第45話 影の屋敷
「営業。」
「はい。」
「行くぞ。」
ガルは迷うことなく建物の影へ歩き出した。
「えっ、本当に入るんですか?」
悠人は影を見る。
ただの影ではない。
黒い水面のように揺れている。
どう見ても入りたくない。
「事故物件ですから。」
ミリアが小さく笑う。
「調査しないと始まりません。」
「最近、その言葉を聞くと嫌な予感しかしないんですけど。」
レオンが肩を叩いた。
「慣れろ。」
「無理です。」
いつものやり取りに、リリがくすりと笑う。
◇
執事の老人は影の前で立ち止まった。
「どうぞ。」
「足元をお気を付けください。」
「影に足元ってあるんですか?」
悠人が恐る恐る片足を伸ばす。
影へ触れた瞬間。
波紋が広がった。
ズブリ。
足が沈む。
「うわっ!」
慌てて引き抜こうとするが、抵抗はない。
まるで水の中へ入ったようだった。
「大丈夫です。」
執事は穏やかに微笑む。
「危険はございません。」
「その言葉、信用できないんですよね。」
悠人はぼやきながら、一歩踏み出した。
視界が黒く染まる。
身体がふわりと浮いた。
次の瞬間。
眩しい光が目へ飛び込んできた。
◇
「……え?」
悠人は思わず立ち尽くく。
目の前には巨大な屋敷が建っていた。
先ほどまで見ていた三階建ての建物ではない。
白い石造りの大邸宅。
噴水。
庭園。
色鮮やかな花々。
空には夕焼けが広がっている。
「別世界……。」
リリが小さく呟く。
クロも辺りを見回した。
「外と季節が違います。」
確かに。
王都は秋だった。
しかしここでは春の花が咲いていた。
暖かな風まで吹いている。
「空間が切り離されています。」
ミリアが静かに分析する。
「外とは時間も環境も一致していません。」
悠人は屋敷を見上げる。
「これ全部。」
「建物の中なんですか?」
「はい。」
執事は深く一礼した。
「こちらが、本来のお屋敷でございます。」
「外から見えている建物は。」
「ほんの入口に過ぎません。」
悠人は頭を抱えた。
「入口が三階建てで。」
「本体はお城ですか……。」
「よくあることだ。」
ガルが当然のように答える。
「いや、ありません。」
即座に否定した。
レオンが吹き出す。
「新人も少しは慣れてきたな。」
「慣れたくありません。」
◇
執事は玄関の扉を静かに開く。
「主人がお待ちです。」
その言葉と同時に。
ギィィ……。
屋敷の奥から、どこか懐かしいオルゴールの音色が聞こえてきた。
悠人は胸に小さな違和感を覚える。
初めて来た場所のはずなのに。
この音を、どこかで聞いた気がした。
オルゴールの音色に導かれるように、一行は屋敷の中へ足を踏み入れた。
玄関ホールは息をのむほど広い。
真っ赤な絨毯。
白い大理石の床。
二階へ続く大階段。
天井からは巨大なシャンデリアが吊り下がっている。
「……すごい。」
悠人は思わず見上げた。
「王城より立派じゃないですか。」
「建物自体は非常に価値が高いですね。」
ミリアが壁を調べる。
「素材も失われた古代技術です。」
「売れば高そうですね。」
悠人が何気なく言うと、執事は困ったように微笑んだ。
「それが難しいのでございます。」
「誰も最後まで住めません。」
事故物件である理由は、まだそこにあった。
◇
執事に案内され、応接室へ入る。
長いテーブル。
暖炉。
本棚。
どこも埃一つない。
まるで今も誰かが暮らしているようだった。
「本当に誰もいないんですか?」
悠人が尋ねる。
「主人だけでございます。」
執事は静かに答える。
「使用人は私一人。」
「他の者は?」
「百年前に全員辞めました。」
「百年?」
悠人は思わず聞き返す。
「はい。」
「主人が変わらないものですから。」
「……。」
誰も突っ込めなかった。
百年働く執事も十分おかしい。
◇
その時。
コン。
コン。
二階から足音が聞こえた。
全員が階段を見る。
ゆっくりと一人の女性が降りてくる。
銀色の長い髪。
黒いドレス。
年齢は二十代前半ほどに見える。
透き通るような白い肌。
その姿には気品があった。
