第44話 王都の大事件
第六管理区画から戻って三日後。
異世界不動産には、久しぶりに穏やかな朝が訪れていた。
悠人は店先を掃除している。
リリは花壇へ水をやり、クロは店内の棚を整えていた。
ミリアは書類整理。
レオンは椅子に座って新聞を読んでいる。
そしてガルは、いつものようにカウンターでコーヒーを飲んでいた。
平和だった。
「こういう日もあるんですね。」
悠人が笑う。
「毎日事故物件じゃないんだ。」
「その方が店としては正常だ。」
ガルは静かに答える。
確かにその通りだった。
◇
カラン。
店の扉が開く。
入ってきたのは、一人の若い男性だった。
高級そうな服。
革靴。
肩から大きな鞄を提げている。
「すみません。」
「異世界不動産はこちらでしょうか。」
「はい。」
悠人が応対する。
「物件をお探しですか?」
男性は首を横へ振った。
「いえ。」
「建物を売りたいんです。」
「売却ですか?」
「はい。」
珍しい依頼だった。
今までは事故物件の調査や管理ばかり。
物件売却の相談は初めてである。
悠人は男性を応接室へ案内した。
◇
「どのような建物でしょう。」
男性は鞄から書類を取り出す。
「王都中央区。」
「三階建て。」
「元商業施設です。」
悠人は目を丸くした。
王都中央区。
一等地だった。
「そんな場所なら普通の不動産屋でも売れますよね?」
男性は苦笑する。
「売れません。」
「理由があります。」
その一言で空気が変わる。
レオンが新聞を畳んだ。
ミリアも手を止める。
ガルだけは静かにコーヒーを置いた。
「理由は。」
短く尋ねる。
男性は小さく息を吸う。
そして静かに答えた。
「建物が。」
「毎晩、一階ずつ消えるんです。」
店内が静まり返った。
「……消える?」
悠人は聞き返す。
「はい。」
「朝になると元へ戻っています。」
「でも夜になると。」
「また一階ずつ消えるんです。」
悠人は意味が分からなかった。
幽霊ならまだ分かる。
呪いでも分かる。
だが。
建物そのものが消える。
そんな事故物件は聞いたことがない。
ガルは立ち上がる。
「営業。」
「はい。」
「現地確認だ。」
新たな依頼。
それは今までで最も不可解な事故物件だった。
その日の午後。
悠人たちは依頼人に案内され、王都中央区へやって来た。
「うわ……。」
悠人は思わず声を漏らす。
大通りには人が溢れ、露店が並び、馬車が行き交っている。
王都で最も栄えている場所だった。
「こんな場所に事故物件があるなんて。」
「だから困っている。」
依頼人は苦笑した。
「営業が終わるたびに店が消えるなんて噂になってしまって。」
「周りの店も迷惑しています。」
しばらく歩くと、一軒の建物が見えてきた。
三階建ての石造り。
外壁も新しく、大きなガラス窓が並んでいる。
事故物件には見えない。
「普通ですね。」
悠人が建物を見上げる。
「見た目はな。」
レオンも腕を組む。
「夜までは。」
依頼人が入口の鍵を開ける。
店内へ入る。
広い一階。
商品棚。
カウンター。
階段。
どこもきれいに掃除されていた。
「異常ありませんね。」
悠人が周囲を確認する。
ミリアも魔力を探る。
「呪いなし。」
「結界なし。」
「魔法反応もありません。」
「封印施設でもない。」
クロも静かに頷く。
「普通の建物です。」
ガルは一階から三階まで歩き回る。
壁。
床。
柱。
窓枠。
一本ずつ確かめていく。
まるで本当に建物の点検だった。
「店長。」
悠人が声を掛ける。
「何かありますか?」
ガルは床へしゃがみ込んだ。
「これ。」
床板の継ぎ目を指差す。
ほんのわずか。
木材の色が違う。
「張り替えてあります。」
依頼人が頷いた。
