第4話 毒沼屋敷
第4話 毒沼屋敷
「帰りたい……」
佐藤悠人は依頼書を見つめながら呟いた。
毒沼屋敷。
名前からして嫌だった。
というか、ろくでもない予感しかしない。
監視塔の件が終わった翌日。
ようやく休めると思っていた悠人の前に差し出された新たな依頼である。
「何で不動産屋なのに毒沼なんですか」
「屋敷だからだ」
ガルが答える。
「毒沼ですよ?」
「屋敷もある」
「そっちがメインじゃないんですか?」
「毒沼の方が有名だな」
終わっていた。
完全に終わっていた。
◇
依頼内容はこうだった。
王都から西へ三日の場所。
かつて貴族が所有していた大屋敷。
周囲一帯が毒沼へ変わり果てており、近づく者は皆倒れる。
現在は立入禁止。
だが土地の権利関係が複雑で、売却したい貴族たちから依頼が来たらしい。
「誰が買うんですか」
「知らん」
「じゃあ何で調査するんですか」
「仕事だからだ」
いつもの答えだった。
◇
二日後。
四人は目的地へ到着した。
遠くからでも分かる。
空気がおかしい。
地面が黒い。
木々は枯れ。
草も生えていない。
紫色の霧が漂っている。
そして。
中心に巨大な屋敷。
まるで死んだ城のようだった。
「うわぁ……」
悠人は思わず声を漏らした。
嫌だ。
本当に嫌だ。
「綺麗だね」
ミリアが言う。
「どこがですか」
「夕日と合ってる」
感性が違いすぎた。
◇
屋敷へ向かう途中。
悠人は鼻を押さえた。
臭い。
何か腐ったような臭いがする。
「これ大丈夫なんですか?」
「何がだ」
「毒ですよ毒」
ガルは周囲を見渡した。
「確かにな」
「確かにじゃないですよ!」
レオンが笑う。
「心配するな」
「できますかそんなの」
「死んだら埋めてやる」
「死ぬ前提!?」
全く安心できなかった。
◇
沼地へ足を踏み入れる。
ぐちゃり。
嫌な感触。
靴が沈む。
紫色の水面から泡が浮かぶ。
ポコポコ。
見るからに危険だった。
「毒なんですよね?」
「そうだ」
「何で普通に歩いてるんです?」
「慣れだな」
ガルは平然としている。
レオンも平然。
ミリアも平然。
悠人だけが必死だった。
◇
十分後。
異変が起きた。
「ん?」
悠人は首を傾げる。
おかしい。
何ともない。
毒沼だ。
もっと苦しくなると思っていた。
息苦しくなるとか。
目眩がするとか。
しかし何も起きない。
「大丈夫か?」
レオンが聞く。
「はい」
「意外だな」
「そうなんですか?」
「普通はもう倒れてる」
悠人は凍りついた。
「え?」
「新人ならな」
「何で先に言わないんですか!?」
「聞かれなかった」
最低だった。
◇
さらに進む。
屋敷まで残り半分。
その時。
悠人は何かを見つけた。
骨だ。
人骨。
半分沼に沈んでいる。
「ひっ……」
しかも一つではない。
二つ。
三つ。
十。
二十。
至る所に転がっていた。
「何ですかこれ」
「昔の調査隊だろう」
レオンが言う。
「軽く言わないでください!」
「昔から人気物件なんだ」
「人気とは」
意味が分からなかった。
◇
やがて屋敷へ到着する。
巨大な鉄門。
しかし門は開いていた。
まるで誰かが待っていたかのように。
悠人は嫌な汗をかく。
「入りたくない」
本音だった。
だが。
ガルは迷わず進む。
結局ついて行くしかない。
◇
屋敷の中は異様だった。
埃がない。
人の気配もない。
しかし綺麗すぎる。