女性は階段を下り切ると、一行へ優雅に一礼する。
「ようこそ。」
「影の屋敷へ。」
静かな声だった。
「私は、この屋敷の所有者。」
「エレナと申します。」
悠人たちも挨拶を返す。
「異世界不動産の佐藤悠人です。」
「店長のガルです。」
簡単な自己紹介を終えると、エレナは少しだけ寂しそうに笑った。
「百年ぶりのお客様です。」
「本来なら歓迎のお茶をお出ししたいのですが……。」
そこで言葉が止まる。
「その前に、一つだけお願いがあります。」
ガルが短く答える。
「内容は。」
エレナは窓の外へ目を向けた。
庭園では色とりどりの花が風に揺れている。
穏やかな景色だった。
だが、その表情は曇っていた。
「この屋敷を。」
「売ってください。」
悠人は目を丸くした。
「え?」
「この屋敷の持ち主なのに?」
「はい。」
エレナは静かに頷く。
そして、小さな声で続けた。
「私は……。」
「この屋敷から、一歩も外へ出られないのです。」
部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。
応接室が静まり返る。
「外へ出られない?」
悠人は思わず聞き返した。
エレナは静かに頷く。
「正確には、この屋敷の敷地から出られません。」
「門へ近付くことはできます。」
「ですが、一歩でも外へ出ようとすると……。」
そこで言葉を切る。
「戻されます。」
「戻される?」
「はい。」
「気付けば、いつも屋敷の玄関に立っています。」
悠人は眉をひそめた。
「転移魔法ですか?」
ミリアは首を横に振る。
「違います。」
「転移なら魔力反応があります。」
「でも、この屋敷にはありません。」
「つまり原因不明。」
レオンが腕を組む。
「厄介だな。」
◇
ガルは部屋の中を静かに見回していた。
壁。
窓。
暖炉。
天井。
何かを探しているようだった。
「店長?」
悠人が声を掛ける。
ガルは暖炉の前で足を止めた。
「埃がない。」
「え?」
「百年誰も来ていない。」
「なのに屋敷が綺麗すぎる。」
悠人は辺りを見回す。
確かに。
家具は磨かれ。
床も光っている。
庭も手入れされていた。
「執事さんが掃除を?」
悠人が尋ねる。
執事は穏やかに微笑んだ。
「もちろん私も掃除いたします。」
「ですが。」
「屋敷そのものが、自ら修復しております。」
「自分で?」
リリが目を丸くする。
「そんな家あるんですか?」
「初めて見ます。」
クロも静かに呟いた。
◇
エレナは申し訳なさそうに頭を下げる。
「この屋敷は、生きています。」
「傷付いても直ります。」
「汚れても綺麗になります。」
「誰も住んでいなくても、百年間ずっと変わりません。」
悠人は言葉を失った。
売れない理由がもう一つあった。
家が勝手に生きている。
普通の人が住めるわけがない。
◇
その時だった。
ガタッ。
応接室の椅子が一人でに動く。
続いて本棚。
暖炉の火。
カーテン。
屋敷全体がゆっくりと揺れ始める。
「またですか……。」
エレナが小さく呟く。
「屋敷が。」
「機嫌を悪くしました。」
「家に機嫌があるんですか?」
悠人は思わず声を上げる。
その瞬間。
ドォン!
屋敷全体が大きく揺れた。
天井から埃が落ちる。
シャンデリアが激しく揺れる。
執事は慌てる様子もなく一礼した。
「申し訳ございません。」
「主人以外のお客様が来ると、時々こうなるのでございます。」
悠人は頭を抱えた。
「つまり。」
「この家、人見知りなんですか?」
「その表現が一番近いかもしれません。」
エレナは苦笑した。
ガルは静かに立ち上がる。
そして壁へそっと手を当てる。
しばらく黙っていたが、小さく呟いた。
「そういうことか。」
「店長?」
悠人たちが振り向く。
ガルは壁から手を離し、静かに言った。
「この屋敷。」
「売りたくないらしい。」
その一言で、全員が壁を見つめた。
まるで返事をするように。
トン。
壁の向こうから、小さく音が返ってきた。
異世界不動産史上、最も頑固な"住人"との交渉が始まろうとしていた。




