第8話 封印の番人
地下都市アークの静寂は、一瞬で消え去った。
遠方で起きた爆発の余波が街全体を揺らし、崩れかけた建物から無数の砂塵が舞い上がる。
悠人は思わず息を呑んだ。
街の外縁部。
薄暗い青白い光の向こう側に、巨大な影が立っている。
最初は建物かと思った。
だが違う。
それは動いていた。
ゆっくりと。
確実に。
こちらへ向かって。
「何だ、あれ……」
呆然と呟く。
アリシアの手が震えていた。
彼女は悠人の腕を掴んだまま、その存在から目を離そうとしない。
「封印の番人」
かすれた声だった。
「この都市を守るために作られた存在」
「守る?」
悠人は眉をひそめる。
どう見ても侵略者にしか見えない。
◇
番人は巨大だった。
高さだけでも三十メートルを超えている。
全身を黒い金属のような装甲が覆い、その隙間から淡い黄金色の光が漏れていた。
人型に近い。
だが人間とは決定的に違う。
生物らしさがないのだ。
まるで古代文明が作り上げた兵器そのものだった。
そして。
黄金色の瞳が光る。
その瞬間、悠人の背筋を冷たいものが走った。
見られている。
明確に。
あの巨大な存在は自分を認識している。
◇
ドォォォン――!
再び轟音。
番人が一歩踏み出しただけで大地が揺れる。
石畳に亀裂が走り、周囲の建物が崩れ落ちる。
「いやいやいや!」
悠人は思わず声を上げた。
「あれ本当に守護者か!?」
「昔は違ったの!」
アリシアも必死だった。
「でも封印が弱って暴走してる!」
「そういうの先に言って!」
◇
二人は街路を走り出した。
背後では番人がゆっくり追ってくる。
歩いているだけだ。
なのに距離が縮まる。
巨体ゆえの歩幅が異常なのだ。
悠人は全力疾走しながら周囲を見回した。
地下都市アーク。
先ほどまでは神秘的に見えた街並みも、今はただの障害物にしか思えない。
崩れた塔。
倒壊した家屋。
割れた石像。
逃げ場はほとんどない。
◇
「ガルさんたちは!?」
走りながら叫ぶ。
アリシアが首を振った。
「分からない!」
「連絡手段とか!」
「三千年前にはスマホなかったから!」
「そこは期待してない!」
思わずツッコミが出る。
だが少しだけ緊張が和らいだ。
アリシアも余裕はないはずなのに、必死に会話を返してくれている。
◇
その時だった。
番人の瞳が強く輝く。
嫌な予感がした。
次の瞬間。
空間が震える。
黄金色の光が集まり始めた。
「伏せて!」
アリシアが叫ぶ。
悠人は反射的に地面へ飛び込んだ。
直後。
轟音。
光の奔流が頭上を通り過ぎる。
まるで巨大な砲撃だった。
後方の建物群が一瞬で消し飛ぶ。
石造りの塔が蒸発するように崩壊した。
悠人は地面に伏せたまま固まる。
冷や汗が止まらない。
「あれ当たったら死ぬよな?」
「死ぬ」
アリシアは真顔だった。
◇
番人は再び光を集め始める。
狙われている。
完全に。
悠人は訳が分からなかった。
「何で俺なんだよ!」
その言葉にアリシアが顔を曇らせる。
何か知っている顔だった。
「……やっぱり」
「何だよ?」
「番人は侵入者を攻撃してるんじゃない」
悠人は嫌な予感しかしなかった。
アリシアは真っ直ぐ彼を見る。
そして静かに告げる。
「あなたを狙ってる」
◇
言葉を失った。
自分を?
なぜ?
初めて来た場所だ。
三千年前の都市など知らない。
狙われる理由がない。
だがアリシアは続ける。
「番人は封印を守るために作られた」
「それが?」
「封印を壊せる存在を最優先で排除する」
悠人は思い出していた。
監視塔。
毒沼屋敷。
氷雪城。
そして天空神殿。
自分が関わった場所では、なぜか封印が壊れている。
もちろん故意ではない。
だが結果だけ見ればそうだった。
◇
「まさか……」
悠人の顔が引きつる。
アリシアはゆっくり頷いた。
「あなたは封印を壊せる存在なんだと思う」
「そんなわけないだろ」
即答だった。
自分はただの会社員だ。
不動産屋だ。
新人社員だ。
封印破壊者ではない。
断じてない。
◇
その瞬間。
番人が腕を振り上げる。
巨大な腕だった。
黒い装甲に覆われた鉄塊のような腕。
それが街ごと叩き潰そうとしている。
逃げ切れない。
そう悟った。
アリシアも気付いたらしい。
顔が青ざめる。
「間に合わない……!」
◇
そして。
轟音と共に腕が振り下ろされた。
地下都市アーク全体を揺らす一撃。
だが。
その瞬間だった。
番人の巨大な腕が空中で止まる。
まるで見えない何かに掴まれたように。
◇
静寂。
番人が初めて動きを止める。
黄金の瞳が揺れた。
困惑しているようにも見える。
そして悠人も気付く。
自分の右手が上がっていた。
無意識だった。
本当に。
何も考えていなかった。
ただ危ないと思っただけだった。
◇
巨大な番人の腕は。
悠人が片手で受け止めていた。
アリシアが言葉を失う。
番人も止まる。
そして当の本人だけが状況を理解できていなかった。
「……あれ?」
その一言が、静まり返った地下都市へ響いた。
「……あれ?」