まるで昨日まで誰かが住んでいたようだった。
「誰かいる?」
悠人が呟く。
返事はない。
だが。
確かに視線を感じた。
何かがいる。
どこかに。
◇
その時だった。
二階から足音が聞こえる。
コツ。
コツ。
コツ。
全員が見上げる。
静寂。
音は止まった。
「聞きました?」
「聞いた」
ガルが答える。
「いますよね?」
「いるかもな」
曖昧だった。
全然安心できない。
◇
探索を始めて一時間。
屋敷は異常なほど広かった。
客室。
食堂。
書斎。
どこも綺麗だ。
しかし。
生き物の気配はない。
そして。
屋敷の中心部へ辿り着いた時だった。
ミリアが足を止める。
「これ」
床に巨大な紋章が描かれていた。
紫色。
毒沼と同じ色。
そして。
紋章の中心には見覚えのある文字。
「封印?」
悠人が読んだ。
監視塔でも見た言葉だった。
レオンの顔から笑みが消える。
ガルも眉をひそめた。
「またか」
その一言に悠人は嫌な予感しかしなかった。
監視塔。
地下封印。
顔のない影。
そして今。
毒沼屋敷。
別の封印。
偶然とは思えない。
何かが繋がっている。
◇
その瞬間。
ドクン。
床の紋章が脈打った。
まるで心臓のように。
紫色の光が広がる。
屋敷全体が揺れ始めた。
「え?」
悠人が後退る。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
光が強くなる。
そして。
床の中心がゆっくり割れた。
真っ黒な穴。
底が見えない。
そこから何かが這い上がろうとしていた。
人の腕。
いや。
人間ではない。
紫色に変色した腕だった。
悠人は絶叫した。
「また何か出てきたぁぁぁぁぁ!」
異世界不動産。
事故物件専門。
今回もどうやら普通には終わらないらしい。
床が割れた。
真っ黒な穴の中から、紫色に変色した腕がゆっくりと現れる。
腐っている。
皮膚は爛れ。
骨が見えている部分もある。
それなのに動いていた。
「うわあああああっ!」
悠人は全力で後退した。
その勢いで後ろの棚に激突する。
本が落ちる。
壺が割れる。
だが誰も気にしていなかった。
全員の視線は床に向いている。
ドクン。
ドクン。
紫色の紋章が脈打つ。
腕が二本になった。
さらに頭。
肩。
胴体。
まるで沼の中から人が這い出てくるように、その存在はゆっくりと姿を現していく。
そして。
完全に出てきた。
身長は二メートル以上。
全身が紫色に変色している。
目はない。
口だけが異様に大きく裂けていた。
「何ですかあれ……」
悠人の声は震えていた。
ミリアが静かに答える。
「毒人形」
「毒人形?」
「昔の禁術」
嫌な単語だった。
この世界に来てから何度も聞いた。
封印。
禁術。
魔王軍。
勇者軍。
ろくな話がない。
◇
毒人形がゆっくりと首を動かした。
そして。
全員を見渡す。
最後に。
悠人で止まった。
「何で俺!?」
叫ぶ。
次の瞬間。
毒人形が消えた。
いや。
速すぎて見えなかった。
気付いた時には目の前。
巨大な腕が振り下ろされる。
「死ぬ!」
悠人は反射的に飛び退いた。
床が砕ける。
石片が飛び散る。
もし一秒遅れていたら頭が潰れていた。
「新人!」
レオンが前へ出る。
剣を抜く。
一閃。
普通の人間なら見えない速度だった。
しかし。
毒人形は受け止めた。
紫色の腕で。
ギィィィン!
