第38話 第六封印の反応
夜明け。
異世界不動産の店内には、いつもの穏やかな時間が流れていた。
リリが床を掃き、クロは管理物件の報告書を整理している。
ミリアは机いっぱいに契約書を広げ、レオンは朝食を食べながら新聞を読んでいた。
「平和ですね。」
悠人が笑う。
「ここ数日は。」
「ようやくだ。」
レオンも頷く。
「事故物件じゃない依頼が続くと安心する。」
「お前、それ不動産屋としてどうなんだ。」
悠人が苦笑すると、店内に笑いが広がる。
ガルだけは静かに書類へ目を通していた。
その時だった。
ドンッ!!
店の扉が勢いよく開く。
全員が入口を見る。
飛び込んできたのは、王都ギルドの制服を着た若い職員だった。
肩で息をしながら叫ぶ。
「ガルさん!」
「緊急依頼です!」
店内の空気が一変する。
ガルはゆっくり立ち上がる。
「内容は。」
職員は一枚の封書を差し出した。
封には王家の紋章が刻まれている。
王都最高緊急依頼。
ミリアの表情が変わる。
「まさか……。」
ガルは封を開き、中の書類へ目を通した。
数秒後。
いつも冷静な店長の目が細くなる。
「来たか。」
レオンが立ち上がる。
「本当か?」
「……ああ。」
短い返事だった。
悠人だけが事情を飲み込めない。
「何があったんです?」
ガルは依頼書を机へ置く。
そこには赤い文字で、たった一文だけ書かれていた。
『第六封印、反応確認。直ちに調査されたし。』
店内から笑顔が消える。
誰一人として冗談を言わない。
悠人は依頼書を見つめながら、小さく息を呑んだ。
また始まる。
世界の異変が。
店内に重い沈黙が流れる。
悠人は依頼書とガルの顔を何度も見比べた。
「店長。」
「第六封印って何なんですか?」
ガルはすぐには答えなかった。
依頼書を静かに畳み、机の上へ置く。
「ミリア。」
「資料を。」
「はい。」
ミリアは奥の書庫から一冊の古い地図を持ってきた。
机いっぱいに広げる。
王都。
街道。
山脈。
湖。
そして各地に赤い印が付けられていた。
悠人はその地図を見て気付く。
「この印……。」
「今まで行った場所だ。」
監視塔。
毒沼屋敷。
氷雪城。
天空神殿。
地下都市アーク。
自分たちが調査してきた事故物件ばかりだった。
「全部つながっていたんですか。」
「事故物件ではない。」
ガルが静かに言う。
「最初から管理対象だった。」
「管理対象?」
悠人は首をかしげる。
レオンが苦笑する。
「うちの店は家だけ管理してるわけじゃねえ。」
「え?」
「危険な場所も管理物件なんだ。」
悠人は言葉を失った。
「だから今まで……。」
「そういうことだ。」
ガルは地図の一か所を指差す。
王都の東。
深い山岳地帯。
そこだけ赤い印がまだ薄かった。
「ここが第六管理区画。」
「管理区画?」
「正式な呼び方だ。」
ガルは短く答える。
「封印という言葉は後から広まった。」
悠人は少しだけ安心した。
少なくとも、また世界を滅ぼす魔王のような話ではない。
危険な管理物件。
そう考えた方が異世界不動産らしい。
「依頼内容は?」
悠人が尋ねる。
ミリアが書類を読み上げる。
「三日前から地鳴りが続いています。」
「周辺の管理小屋との連絡が途絶えました。」
「調査員も戻っていません。」
「被害は?」
「現在確認中です。」
ガルは腕を組んだ。
「まずは現地確認。」
「それが仕事だ。」
その時。
クロが静かに口を開いた。
「東の山ですか。」
全員がクロを見る。
「何か知ってるのか?」
レオンが聞く。
クロは少し考えてから頷いた。
「昔、一度だけ行ったことがあります。」
「管理小屋がありました。」
「小さいですが、とても丈夫な建物です。」
「そこへ人が住んでいた?」
悠人が尋ねる。
「交代で管理人がいました。」
クロは静かに答えた。
「管理物件は、放置すると危険になりますから。」
その一言で、悠人は改めて理解する。
