第41話 本当の管理対象
ゴゴゴゴゴ……。
地下保守区画が大きく揺れる。
巨大な扉の隙間から漏れ出す黒い霧は、床を這うように広がっていた。
悠人は思わず後ずさる。
「これ……。」
「魔力ですか?」
ミリアは霧へ手をかざした。
しかし、すぐに表情を曇らせる。
「違います。」
「魔力ではありません。」
「もっと古い……何かです。」
老人が静かに頷く。
「三百年前から封じられてきたものだ。」
「管理人は代々、この扉だけを守ってきた。」
悠人は巨大な扉を見上げる。
高さは十五メートルほど。
黒い金属で造られ、その表面には幾重もの鎖が巻き付いている。
だが、その鎖も半分以上が切れていた。
「寿命ですね。」
クロが静かに呟く。
「全部が限界です。」
ガルは扉へ近付き、金属へ触れる。
冷たい。
しかし、その奥から微かな鼓動が伝わってくる。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な心臓だった。
悠人の顔色が変わる。
「この感覚……。」
覚えている。
監視塔。
氷雪城。
地下都市アーク。
封印施設で何度も感じた鼓動だった。
「店長。」
「中にいます。」
「ああ。」
ガルも短く答える。
その時だった。
ゴーレムが再び口を開く。
『管理責任者へ報告。』
『封印維持率、八・七%。』
『崩壊予測、六十七時間。』
数字はさらに減っていた。
「早くなってる。」
悠人が呟く。
「地鳴りのたびに結界が削られています。」
ミリアが説明する。
「このままでは三日ももちません。」
レオンは巨大な扉を見つめる。
「壊れる前に直す。」
「それが仕事だろ。」
「そうだ。」
ガルは静かに頷いた。
老人が苦笑する。
「昔も同じことを言われたよ。」
「先代の管理責任者にな。」
悠人は耳を疑う。
「先代?」
老人はガルを見る。
「お前さんの師匠だ。」
店内……いや、地下保守区画の空気が変わる。
ガルが師匠の話をされても、表情は変わらない。
しかし、その目だけがわずかに細くなった。
「知っていたんですか?」
悠人が尋ねる。
「昔、一緒にここを修繕した。」
老人は懐かしそうに笑う。
「二十年前だ。」
「その時も結界は壊れかけていた。」
「でも、何とか直した。」
悠人は少し安心する。
「じゃあ今回も。」
老人はゆっくり首を横へ振った。
「無理だ。」
「え?」
「今回は根本が違う。」
老人は震える指で巨大な扉を指差した。
「中から。」
「誰かが封印を叩いている。」
全員が息を呑む。
ドン。
その瞬間。
巨大な扉の向こうから、確かに何かが叩く音が響いた。
まるで――
「出してくれ。」
そう訴えるように。
ドン。
再び扉が鳴る。
地下保守区画全体が小さく震えた。
悠人は息をのむ。
「今……。」
「叩きましたよね。」
「ああ。」
ガルは扉から目を離さない。
老人も静かに頷いた。
「昨日までは一日に一度だった。」
「今日はもう三回目だ。」
つまり。
封印の向こうにいる何かは、確実に目覚めつつある。
その時。
「店長。」
ミリアが結界核を調べながら声を上げる。
「封印そのものより、魔力供給が止まりかけています。」
「原因は。」
「地下配管です。」
先ほど見た保守用配管。
あちこちから魔力が漏れていた。
「結界核まで魔力が届いていません。」
「だから封印が弱っているんです。」
悠人は少し安心した。
「つまり。」
「配管を直せば時間は稼げる?」
「はい。」
「完全修復は無理ですが、応急処置なら。」
ガルは即座に判断した。
「作業開始。」
「営業。」
「はい。」
「老人を避難させろ。」
「クロとリリも護衛につける。」
「分かりました。」
クロは静かに頷く。
「任せてください。」
老人は立ち上がろうとする。
「わしも残る。」
しかし足元がふらついた。
悠人が慌てて支える。
「無理です。」
「ここは俺たちに任せてください。」
老人は少しだけ笑った。
「異世界不動産も。」
「いい店になったな。」
その言葉に悠人は少し照れくさくなる。
◇
ガルたちはすぐに作業へ取り掛かった。
ミリアは漏れた魔力管へ魔法陣を描く。
レオンは崩れた配管を持ち上げる。
ガルは新しい固定具を取り付けていく。
その姿は戦士というより職人だった。
「本当に修理してる。」
悠人は思わず笑う。
「だから不動産屋だ。」
レオンも笑い返した。
その時だった。
ドンッ!!
