだ。他はもっと酷く、そもそも、俺達の判断基準もそこまで当てにならないと言う事が証明されてしまった。
「…………」
路上で人や化物の死体で遊んでいる子どもがいた。
目の前に姿を現し、助けるかを話し合った。
しかし、結局は化け物を殺すだけの力は持って居た様で、増えた玩具で遊び始めたのを確認した時点で、俺達は迂回した。
「…………」
抱えた何かに、一人、話しかけながら歩く女性が居た。
話の内容から察するに、子どもに話しかけている様だった。
——もっとも、その子どもは……。
俺達は声を掛ける事も出来ずに。彼女はそんな俺達など。
崩壊した世界など気にも留めていない様に、腕の中の存在に話しかけ続け、歩き去って行った。
俺達は、最初に出会った父親同様。彼女を助ける術が思い浮かばずに、その背を見送った。
「…………」
オギャァ!オギャァ!オギャァ!
そこかしこに放置された肉塊から生じたのか、赤子や生物を模した、歪なで非力な生き物がそこかしこを徘徊し。
肉塊を含め、そう言った非力な生物を大ネズミや、オオカミモドキ、大カラスなどが喰らって。時には肉塊同士で合わさって、油断したそれらを飲み込んだりして、熾烈な生存競争を繰り広げていた。
それらに対する不快感に慣れた俺は、もはや、その生存競争の中に、人間が戻されただけなのだな。と、内心、自嘲気味に笑ったりもしていた。
「…………」
また、人が人を襲っている場面と出会った。
もうこの時点で、俺の中の僕ですら、人と顔を合わせる事に対する躊躇いの方が大きくなっていたが。それでも駆けつけた。
駆けつけて……。辿り着く前に暴行を受けていた側が2m近い、二足歩行の牛に変異し、加害者を蹄でボコボコに殴って、最後には喰らい始めた。
倒せない事もないだろうが、タフそうだし、あの攻撃を何度も結界で受けた場合、この先の不測の事態に避ける俺の魔力量がかなり減る。
それに理性が残っている可能性も、取り戻す可能性もあったし。かと言って介入するのはリスクが多すぎる。
と言う事で、牛が加害者の肉に夢中になって、俺たちに気が付かない内に、その場を後にした。
「…………」
犬小屋の中で人の骨を愛おしそうに。守る様に抱えて舐め回している犬型の魔物が居た。
一瞬こちらと目が合ったが、すぐに骨を舐める作業に戻った為、こちらから手出しする事も無かった。
畑や田んぼでは野菜や案山子が楽しそうに踊っていて、それを捕食する大ガエルが居た。
トノサマバッタが、トノサマバッタの姿のまま、道端を二足歩行で、隊列を成しながら歩いていた。
トンビの様な集団が、大カラスを大群で狩り、あぶれたトンビモドキを、大トンボが攫って行った。
大蛇が木陰で、大きな欠伸をしながら、尻尾で釣りをしていた。
俺達の存在に気付いて居ない訳でもなさそうだったが、襲って来る様な事は無かった。
清水川を河童の様に泳ぐ子どもがいた。……いや、本当に河童だったのかもしれないけど。
直ぐに水中深くへ消えてしまったし、深く流れの早い河の水辺に寄るのは怖かったのであまり良くは確認しなかった。
大型の鶏の集団に襲われて、今日の夕飯として確保する事にした。
母さんが開設をしながら嬉々としてその首を落とし、荷車の後ろに、その肉を括り付けて、道路に赤い道を描きながら引き摺り、移動した。
ここは餌が少ないのか、街中で見た蝶が、血の道や鶏に群がり、その鋭い口吻を突きさして、血を啜っていた。
それは次第に数を増して行き――。俺達には結界があってよかったな。としみじみ感じた。
田園地帯の中にポツリと立つ大木の枝に、人が早贄の様に突き刺され、何人もぶら下がっていた。
この頃には鶏の血も抜けきったのか、俺達について来ていた蝶の殆どがそちら側に移動した。
途中。殆ど外傷無く倒れていた遺体も有ったのだが、そちらには飛んで行かなかったので、多分、血の無い相手と、口吻が差し込めなさそうな相手には興味が無いのだろう。
そして、その人間を殺した犯人もおそらく……。
——赤白黄色。蝶が飛び交う大木は、その実情から目を逸らせば、神秘的で、幻想的な一枚にも見えた。
ここもここで魔境ではあったが――。人の気配が無かったせいか、少し心が安らいだ。
——安らいでしまった。
街中よりは少ないとはいえ、悲劇の痕跡は遺体や飛沫になって、確かに存在していたのに。
——しかし、それすらも何時か、彼らによって消され。時間の流れによって、誰の記憶にも残らなくなってしまうのだろう。
――でも、確かに誰かの糧となって、今の世界を支えている。
それが偉大なる自然の摂理で、この世界のルールだ。
そう考えれば、俺の罪悪感など、独善的で、一面的で、刹那的で。
とてもちっぽけなモノに思えた。
——そう考えて、僕を説得した。
田園地帯も終盤に差し掛かり、山の傍。
日も陰って来た木陰に小さな白いワンピースを着た女の子が歩いていて。
話しかけようとしたら消えてしまった。
参道ではお地蔵さまが跳ねていて、丁度良い大きさの石がコロコロと転がって、可愛く足元に突進してきて。
母さん曰く、転ばしてこようとしている訳では無く、唯々懐いているだけなそうで。俺の結界でも弾かなかった為に、本当にそうなんだろうな、と思った。
俺が、その小石達をしゃがんで愛でながら、「この小石の大きいバージョンっているのかな?」と呟いたら、母さんに「あっちに大岩ぐらいのが居るわよ」と言われて。
悪意が無くとも大岩にじゃれつかれたらと思うと――。
俺と父さんは顔を青くし、そちらには近付かない事を誓った。
参道を外れ、踏み固められただけの山道を進んでいると、上の方から、小さなイタチの様な群れが現れた。
素早い動きで俺達の脚の間を潜り、鋭い牙と伸びた爪で腱等を引き裂こうとしたみたいだけど、結界に留められ、そのまま森の奥へ帰って行った。
やはり俺達家族は、速度重視の相手との相性は悪いなと思った瞬間だった。
「助けてー!」という声がした。
母さんが行ってはいけないと言った。
何だか良く分からないけれど、人の声ではないそうだ。
俺達は無視をして進んだ。
母さんの言った通り、歩くキノコが居て。
目を輝かせる母さんに、今日はもう鶏があるから、今度にしようと父さんが止めた。
道を聞いて来た黒い人影が居た。
声はくぐもって聞き取りにくかったが、どうやら山を下りれないらしかった。
母さんが、今度山を下りる時、一緒に連れて行ってあげる。と言ったら、顔は見えない物の、それでも嬉しそうな表情をして消えて行った。
白くて小さな、本当に手のひらサイズの小さな子どもの様な集団が、突然現れ、俺達の目の前を走って横切って、また忽然と消えて行った。
沢には、2m近いカニがいて、食われそうになったので、これも今日の夕食にする事にした。
母さんがキノコは嫌がったのに。と拗ねた。
当然、蟹は父さんが背負った。
ヒルだけは何故か変化が無く、集団で結界を這い登ってくる様は、どんな化け物よりも俺達を震え上がらせ。
鋭く変化した下草に、結界を通して、魔力をゴリゴリと削られつつ。
「お。あったあった」
疲れを知らない父さんの声に、俺と母さんが顔を上げる。
そこにあったのは、断崖絶壁。
その岩肌の壁面に掘られた、丁度良い大きさの石窟であった。




