第3話 封印の地下層
第3話 封印の地下層
「帰れる!」
地下室を飛び出した瞬間、佐藤悠人は心の底からそう叫びたかった。
だが現実は甘くない。
ガルは崩れた魔法陣をじっと見つめたまま動かない。
レオンは腕を組み、珍しく真面目な顔をしている。
ミリアも床にしゃがみ込み、砕けた石片を拾い上げていた。
誰一人として帰る準備を始めない。
「……帰らないんですか?」
悠人が恐る恐る尋ねる。
「まだだ」
ガルが短く答えた。
「いや、封印されてた何かは潰れたじゃないですか」
「潰れたのは上だけだ」
「上?」
その言葉に悠人は首を傾げた。
ガルは崩落した瓦礫の先を指差す。
そこには大穴が開いていた。
先ほど石柱が倒れた衝撃で床まで崩れ落ちたらしい。
暗闇。
底は見えない。
冷たい風だけが下から吹き上がってきていた。
「……地下二階?」
「恐らくな」
レオンが答える。
「資料には地下未調査としか書いてなかった」
「じゃあ帰りましょう」
「未調査だから調べる」
「何でですか!」
「仕事だからだ」
いつもの返事だった。
悠人は諦めたように肩を落とした。
◇
ロープを固定し、四人は穴の中へ降りていく。
ガルが先頭。
続いてレオン。
ミリア。
最後が悠人だった。
足元は滑りやすく、岩肌は湿っている。
慎重に降りていたはずだった。
しかし。
「うわっ!」
悠人の足が滑った。
手を離してしまう。
そのまま真っ逆さま。
「新人!」
レオンが手を伸ばす。
届かない。
悠人は岩壁にぶつかりながら落下していった。
普通なら大怪我。
運が悪ければ即死。
だが。
ドサッ。
落ちた先には大量の古びた布袋が積まれていた。
衝撃はほとんど吸収される。
「いてて……」
立ち上がる。
腕も足も動く。
擦り傷程度だった。
しばらくして三人が降りてくる。
レオンが苦笑した。
「やっぱり運がいいな」
「俺もそう思います」
悠人自身、なぜ助かったのか分からなかった。
だが本人は気付いていない。
落下の最中、岩壁を蹴って姿勢を変え、無意識に受け身を取っていたことを。
そんな技術、数日前の彼には絶対にできなかった。
◇
地下二階。
そこは監獄ではなかった。
巨大な通路だった。
左右には等間隔で石柱が並び、天井は高い。
床には青白い光を放つ鉱石が埋め込まれている。
そのせいで真っ暗ではない。
ぼんやりと視界が確保されていた。
「こんなの資料になかったですよね」
「誰も見つけられなかったんだろう」
ガルが歩き出す。
その後を三人が続く。
静かだった。
異常なほど静かだった。
自分たちの足音だけが響いている。
すると。
悠人が何かを踏んだ。
カラン。
金属音。
足元を見る。
錆びた剣だった。
さらに周囲を照らす。
鎧。
盾。
兜。
大量に散らばっている。
「戦場みたいですね」
ミリアが静かに呟いた。
レオンもしゃがみ込む。
「違うな」
「違う?」
「逃げている途中だ」
「何で分かるんです?」
「武器を捨ててる」
確かに。
よく見ると剣は鞘に入ったまま。
鎧も途中で脱ぎ捨てたような状態だった。
まるで重さを嫌って逃げたように。
悠人は嫌な想像をした。
何かから逃げた。
必死に。
武器まで捨てて。
その結果。
ここで終わった。
◇
通路の奥に大きな扉が現れた。
石でできた巨大な扉。
表面には文字が刻まれている。
誰も読めない。
ミリアだけが眉をひそめた。
「古代文字だ」
「読めるんですか?」
「少しだけ」
彼女は指で文字をなぞった。
ゆっくりと読み上げる。
「『封印区画 第七牢』」
空気が止まった。
「牢?」
悠人は聞き返す。
「つまり何かを閉じ込めてた?」
「そういう意味」
レオンが肩を回した。
「面倒そうだな」
「帰りません?」
「駄目だ」
今日何度目か分からないやり取りだった。
◇
ガルが扉を押す。
重い音を立てながら少しずつ開いていく。
その隙間から。
冷気が吹き出した。
冬の風どころではない。
骨まで凍りそうな寒さ。
悠人は思わず身震いした。
