第5話 氷雪城
「入居者全員凍死」
依頼書に書かれた文字を見た瞬間。
佐藤悠人は静かに天井を見上げた。
最近よくこうしている。
現実逃避である。
監視塔。
毒沼屋敷。
そして次は氷雪城。
異世界不動産の仕事は、どう考えても不動産屋の仕事ではなかった。
「帰りたい……」
「まだ出発してないぞ」
レオンが笑う。
「出発前だから言ってるんです」
悠人は真顔だった。
◇
氷雪城。
北方の雪原地帯に存在する巨大な城。
十五年前までは王族の保養地だったらしい。
しかしある夜。
城全体が突然凍結。
使用人。
護衛。
貴族。
滞在していた全員が死亡した。
以来、放棄。
誰も近付かなくなった。
「そんな場所を売るんですか?」
悠人が聞く。
「依頼だからな」
ガルは平然と答えた。
「買う人いるんですか?」
「知らん」
「ですよね」
少し安心した。
誰も買う気がないらしい。
◇
数日後。
馬車を降りた悠人は言葉を失った。
白い。
どこまでも白い。
空も。
大地も。
山も。
全部雪だった。
そしてその中心。
巨大な城が立っている。
まるで氷の彫刻だった。
白銀の塔。
凍り付いた城壁。
陽光を反射して青く輝いている。
美しい。
だが。
近付きたくはなかった。
「綺麗ですね」
思わず呟く。
「そうだな」
ガルも珍しく否定しない。
「ただし住みたくはない」
「同感です」
初めて意見が一致した。
◇
城へ向かう。
吹雪が強い。
悠人は厚着をしている。
それでも寒い。
耳が痛い。
鼻が痛い。
指先の感覚がなくなりそうだ。
一方で。
ガルは平然。
レオンも平然。
ミリアは楽しそうだった。
「寒くないんですか?」
「慣れだな」
レオンが答える。
「何に慣れたらこうなるんです?」
「色々だ」
全く参考にならない。
◇
城門へ到着する。
巨大な鉄門。
しかし完全に凍り付いていた。
厚い氷が何重にも覆っている。
悠人は思った。
開かない。
絶対に開かない。
だが。
ガルが手を置く。
ミシッ。
バキバキバキッ!!
氷が砕けた。
門が開く。
悠人は見なかったことにした。
この職場では常識を考えるだけ無駄である。
◇
城内へ入る。
外より寒かった。
理由は分からない。
分かりたくもない。
大広間は完全に氷の世界だった。
床も壁も天井も凍っている。
シャンデリアですら氷柱になっていた。
まるで時間そのものが停止したような空間。
「すごい……」
悠人は思わず見上げた。
すると。
何かが視界に入る。
人だった。
氷の中に人がいた。
男性。
驚いた表情のまま凍り付いている。
悠人の顔色が変わった。
「うわっ!」
後退る。
氷漬けの死体。
しかも一つではない。
周囲に何体もある。
使用人。
兵士。
貴族。
皆そのまま残っていた。
「一瞬だったんだろうな」
レオンが呟く。
「何がです?」
「凍るまで」
全然慰めになっていなかった。
◇
調査を続ける。
食堂。
客室。
図書室。
どこも同じだった。
凍結。
そして死体。
まるで城全体が巨大な墓場だった。
だが。
奇妙なことがあった。
腐敗していない。
十五年経っているはずなのに。
昨日死んだように綺麗なまま。
「変ですね」
悠人が言う。
ミリアが頷いた。
「魔法だね」
「やっぱりですか」
「うん」
嫌な予感が強くなる。
◇
その時。
カツン。
音が響いた。
全員が振り向く。
誰もいない。
しかし。
また聞こえる。
カツン。
カツン。
カツン。
まるで誰かが歩いている。
氷の床を。
ゆっくりと。
近付いてくる。
悠人は嫌な汗をかいた。
「聞こえました?」
「ああ」
ガルが答える。
「誰ですかね」
「さあな」
それが一番怖い。
◇
音は二階から聞こえていた。
四人は階段を上る。
静かだ。
足音だけが響く。
やがて長い廊下へ出る。
そして。
そこで見た。
廊下の奥。
白い少女が立っていた。
長い銀髪。
青い瞳。
白いドレス。
十代半ばほどに見える。
だが。
足元がなかった。
宙に浮いている。
「幽霊ぃぃぃぃ!!」
悠人は反射的に叫んだ。
人生初遭遇だった。
遭遇したくなかった。
◇
少女は無言だった。
ただ静かにこちらを見る。
敵意はない。
怒りもない。
感情が見えない。
そして。
ゆっくりと手を伸ばした。
指差した先。