耳障りな音が響く。
「硬いな」
レオンが眉をひそめた。
◇
続いてミリアが杖を掲げる。
「少し大人しくして」
光が走る。
毒人形の足元へ魔法陣が浮かび上がった。
床から無数の鎖が伸びる。
身体を拘束する。
普通ならそれで終わりだった。
だが。
毒人形は引きちぎった。
まるで紙を破るように。
「うそでしょ」
ミリアが呟く。
悠人は思った。
十分すごい。
何でその反応なのか分からない。
◇
そしてガルが前へ出た。
「面倒だな」
それだけ言う。
剣を構える。
毒人形も動く。
両者がぶつかる。
瞬間。
轟音。
衝撃波で窓ガラスが吹き飛んだ。
悠人は壁にしがみつく。
「何今の!?」
凄かった。
とんでもなく凄かった。
だが本人たちは平然としている。
まるで準備運動だった。
◇
戦いは続く。
毒人形は強かった。
異常なほどに。
身体は硬い。
力も強い。
さらに。
傷が塞がる。
レオンが切る。
塞がる。
ミリアが吹き飛ばす。
戻る。
ガルが叩き斬る。
再生する。
「無理じゃないですか?」
悠人が言う。
「無理ではない」
ガルは答えた。
「時間がかかるだけだ」
嫌な予感しかしない。
◇
その時だった。
悠人の鼻に違和感が走る。
臭い。
どこかで嗅いだ臭い。
毒沼だ。
屋敷の外で感じた臭いと同じ。
しかし。
今はもっと濃い。
臭いの元を辿る。
毒人形だった。
正確には。
胸の辺り。
何かがある。
「そこ!」
思わず叫ぶ。
三人が反応した。
「胸です!」
「ん?」
「胸から臭いがします!」
沈黙。
そしてレオンが吹き出した。
「臭いで分かるのか?」
「知らないですよ!」
だが。
ミリアは真面目だった。
杖を向ける。
毒人形の胸へ光が当たる。
そこに。
紫色の宝石が埋まっていた。
「核だ」
ガルが呟く。
◇
次の瞬間。
三人の動きが変わった。
レオンが注意を引く。
ミリアが拘束する。
ガルが突っ込む。
連携。
完璧だった。
毒人形が腕を振るう。
レオンが避ける。
鎖が足を絡める。
一瞬。
動きが止まる。
そこへ。
ガルの剣が振り下ろされた。
紫色の宝石が砕ける。
パリン。
乾いた音。
毒人形の身体が止まった。
そして。
崩れる。
砂のように。
さらさらと。
跡形もなく消えていった。
◇
静寂。
誰も動かない。
やがてレオンが言った。
「終わったか」
「終わったな」
ガルも頷く。
悠人はその場に座り込んだ。
疲れた。
本当に疲れた。
異世界へ来てから一番疲れた。
「帰りたい……」
いつもの言葉だった。
◇
しかし。
終わっていなかった。
ミリアが床を見つめている。
「どうした?」
レオンが聞く。
「封印」
床の紋章。
まだ光っている。
しかも。
さっきより強く。
ドクン。
再び脈打つ。
全員の顔色が変わった。
「まだいるのか?」
レオンが言う。
ミリアは首を振った。
「違う」
「じゃあ何だ」
「封印されていたのはあれじゃない」
空気が凍った。
悠人だけが理解できない。
「え?」
「どういう意味です?」
ミリアは床を見つめたまま言った。
「さっきのは見張り」
誰も喋らない。
「本命は別」
その瞬間。
地下から何かの咆哮が響いた。
屋敷全体が揺れる。
窓が割れる。
天井から砂が落ちる。
悠人は思った。
帰りたい。
本気で。
◇
だが。
ガルは意外なことを言った。
「今日は帰る」
悠人は耳を疑った。
「本当ですか!?」
「調査は終わった」
「終わったんですか?」
「十分だ」
珍しい判断だった。
レオンも頷く。
「確かにな」
ミリアも賛成した。
「今は危ない」
危なくなかった時があるのかと思ったが、口には出さなかった。
◇
帰り道。
再び毒沼を歩く。
しかし。
悠人は気付いた。
全く辛くない。
むしろ。
来た時より楽だ。
臭いも気にならない。
息苦しさもない。
「慣れたのかな」
本人はそう考えた。
だが違う。
普通の人間なら数時間いるだけで倒れる毒。
それを浴び続けた結果。
悠人の身体は少しずつ適応を始めていた。
本人だけが知らない。
◇
夕暮れ。
馬車へ戻る。
依頼書には判が押される。
『一次調査完了』
完全解決ではない。
だが一区切りだ。
悠人は安堵した。
その時。
ガルが新しい資料を机へ置く。
「次の案件だ」
「早くないですか?」
悠人は叫んだ。
依頼書を見る。
そして固まる。
そこに書かれていた名前。
『氷雪城』
問題点。
『入居者全員凍死』
悠人は空を見上げた。
異世界不動産に休日という概念は存在しないらしい。
そして誰も気付いていない。
毒沼屋敷の地下で響いた咆哮が、まだ終わっていないことを。
それは確実に目覚め始めていた。
異世界全土を巻き込む災厄の一つとして――。
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