中は円形の部屋だった。
中央に巨大な台座。
その上に鎖。
無数の鎖。
しかし肝心の何かはいない。
鎖だけが千切れた状態で残っていた。
「逃げた?」
悠人が呟く。
ガルは床を見た。
「違う」
「え?」
「連れ出された」
その言葉の意味を理解する前に。
ミリアが壁際で何かを見つけた。
「これ」
皆が集まる。
白骨死体だった。
鎧を身に着けたまま壁にもたれかかっている。
手には一冊の手帳。
ボロボロだが読めそうだった。
悠人が震える手で開く。
最初のページ。
『第十三調査隊 隊長記録』
その文字を見た瞬間。
全員の表情が変わった。
「十三人目……」
行方不明になった最後の調査隊。
その隊長の日記だった。
悠人はゆっくりとページをめくる。
『地下区画を発見』
『封印を確認』
『中は空だった』
『安心した』
『だが違った』
『空だったのではない』
『最初から外にいた』
そこで文章は途切れていた。
最後の一文字だけが深く紙に刻まれている。
まるで震える手で書いたように。
『逃』
逃げろ。
そう書こうとしたのかもしれない。
悠人は喉を鳴らした。
その瞬間。
部屋のどこからか。
コツ。
小さな足音が響いた。
四人全員が顔を上げる。
誰も動いていない。
なのに。
コツ。
また聞こえる。
しかも近い。
ガルが静かに剣へ手を添えた。
レオンの笑顔は消えている。
ミリアも杖を握り直した。
悠人だけが心の中で叫ぶ。
(帰りたい帰りたい帰りたい!)
そして。
台座の裏から。
ゆっくりと黒い影が姿を現した。
それは人の形をしていた。
だが。
顔だけが存在しなかった。
ぽっかりと穴が空いたように、何もない。
影はゆっくりと首を傾げる。
そして。
こちらへ一歩踏み出した。
地下空間に、重い足音が響く。
異世界不動産始まって以来、最悪の現場が幕を開けようとしていた。
黒い影が、一歩踏み出した。
コツ。
石床に響く足音は人間のものと変わらない。
だが、その姿だけは明らかに異質だった。
肩があり、腕があり、脚もある。
それなのに顔だけが存在しない。
目も鼻も口もない。
まるで顔という概念だけが切り取られた人形だった。
悠人は思わず後ずさる。
「な、何ですかあれ……」
誰も答えない。
ガルは無言で影を見つめている。
レオンも珍しく笑みを浮かべていない。
ミリアは杖を握る手に力を込めた。
静寂。
先に動いたのは影だった。
一瞬だった。
さっきまで台座の横にいたはずなのに、気付けば悠人の目の前まで迫っている。
「えっ――」
反応できない。
悠人は咄嗟に身体を逸らした。
頬を何かが掠める。
次の瞬間、背後の石壁が音を立てて砕け散った。
轟音。
石片が飛び散る。
悠人は尻もちをついた。
「い、生きてる……?」
自分でも信じられなかった。
ほんの少し身体を動かしただけ。
それだけで直撃を避けていた。
本人は偶然だと思っている。
だがガルだけは、一瞬だけ目を細めていた。
「……」
何も言わない。
気のせいだと思ったからだ。
◇
「下がれ」
短く告げると、ガルが前へ出た。
腰に差していた剣を抜く。
鈍く光る刃。
そのままゆっくり構える。
影が腕を振るう。
空気が裂ける音。
ガルは半歩だけ身体を動かした。
攻撃は空を切る。
続けて剣を振り下ろす。
ガキィン。
金属がぶつかったような音が響く。
しかし影の身体には傷一つ付かない。
「硬いな」
それだけ言うと距離を取った。
悠人は目を丸くする。
(店長でも苦戦するのか……)
もちろん違う。
ガルは本気の百分の一も出していない。
むしろ「この程度で正体がばれたら面倒だ」と考えていた。
◇
今度はレオンが前へ出る。
「交代だ」
軽い口調。
だが目だけは真剣だった。
剣を抜く。
無駄のない動き。
一歩踏み込み、二度、三度と斬撃を放つ。
速い。
悠人の目では追えないほど速い。
それでも影は避けた。
紙一重。
最後の一撃だけ腕で受け止める。
火花が散る。
「へえ」
レオンが感心したように呟く。
