第46話 屋敷との交渉
「売りたくない……?」
悠人は思わず聞き返した。
ガルは静かに頷く。
「この屋敷は意思を持っている。」
「だから所有者を外へ出さない。」
「そんなことが……。」
悠人は壁を見つめた。
普通の家ではないとは思っていた。
しかし、建物そのものに意思があるなど想像もしなかった。
「店長。」
「家と話せるんですか?」
「話せない。」
「じゃあどうするんです?」
「交渉する。」
悠人は頭を抱えた。
家と交渉。
また訳の分からない仕事が始まるらしい。
◇
ガルは玄関ホールへ移動した。
誰も何も言わず後に続く。
広いホールの中央で立ち止まると、ゆっくりと床へ手を置いた。
「管理責任者、ガル。」
静かな声が屋敷へ響く。
「異世界不動産。」
「物件調査に来た。」
返事はない。
数秒の沈黙。
その時だった。
カタッ。
玄関の扉が勝手に閉まる。
続いて窓も閉じた。
「返事しましたね。」
ミリアが小さく呟く。
「聞こえている。」
ガルは続ける。
「所有者の退去希望を確認した。」
「理由を聞きたい。」
また静寂。
すると。
ギシ……。
床がゆっくりと軋む。
壁が小さく震える。
シャンデリアが揺れた。
まるで屋敷全体が考えているようだった。
◇
突然。
玄関ホールの壁へ文字が浮かび上がる。
淡い金色の光。
一文字ずつゆっくり現れる。
『イヤダ』
悠人は目を丸くした。
「しゃべった!」
「文字だけどな。」
レオンが笑う。
続いて新しい文字が現れる。
『ヒトリニナル』
エレナが小さく息を呑む。
「……。」
執事も静かに目を閉じた。
屋敷は売られたくないのではない。
エレナがいなくなることを恐れていた。
◇
悠人は屋敷を見回す。
百年間。
誰も来ない。
誰も住まない。
それでも屋敷は壊れず、主人だけを守り続けた。
「寂しかったのか。」
思わず呟く。
その瞬間。
壁の文字がゆっくり変わる。
『サビシイ』
リリが胸へ手を当てた。
「返事した……。」
クロも静かに頷く。
「感情があります。」
ガルは壁へ近付き、小さく笑った。
「そうか。」
「なら話は早い。」
悠人は嫌な予感しかしなかった。
店長が笑う時は、大抵何か思い切ったことを言う。
そして予感は当たる。
ガルは屋敷へ向かって静かに告げた。
「売らない。」
その一言に、全員が驚いてガルを見た。
「えっ!?」
悠人の声が屋敷中へ響いた。
「売らない?」
悠人は思わず聞き返した。
「依頼は売却ですよね?」
「ああ。」
ガルは落ち着いたまま頷く。
「だが。」
「売る必要はない。」
「え?」
依頼内容がひっくり返った。
悠人だけでなく、依頼人のエレナも驚いている。
「でも私は……。」
「この屋敷から出られません。」
「だから売ってしまえば。」
ガルは静かに首を横へ振った。
「問題は屋敷じゃない。」
「お前だ。」
エレナは目を丸くする。
「私……ですか?」
「百年間。」
「一度も出ようとしなかったな。」
その言葉にエレナは黙ってしまう。
「確かに最初は出ようとしました。」
「でも。」
「何度やっても戻される。」
「だから諦めました。」
「それから百年。」
「誰にも相談しなかった。」
静かな声だった。
責めるような言い方ではない。
事実を確認しているだけだった。
◇
ガルは壁へ手を置く。
「お前も同じだ。」
屋敷へ話しかける。
「主人を守る。」
「それだけ続けた。」
壁が小さく揺れる。
まるで頷くように。
「結果。」
「二人とも百年間閉じ込められた。」
屋敷は返事をしない。
代わりに壁へ文字が浮かぶ。
『マモル』
「分かってる。」
ガルは短く答える。
「だが。」
「守ることと閉じ込めることは違う。」