城の最上階へ続く螺旋階段。
「……あっち?」
悠人が聞く。
当然返事はない。
少女は小さく頷いたように見えた。
次の瞬間。
雪のように消えた。
◇
静寂。
悠人は恐る恐る三人を見る。
「見ましたよね?」
「ああ」
「見たね」
「見たな」
全員見ていた。
幻覚ではない。
残念ながら。
◇
ガルは階段を見上げる。
レオンも真剣な顔になる。
ミリアは何か考え込んでいた。
「どうしたんです?」
悠人が聞く。
ミリアが答える。
「似てる」
「何にです?」
「監視塔と毒沼屋敷」
その言葉で空気が変わった。
悠人も思い出す。
封印。
地下。
顔のない影。
毒人形。
全部繋がっている気がした。
◇
四人は最上階を目指す。
一段ずつ階段を上る。
上へ。
さらに上へ。
吹雪の音が大きくなる。
空気が冷たくなる。
そして。
最上階の前で全員が足を止めた。
巨大な氷の扉。
その向こうから。
ドクン。
音が響いた。
まるで心臓の鼓動。
悠人の顔色が変わる。
嫌な予感しかしない。
監視塔の時も。
毒沼屋敷の時も。
同じだった。
◇
ガルが扉へ手を掛ける。
ゆっくり押す。
氷が砕ける。
重い音と共に扉が開く。
そして。
悠人は絶句した。
部屋の中央。
巨大な氷柱。
その中に少女が眠っていた。
先ほどの幽霊と同じ顔。
同じ銀髪。
同じ姿。
しかし。
本当に恐ろしいものは別にあった。
氷柱のさらに奥。
巨大な影。
何十メートルもある。
人ではない。
怪物だった。
閉じられていた赤い瞳が。
ゆっくりと開く。
その瞬間。
部屋全体が震えた。
そして怪物は初めて声を発した。
――――グォォォォォォォ……
地鳴りのような咆哮が城中へ響き渡る。
悠人は心の底から確信した。
今回も絶対に普通では終わらない。
そして氷雪城に隠された真実が、今まさに目覚めようとしていた。
怪物の赤い瞳が開いた。
その瞬間だった。
轟音。
部屋全体を揺らす咆哮が響き渡る。
壁の氷が砕ける。
天井から雪が降る。
悠人は思わず耳を塞いだ。
「うわぁぁぁぁ!!」
恐怖で足が震える。
巨大だった。
あまりにも巨大だった。
氷柱の奥に眠る怪物は、軽く見積もっても二十メートル以上ある。
竜にも見える。
獣にも見える。
どちらでもないようにも見える。
ただ一つだけ確かなことがあった。
絶対に戦いたくない。
◇
しかし。
怪物は動かなかった。
赤い瞳だけがこちらを見ている。
まるで観察しているようだった。
「封印されてる?」
悠人が呟く。
ミリアが頷いた。
「そうみたい」
「助かった……」
心からそう思った。
だが。
次の瞬間。
パキッ。
小さな音が響く。
氷柱に亀裂が入った。
悠人の顔色が変わる。
「助かってなかった!」
◇
パキパキパキッ。
亀裂が広がる。
氷柱全体へ。
怪物の身体を閉じ込めていた巨大な氷が崩れ始めた。
レオンが舌打ちする。
「まずいな」
「まずいですね!」
「珍しく意見が合った」
そんな話をしている場合ではなかった。
◇
その時。
氷柱の中の少女が目を開いた。
青い瞳。
透き通るような色。
ゆっくりと周囲を見回す。
そして。
悠人たちを見る。
「……誰?」
小さな声だった。
生きている。
悠人は目を丸くした。
十五年前から氷の中にいたはずなのに。
◇
少女は状況を理解していないようだった。
しかし。
怪物を見た瞬間。
顔色が変わる。
「だめ」
初めて感情が見えた。
恐怖だった。
「逃げて」
少女が叫ぶ。
「封印が……」
言葉は途中で途切れた。
轟音。
巨大な氷柱が砕け散る。
◇
怪物が動いた。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
それだけなのに。
圧力が凄まじい。
空気が重い。
呼吸が苦しい。
悠人は本能で理解した。
今までの相手とは違う。
顔のない影。
毒人形。
比較にならない。
◇
怪物が前足を振り上げる。
その瞬間。
ガルが前へ出た。
ドンッ。
衝撃。
怪物の爪が止まる。
悠人は目を疑った。
巨大な爪。
家ほどの大きさがある。
それを。
ガルは片手で受け止めていた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
だが。