間の抜けた声が地下都市に響いた。
悠人自身が一番困惑していた。
目の前には封印の番人。
高さ三十メートルを超える巨体。
その腕は街一つを叩き潰せるほど巨大だ。
にもかかわらず。
その腕は悠人の頭上で完全に停止していた。
まるで見えない壁に阻まれているかのように。
「え?」
悠人は自分の右手を見る。
そして番人の腕を見る。
もう一度右手を見る。
やはり状況は変わらない。
どう考えてもおかしい。
どう考えても自分が支えている。
意味が分からなかった。
◇
一方でアリシアは言葉を失っていた。
彼女は三千年近く生きてきた。
正確には眠り続けていただけかもしれない。
それでも多くのものを知っている。
勇者も。
魔王も。
伝説の英雄も。
古代文明の兵器も。
だが。
こんな光景は見たことがなかった。
封印の番人は単なる守護者ではない。
古代文明が生み出した最終防衛機構。
本来なら都市一つを滅ぼす力を持つ存在だ。
その一撃を。
人間が片手で止めている。
そんなことがあり得るはずがなかった。
◇
番人の黄金の瞳が強く輝く。
まるで状況を再確認しているようだった。
そして。
ゆっくりと腕を引く。
初めてだった。
番人が後退したのは。
それは恐怖ではない。
警戒。
未知への対応。
そんな機械的な反応だった。
◇
空気が変わる。
地下都市全体の魔力が流れ始めた。
青白い結晶の光が脈打つ。
地面に刻まれた古代文字が輝く。
アリシアの表情が険しくなった。
「まずい」
「何が?」
「学習してる」
悠人は嫌そうな顔をした。
その言葉は聞きたくなかった。
非常に聞きたくなかった。
◇
番人の胸部装甲が開く。
内部には巨大な黄金色の核が存在していた。
心臓のようにも見える。
太陽の欠片のようにも見える。
それがゆっくりと明滅していた。
ドクン。
ドクン。
鼓動のような音が響く。
そのたびに周囲の魔力が吸い上げられていく。
◇
街が震えた。
塔が崩れる。
石畳が砕ける。
遥か遠方では地面そのものが持ち上がっていた。
まるで地下都市全体が悲鳴を上げているようだった。
◇
「何をする気だ?」
悠人が尋ねる。
アリシアは苦しそうに答えた。
「封印維持用のエネルギーを使ってる」
「それで?」
「都市そのものを武器に変える気」
嫌な予感しかしない。
最近その言葉しか出てこない。
◇
その時だった。
番人の口元にあたる部分が開く。
そして機械的な声が響いた。
『対象認識』
感情のない声。
冷たい声。
だが。
どこか緊張しているようにも聞こえた。
『照合開始』
『記録参照』
『該当データ発見』
◇
アリシアの顔色が変わる。
「まさか……」
彼女は知っていた。
その反応が何を意味するのか。
◇
『原初個体』
その言葉が地下都市へ響く。
悠人は眉をひそめた。
意味が分からない。
アリシアは青ざめている。
番人は動きを止めたまま悠人を見つめている。
まるで三千年前の記録を確認しているようだった。
◇
『危険度再評価』
『封印維持不能』
『最終処理を開始』
◇
直後。
都市全体が揺れた。
今までとは比較にならない。
塔が倒壊する。
建物が崩れる。
広場の地面に巨大な亀裂が走った。
天井の岩盤から無数の石塊が降り注ぐ。
まるで世界そのものが壊れ始めたかのようだった。
◇
アリシアは唇を噛む。
最悪だった。
本当に最悪だった。
番人は都市を守るために存在している。
だが同時に。
封印を守るためなら都市そのものを犠牲にすることも許されている。
それが最終処理。
三千年前、一度も使われなかった禁断の機能だった。
◇
「逃げるぞ!」
悠人が叫ぶ。
アリシアは首を振った。
「無理」
その声は小さい。
だが諦めではなかった。
事実だった。
◇
都市全体が崩壊を始めている。
どこへ逃げても意味がない。
封印区画ごと消滅する。
それが番人の結論だった。
◇
その時。
悠人の胸の奥で何かが疼いた。
違和感。
奇妙な既視感。
この光景を知っている気がした。
見たことなどないはずなのに。
聞いたこともないはずなのに。
なぜか懐かしい。
◇
地下深く。
誰も近付けない第五封印区画の最奥。
そこで何かが目を覚ます。
長い眠りから。
遥かな時を超えて。
◇
ドクン。
巨大な鼓動が響いた。
番人が止まる。
アリシアも顔を上げる。
悠人だけが分からない。
何が起きているのか。
◇
だがアリシアは知っていた。
いや。
正確には思い出した。
三千年前。
世界が滅びかけたあの日。
封印された存在。
誰も名前を口にしなくなった存在。
◇
「そんな……」
震える声が漏れる。
「まだ残っていたの……?」
◇
地下都市アーク最深部。
第五封印の奥。
そこから漏れ出した気配は、封印の番人さえ沈黙させるほど圧倒的だった。
そして。
その気配はまるで悠人を探すように静かに広がっていく。
ブックマーク、リアクション、評価をしていただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。




