第47話 王城からの依頼
影の屋敷の一件から五日後。
異世界不動産には、珍しく依頼のない朝が訪れていた。
悠人は店内の窓を開ける。
春の風が静かに吹き抜けた。
「平和ですね。」
「そうだな。」
レオンは新聞を読みながら答える。
「事故物件が動かない日は静かだ。」
「動かれる方がおかしいんですよ。」
悠人が苦笑すると、リリとクロも小さく笑った。
ミリアは机で報告書を書いている。
影の屋敷の管理契約書。
定期巡回の日程。
点検項目。
完全に不動産会社の仕事だった。
◇
カラン。
店の扉が開く。
入ってきたのは、一人の女性だった。
白い騎士団の制服。
腰には細身の剣。
胸元には王家の紋章。
「失礼します。」
店内の空気が少し変わる。
王城の人間だ。
女性騎士はガルへ向かって一礼する。
「王城より参りました。」
「近衛騎士団所属、セシリアです。」
「王城?」
悠人は思わず聞き返した。
「はい。」
「国王陛下から正式な依頼です。」
リリが目を丸くする。
「国王様から?」
「はい。」
セシリアは革製の筒から、一通の封書を取り出した。
赤い封蝋。
王家の紋章。
間違いなく正式な書状だった。
ガルは静かに受け取る。
封を切り、中へ目を通す。
数秒後。
静かに書状を閉じた。
「営業。」
「はい。」
「王城へ行く。」
「また事故物件ですか?」
悠人が尋ねる。
ガルは短く答えた。
「ああ。」
「今回は。」
「王城そのものだ。」
店内が静まり返る。
「え?」
悠人は耳を疑った。
「王城が事故物件?」
そんな話は聞いたことがない。
国の中心。
最も安全であるはずの場所。
そこが事故物件になっているという。
セシリアは少し困ったように微笑む。
「正式には事故物件ではありません。」
「ですが。」
「誰も住めない部屋があります。」
ガルは立ち上がる。
「行くぞ。」
異世界不動産史上最大の依頼。
その舞台は、王国の中心だった。
その日の午後。
悠人たちはセシリアに案内され、王城へ到着した。
巨大な白亜の城。
高い城壁。
美しく整えられた庭園。
王都のどこからでも見える、この国の象徴だった。
「すごい……。」
悠人は思わず見上げる。
「初めて来ました。」
「普通は来ない。」
ガルが歩きながら答える。
「縁がない場所だ。」
正門を抜けると、近衛騎士たちが一斉に敬礼した。
「ガル殿。」
「お待ちしておりました。」
その姿に悠人は目を丸くする。
「店長。」
「知り合いなんですか?」
「昔な。」
それだけだった。
詳しくは話さない。
レオンは横で小さく笑っている。
「店長。」
「昔、いろいろやってたからな。」
「気になる言い方ですね……。」
◇
一行は王城の奥へ案内される。
豪華な廊下。
赤い絨毯。
壁には歴代国王の肖像画。
使用人たちが忙しく行き交っていた。
しかし。
城の東棟へ入った瞬間。
空気が変わる。
静かだった。
人がいない。
明かりも少ない。
「この辺りです。」
セシリアが立ち止まる。
目の前には、大きな木製の扉。
金色の装飾が施された立派な部屋だった。
だが。
扉には何本もの封印用の鎖が巻かれている。
「ここが事故物件ですか?」
悠人が尋ねる。
「はい。」
セシリアは静かに頷いた。
「『東の客室』と呼ばれています。」
「百年以上。」
「誰も一晩過ごせません。」
「理由は?」
ガルが短く尋ねる。
「夜になると。」
「部屋の中から誰かがノックするんです。」
コン。
コン。
コン。
まるで答えるように。
扉の向こうから、小さな音が響いた。
全員の動きが止まる。
「今……。」
悠人の顔が引きつる。
「昼ですよね?」
セシリアも青ざめる。
「本来は。」
「夜しか鳴らないはずです。」
コン。
コン。
コン。
再び静かなノックが響く。
ガルは鎖の巻かれた扉を見つめ、小さく息を吐いた。
「営業。」
「はい。」
「予定変更だ。」
「今から内見する。」
悠人は思わず天井を見上げた。
「昼でも事故物件は待ってくれないんですね……。」
その言葉と同時に。
扉の向こうから、今度はゆっくりとドアノブが回り始めた。
ギィ……。
ドアノブがゆっくりと回る。
鎖で何重にも封じられているはずなのに。
内側から誰かが開けようとしている。
悠人は思わず後ずさった。
「店長。」
「誰かいます。」
「ああ。」
ガルは落ち着いたまま扉の前へ立つ。
セシリアが慌てて制止した。
「お待ちください!」
「危険です!」
「この部屋へ入った者は、全員翌朝には倒れているんです!」
「死者は?」
ガルが尋ねる。
「……いません。」
「なら入れる。」
「えっ?」
悠人は思わず聞き返した。
「店長、その判断基準なんですか。」
「死なないなら調査できる。」
「いや、倒れるのも十分危険です。」
レオンが吹き出した。
「新人の言うことももっともだ。」
◇
ミリアは扉へ近付き、封印を調べる。
「この鎖。」
「封印じゃありません。」
「違うのか?」
「はい。」
「外から閉じ込めるための物ではなく。」
「中から開かないように固定しているだけです。」
「つまり。」
悠人は嫌な予感がした。
「中の人は。」
「出たがっている?」
ミリアは静かに頷いた。
◇
ガルは鎖へ手を掛ける。
セシリアの表情が変わる。
「待ってください!」
「開けてはいけません!」
「百年間。」
「誰も開けなかった部屋なんです!」
ガルは静かに答える。
「だから原因が分からない。」
「調べる。」
ガチャリ。
一本目の鎖を外す。
続いて二本目。
三本目。
重い金属音が廊下へ響く。
コン。
コン。
ノックの音が止んだ。
代わりに。
部屋の向こうから、小さな声が聞こえた。
「……やっと。」
少女の声だった。
「来てくれた。」
悠人たちは顔を見合わせる。
「女の子?」
リリが小さく呟く。
クロも静かに耳を澄ませる。
「泣いています。」
◇
最後の鎖が外れる。
ガルはドアノブへ手を掛けた。
「開ける。」
誰も止めなかった。
ゆっくりと扉が開く。
ギィィ……。
部屋の中は驚くほど綺麗だった。
家具には埃一つない。
窓からは夕日が差し込んでいる。
そして。
窓際の椅子へ、一人の少女が座っていた。
年は十五、六歳ほど。
金色の長い髪。
白いワンピース。
静かに本を読んでいる。
まるで普通の令嬢だった。
少女は本を閉じると、悠人たちへ微笑んだ。
「こんにちは。」
「百十二年ぶりのお客様ですね。」
その笑顔には、どこか寂しさが滲んでいた。
しかし。
悠人の視線は少女ではなく、その後ろへ向いていた。
壁に掛けられた大きな時計。
その針だけが。
百十二年前の日付で止まっていた。