その一言で屋敷は静かになった。
◇
悠人は壁の文字を見つめる。
少しずつ。
本当に少しずつ。
文字が変わっていく。
『デモ』
『ソトハ』
『アブナイ』
エレナは寂しそうに笑う。
「この子は昔から心配性なんです。」
「子?」
悠人が聞き返す。
「私が建てた家です。」
「だから。」
「ずっと家族みたいなものなんです。」
百年前。
エレナはこの屋敷で暮らしていた。
家族も。
使用人も。
友人もいた。
しかし時が流れ。
皆いなくなった。
残ったのは。
エレナと屋敷だけだった。
◇
その時。
ガルは執事へ視線を向ける。
「一つ聞く。」
「はい。」
「今の所有者は誰だ。」
執事は迷わず答えた。
「エレナ様でございます。」
「名義変更は?」
「百年間、一度も行われておりません。」
ガルは小さく頷いた。
「なら簡単だ。」
悠人は嫌な予感しかしない。
「店長。」
「何を考えてるんです?」
ガルは当然のように答えた。
「売却ではない。」
「管理契約だ。」
店内……いや、屋敷の空気が一瞬止まる。
「この屋敷は売らない。」
「異世界不動産が管理する。」
その提案に、屋敷全体が大きく揺れた。
まるで驚いたように。
屋敷全体が静まり返る。
「異世界不動産が……。」
「管理する?」
エレナは信じられないという表情でガルを見る。
ガルは静かに頷いた。
「ああ。」
「所有者は変えない。」
「屋敷も残す。」
「管理だけ引き受ける。」
悠人も少しずつ店長の考えが分かってきた。
「つまり。」
「売却じゃなくて管理委託契約ですね。」
「ああ。」
「事故物件専門だからな。」
レオンが笑う。
「結局いつもの仕事か。」
ミリアも納得したように頷いた。
「定期点検。」
「設備確認。」
「異常発生時の対応。」
「今までと変わりません。」
◇
エレナはゆっくり屋敷を見回す。
百年間。
ずっと一人だった。
この屋敷だけが、自分を守り続けてくれた。
「……本当に。」
「いいんですか?」
ガルは短く答える。
「ああ。」
「家は住んで終わりじゃない。」
「管理してこそ価値がある。」
その言葉にエレナは小さく笑った。
「不思議な不動産屋さんですね。」
「よく言われる。」
レオンが肩をすくめる。
◇
その時だった。
玄関ホールの壁が淡く光る。
金色の文字がゆっくり浮かび上がる。
『イイ』
続いて。
『アリガトウ』
屋敷全体がふわりと震えた。
先ほどまでの重苦しい空気は消えている。
暖かな風が窓から吹き込んできた。
ミリアが驚いた顔になる。
「空間が安定しています。」
「拒絶反応が消えました。」
クロも静かに頷く。
「屋敷が安心しています。」
◇
エレナは玄関へ歩く。
百年間。
何度も失敗した扉。
静かに手を掛ける。
「開きます。」
執事が扉を開いた。
外には王都の街並みが見える。
エレナは恐る恐る一歩踏み出した。
悠人は固唾をのんで見守る。
今までなら。
ここで玄関へ戻されるはずだった。
しかし。
何も起こらない。
エレナはゆっくり二歩目を踏み出す。
三歩。
四歩。
王都の石畳の上へ立った。
「……出られた。」
その声は震えていた。
百年ぶりの外の空気。
王都の風。
夕焼け。
すべてが初めて見る景色のようだった。
思わず空を見上げる。
涙が一筋、頬を伝う。
◇
悠人は少しだけ笑った。
「売らなくてよかったですね。」
「ああ。」
ガルも短く頷く。
「原因は建物じゃなかった。」
「管理方法だった。」
異世界不動産は今日もまた、一軒の事故物件を救った。
建物を壊すことも。
売ることもなく。
そこに住む人と、住まいの両方を守るという形で。
これが。
異世界不動産の仕事だった。