今までで一番大きな衝撃が地下を揺らした。
天井から砂が落ちる。
巨大な扉へ新しい亀裂が一本走る。
ミリアの顔色が変わる。
「まずい!」
「封印が先に壊れます!」
ガルは作業を止めない。
「あと何分だ。」
「応急修理なら五分!」
「十分だ。」
「いや!」
ミリアが叫ぶ。
「向こうは五分も待ってくれません!」
まるでその言葉に応えるように。
ドン!!
ドン!!
ドン!!
巨大な扉が連続で叩かれる。
鎖が悲鳴を上げる。
一本。
また一本。
音を立てて千切れていく。
悠人は扉を見つめた。
もう時間がない。
本当に。
あと少しで――
封印が開く。
バキンッ!!
太い鎖が一本、音を立てて弾け飛んだ。
続いて二本目。
三本目。
巨大な扉を縛っていた封印が、次々と力を失っていく。
「急げ!」
レオンが崩れた配管を押さえながら叫ぶ。
「もう少しです!」
ミリアは魔法陣へ魔力を注ぎ続ける。
床いっぱいに描かれた陣が青白く輝き始めた。
ガルは最後の固定具を打ち込む。
カンッ!
カンッ!
金属音が地下へ響く。
悠人も工具箱から資材を取り出し、ガルへ手渡す。
「店長!」
「次です!」
「ああ。」
短いやり取りだけで作業は進んでいく。
まるで何年も一緒に働いてきた職人のようだった。
その時。
ドォォン!!
今までで最大の衝撃が地下保守区画を襲う。
巨大な扉の中央に、大きな亀裂が走った。
黒い霧が一気に噴き出す。
冷たい。
それなのに肌が焼けるような感覚。
悠人は思わず腕で顔をかばった。
「店長!」
「間に合いません!」
ミリアが叫ぶ。
ガルは最後のボルトを締め上げる。
「営業。」
「結界核だ。」
「はい!」
悠人は迷わず広間中央の結界核へ駆け寄った。
黒く変色していた巨大な水晶。
その表面には無数の亀裂が広がっている。
「どうすれば!」
「右側だ。」
ガルが叫ぶ。
「補助魔力口へ魔石を入れろ!」
悠人は工具箱の中を探す。
応急用魔石。
見つけた。
急いで結界核の台座へ差し込む。
カチッ。
その瞬間。
ゴォォォォ……。
結界核が再び青く輝き始めた。
地下を流れる配管へ光が走る。
一本。
また一本。
途切れていた魔力が施設全体へ戻っていく。
ゴーレムの瞳も青く点灯した。
『結界出力、回復。』
『十二%。』
『十八%。』
『二十七%。』
ミリアが息をのむ。
「上がってる!」
「成功です!」
その瞬間だった。
ドン。
扉の向こうから聞こえていた衝撃が、ぴたりと止んだ。
静寂。
誰も動かない。
耳を澄ませる。
何も聞こえない。
黒い霧も少しずつ薄れていく。
ゴーレムが報告する。
『封印維持率、三十二%。』
『崩壊予測を解除。』
『応急修復、正常終了。』
地下保守区画に安堵の空気が流れた。
悠人はその場へ座り込む。
「終わった……。」
「いや。」
ガルが静かに結界核を見つめる。
「終わってない。」
全員が振り向く。
「これは応急処置だ。」
「数か月以内に結界核そのものを交換しなければ、また同じことが起きる。」
老人もゆっくり頷いた。
「その通りじゃ。」
「この施設は寿命を迎えておる。」
悠人は立ち上がり、巨大な扉を見つめた。
向こう側にいる"何か"は、まだ封印されたまま。
だが、完全に消えたわけではない。
いつか再び、この場所へ戻って来る日が来る。
それでも今日は違う。
異世界不動産は管理物件を守り、人の命を救った。
それが、この店の仕事だった。
地下保守区画を後にする一行の背中を、青く輝きを取り戻した結界核が静かに照らしていた。