誰も説明してくれない。
◇
「新人」
レオンが振り返る。
「はい!?」
「少女を連れて下がれ」
「俺ですか!?」
「他にいないだろ」
確かにいなかった。
全員戦闘態勢だ。
悠人しかいない。
◇
少女へ駆け寄る。
近くで見ると幼い。
十四歳ほどだろうか。
身体は冷たい。
だが生きている。
「立てます?」
少女は小さく頷いた。
「……うん」
「じゃあ逃げましょう」
即答だった。
◇
その時。
怪物が咆哮する。
吹雪が発生した。
部屋全体が白く染まる。
視界ゼロ。
何も見えない。
「まずっ!」
悠人は少女を庇う。
冷気が身体を襲う。
普通なら凍傷。
いや。
即死してもおかしくない。
しかし。
悠人は気付かなかった。
寒くない。
冷たいはずなのに。
思ったほど苦しくない。
◇
毒沼屋敷。
監視塔。
数々の死地。
そして。
氷雪城。
知らぬ間に身体が変化していた。
環境への適応。
毒への耐性。
身体能力の向上。
そして今。
極寒への耐性まで獲得し始めていた。
本人だけが知らない。
◇
吹雪が収まる。
すると。
少女が驚いた顔で悠人を見ていた。
「……平気なの?」
「何がです?」
「今の」
「寒かったですよ」
少女は首を傾げた。
普通の人間なら死んでいる。
だが本人は気付いていない。
◇
その頃。
ガルたちは怪物と戦っていた。
いや。
遊んでいるようにしか見えなかった。
レオンが怪物の頭へ飛び乗る。
ミリアが巨大な魔法陣を展開する。
ガルが正面から殴り飛ばす。
殴り飛ばす。
殴り飛ばしていた。
悠人は見なかったことにした。
◇
しかし。
怪物も強い。
傷が再生する。
吹雪を発生させる。
氷柱を生み出す。
城全体が揺れていた。
「逃げないと」
少女が呟く。
「封印が壊れたら全部終わる」
「全部?」
「北方全部」
悠人は聞かなかったことにしたかった。
◇
その時だった。
少女の首元で何かが光る。
青い宝石。
悠人はそれを見た瞬間。
妙な違和感を覚えた。
どこかで見た。
監視塔。
毒沼屋敷。
同じような光を。
「それ……」
少女が宝石を握る。
悲しそうな顔。
「これが封印なの」
悠人は理解した。
理解したくなかった。
「まさか」
「うん」
少女は頷く。
「私が鍵」
嫌な予感しかしない。
◇
怪物が再び咆哮した。
天井が崩れ始める。
城そのものが限界だった。
「帰ろう!」
悠人は叫ぶ。
「でも」
「後はあの人たちに任せましょう!」
少女は振り返る。
ガル。
レオン。
ミリア。
怪物相手に押していた。
どう見ても異常だった。
「……うん」
少女も納得した。
◇
出口へ向かう。
その途中。
巨大な氷柱が落下した。
真上から。
直撃コース。
少女は動けない。
悠人は咄嗟に飛び出した。
考えるより先だった。
氷柱を押す。
普通なら無理。
人間に止められる重さではない。
だが。
止まった。
一瞬だけ。
その間に少女を突き飛ばす。
次の瞬間。
氷柱が落下した。
轟音。
◇
土煙が舞う。
少女が叫ぶ。
「お兄ちゃん!」
しかし。
煙の中から悠人が出てきた。
服はボロボロ。
だが生きている。
本人も驚いていた。
「……あれ?」
何で生きているんだろう。
本気でそう思った。
◇
やがて。
四人と少女は城の外へ脱出した。
その直後。
氷雪城が崩れ始める。
巨大な城は轟音と共に崩壊した。
雪煙が舞う。
長い年月続いた封印は終わった。
◇
帰りの馬車。
少女は眠っていた。
ミリアが隣に座っている。
ガルは依頼書を書いていた。
レオンは欠伸をしている。
そして悠人は。
腕の筋肉痛に苦しんでいた。
「痛い……」
「無茶するからだ」
レオンが笑う。
「俺死ぬかと思いました」
「生きてるだろ」
「それが不思議なんですよ!」
全員が少しだけ笑った。
◇
しかし。
誰も知らなかった。
崩壊した氷雪城の地下深く。
さらに古い封印が存在していたことを。
そして。
監視塔。
毒沼屋敷。
氷雪城。
三つの封印が壊れたことで。
何かが目覚め始めていたことを。
それは人間でも魔族でもない。
遥か昔。
世界から消えたはずの存在。
やがて訪れる大戦の火種だった。
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