「今の見切るか」
悠人は完全に混乱していた。
(この人たち、意外と強いな……)
その程度の認識である。
元勇者だとは夢にも思わない。
◇
影が再び動く。
今度の狙いはミリアだった。
黒い腕が伸びる。
ミリアは杖を軽く前へ出した。
「止まって」
たった一言。
空気が震えた。
黒い腕が途中で止まる。
見えない壁にぶつかったようだった。
影は何度も腕を振るう。
しかし進めない。
「すごい!」
悠人が思わず声を上げる。
「魔法ですか!」
「うん、簡単な結界」
ミリアは笑った。
実際は大陸最高峰の防御魔法だった。
だが本人は隠す気満々なので、簡単な魔法ということにしている。
◇
その時だった。
ゴゴゴゴゴ……
地下全体が揺れ始めた。
天井から砂が落ちる。
石柱が軋む。
「まずい」
レオンが呟いた。
「封印が壊れてる」
「急いで出るぞ」
ガルが指示を飛ばす。
全員が入口へ向かって走り出した。
当然、悠人も走る。
だが影は諦めない。
物凄い速度で追いかけてくる。
あと数歩。
届く。
その瞬間。
悠人は床の小石を踏んで盛大に転んだ。
「うわあっ!」
身体が前へ投げ出される。
すると偶然、足が壊れかけていた石柱へぶつかった。
ミシッ。
嫌な音。
石柱が傾く。
さらに隣へぶつかる。
連鎖。
次々と柱が倒れていく。
ドドドドドドッ!
天井が崩落した。
大量の岩が影の上へ降り注ぐ。
黒い身体は完全に埋もれた。
「……」
沈黙。
悠人だけが目を回している。
「また転んだ……」
レオンは苦笑した。
「奇跡だな」
「ですね」
ミリアも頷く。
「悠人くん、本当に運がいい」
ガルだけは崩れた柱を見つめていた。
偶然。
そう判断するには、出来すぎている。
だが証拠はない。
結局、何も言わなかった。
◇
四人は急いで地上へ戻る。
地下通路。
隠し階段。
監視塔内部。
そして入口。
外へ飛び出した直後。
ズズズズズ……
巨大な音と共に監視塔全体が揺れた。
「離れろ」
ガルの声。
全員が山道まで走る。
次の瞬間。
轟音と土煙を上げながら、旧勇者軍監視塔はゆっくりと崩れ落ちた。
石壁が砕ける。
塔が折れる。
何十年も立ち続けた建物が、数十秒で瓦礫の山へ変わっていく。
やがて静寂が戻った。
悠人は呆然と立ち尽くす。
「終わった……?」
「ああ」
ガルが短く答えた。
「事故物件は解決だ」
「解決って、建物なくなりましたけど」
「更地になった」
「そういう問題ですか?」
レオンが笑う。
「土地として売れるかもしれないぞ」
「売れます?」
「知らん」
全員が少しだけ笑った。
緊張が解けた瞬間だった。
◇
夕暮れ。
馬車で街へ戻る途中。
悠人は荷台でぐったりしていた。
全身が痛い。
肩も脚も筋肉痛だ。
それでも不思議と昨日より身体が軽い気がする。
長い山道を歩いたはずなのに、息切れもしていない。
「若いからかな」
本人はそう結論づけた。
もちろん違う。
何度も死地をくぐり抜けたことで、身体は少しずつ環境へ適応していた。
誰にも気付かれず。
本人にさえ知られぬまま。
◇
事務所へ戻ると、ガルが依頼書に判を押した。
『案件完了』
その二文字が書き加えられる。
悠人はそれを見て安堵の息をついた。
「これでしばらく休みですよね?」
ガルは新しい紙を取り出した。
机の上へ置く。
依頼名。
『毒沼屋敷 現地調査』
悠人の笑顔が消えた。
「……え?」
レオンが紙を覗き込む。
「次は毒か」
「久しぶりだな」
ミリアも嬉しそうに頷いた。
「前の担当さん、一時間で倒れちゃったんだよね」
悠人は震える声で尋ねた。
「ちなみに、その人は……?」
「助かったよ」
「本当ですか!」
「片腕はなくなったけど」
「帰りたい……」
異世界不動産でのアルバイト生活は、まだ始まったばかりだった。
ブックマーク、リアクション、評価をしていただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。