「消えた時に壊れるので。」
「毎回修理してるんです。」
「毎回?」
「はい。」
「毎晩です。」
悠人は頭が痛くなった。
修理代だけでも相当な金額になる。
「売りたくなる気持ちも分かります。」
「でしょう?」
依頼人は疲れ切った笑顔を見せた。
◇
日が傾き始める。
外は夕焼けに染まり、人通りも少しずつ減ってきた。
「もうすぐです。」
依頼人が時計を見る。
「毎日、日没と同時に始まります。」
悠人は固唾を呑む。
リリもクロの後ろへ隠れる。
レオンは壁にもたれ、腕を組んだ。
ガルだけは静かに建物の中央へ立つ。
そして。
王都へ夜の鐘が鳴り響いた。
ゴォォォン――。
その瞬間。
建物全体が小さく震える。
「来ます!」
依頼人が叫ぶ。
悠人は目の前の柱を見つめた。
次の瞬間。
柱が。
壁が。
床が。
まるで霧になるように、ゆっくりと透け始めた。
「なっ……!」
建物が、本当に消え始めていた。
「消えてる……!」
悠人は目を見開いた。
目の前の柱がゆっくりと透けていく。
壁も。
床も。
天井も。
一階全体が白い霧へ溶けるように姿を消していった。
「全員外へ!」
ガルが指示を飛ばす。
悠人たちは急いで建物の外へ飛び出した。
通りの向かい側まで退避する。
そして振り返る。
「……。」
誰も言葉が出なかった。
一階だけが消えている。
二階と三階は空中に浮いたまま。
落ちる気配すらない。
まるで見えない土台が存在するようだった。
通行人たちは驚きもしない。
「ああ、始まったか。」
「今日は少し遅いな。」
日常会話のように話している。
悠人は目を丸くした。
「みんな慣れてる……。」
「毎日だからな。」
依頼人が苦笑する。
「最初は大騒ぎでした。」
「今では王都名物ですよ。」
「そんな名物いりませんよ。」
悠人は思わず突っ込んだ。
◇
ミリアが建物へ魔力を飛ばす。
しかし。
首を横へ振った。
「やっぱり分かりません。」
「魔法ではありません。」
「呪いでもありません。」
「建物自体は存在しています。」
「でも、一階だけが別の場所へ移動しています。」
「移動?」
悠人が聞き返す。
ミリアも困ったような表情になる。
「説明できません。」
「空間そのものが重なっています。」
その時だった。
ガルが静かに地面を見ていた。
「営業。」
「はい。」
「影を見ろ。」
悠人は建物の足元を見る。
影だけは三階建てのままだった。
消えたはずの一階まで、影には映っている。
「おかしい……。」
クロも小さく呟く。
「影だけ残っています。」
その瞬間だった。
影が揺れた。
水面へ石を落としたように波紋が広がる。
悠人は思わず一歩下がる。
「店長。」
「ああ。」
ガルは剣へ手を添えた。
影の中央が盛り上がる。
黒い水面から何かが浮かび上がってくる。
最初に現れたのは黒い革靴だった。
続いて脚。
胴体。
腕。
最後に、一人の老人がゆっくり姿を現す。
黒い燕尾服。
白い手袋。
背筋を真っすぐ伸ばした執事だった。
老人は周囲を見回し、悠人たちへ深く一礼する。
「お待ちしておりました。」
穏やかな笑顔だった。
「異世界不動産の皆様。」
悠人は息を呑む。
「俺たちを知ってる……?」
老人は静かに微笑む。
「もちろんです。」
「主がお会いしたいそうです。」
「主?」
老人はゆっくりと、影の中へ視線を向ける。
「この屋敷の、本当の所有者でございます。」
その瞬間。
建物の影が大きく揺れた。
まるで別世界への入口が開くように。
ガルは迷わず一歩前へ出る。
「営業。」
「はい。」
「内見だ。」
悠人は苦笑しながら頷いた。
どんな世界でも。
異世界不動産の仕事は変わらない。
まずは、物件を見ることから始まるのだった。