危険だから近づかない。
ではない。
危険だからこそ、誰かが管理する。
異世界不動産は、そういう仕事なのだ。
ガルは依頼書を持ち上げた。
「出発は明日の朝。」
「今日は準備だ。」
全員が頷く。
新しい管理物件。
東の山。
第六管理区画。
異世界不動産の次の仕事が、静かに始まろうとしていた。
翌朝。
まだ日が昇りきる前。
異世界不動産の前には、一台の大型馬車が止まっていた。
荷台には食料、水、ロープ、修繕道具。
そして管理物件の点検器具が積み込まれている。
「忘れ物はないか。」
ガルが荷台を確認する。
「食料よし。」
ミリアが木箱へ印を付ける。
「医療品も大丈夫です。」
レオンは剣を腰へ差しながら笑った。
「今回は家を直す道具の方が多いな。」
「管理物件ですから。」
悠人も工具箱を持ち上げる。
冒険へ行くというより、現場へ向かう職人のようだった。
「営業。」
ガルが呼ぶ。
「はい。」
「依頼内容を確認しろ。」
悠人は依頼書を開く。
「管理区画、第六。」
「管理小屋との連絡途絶。」
「周辺で地鳴りを確認。」
「現地調査、および安全確認。」
読み終える。
やはり討伐依頼ではない。
最優先は管理物件の確認だった。
「出発。」
ガルの一言で馬車が動き始める。
王都を抜け、東街道へ。
窓の外には広い草原が続いていた。
リリは景色を見ながら目を輝かせる。
「ここまで東へ来るのは初めてです!」
クロも静かに外を眺めていた。
「昔より道が良くなっています。」
「来たことあるんですか?」
悠人が尋ねる。
「一度だけ。」
クロは小さく頷く。
「十年以上前です。」
「管理小屋へ荷物を届けました。」
「どんな場所でした?」
「静かな山です。」
「管理人のおじいさんが一人で暮らしていました。」
「一人で?」
「はい。」
「物件を守る仕事だと言っていました。」
悠人は少し考え込む。
危険な場所を、一人で管理する。
簡単にできる仕事ではない。
馬車は昼過ぎに山道へ入った。
舗装されていた道は土道へ変わる。
木々が増え、人の姿はほとんど見えなくなった。
その時。
ゴゴゴ……。
地面がわずかに震えた。
荷台が小さく揺れる。
「今の。」
リリが身を固くする。
「地鳴りだ。」
ガルは馬車を止めた。
全員が降りる。
耳を澄ませる。
静かな森。
鳥の鳴き声。
風の音。
それだけだった。
「終わりましたね。」
悠人が言う。
「ああ。」
レオンも周囲を見回す。
「長くは続かないらしい。」
「ですが。」
ミリアが地面へしゃがみ込む。
土に細い亀裂が走っていた。
昨日まではなかったような、新しい割れ目だった。
「自然の地震でしょうか。」
悠人が尋ねる。
クロは静かに首を横へ振る。
「違います。」
「この山は昔から揺れません。」
その言葉に空気が変わる。
自然ではない。
何か別の原因がある。
ガルは山の奥を見つめた。
「あそこだ。」
木々の隙間。
山腹に、小さな木造の建物が見えた。
管理小屋だった。
しかし。
屋根の一部が崩れている。
煙突も折れ、扉は半開きになっていた。
悠人は思わず息を呑む。
「もう被害が出てる……。」
異世界不動産の一行は足早に管理小屋へ向かった。
そこに、管理人の姿はなかった。
ガルが半開きになった扉をゆっくり押し開ける。
ギィ……。
古い蝶番が静かに鳴った。
「入るぞ。」
「はい。」
悠人たちは慎重に管理小屋へ足を踏み入れる。
室内は思っていたより荒れていなかった。
机。
椅子。
暖炉。
棚。
生活用品はそのまま残っている。
争ったような跡もない。
「管理人さん!」
悠人が呼びかける。
返事はない。
奥の寝室も空だった。
「いませんね。」
リリが不安そうに呟く。
ミリアは暖炉へ近付いた。
「灰が新しいです。」
「二、三日前までは使われていました。」
「急にいなくなったのか。」
レオンが窓の外を見る。
その時だった。
クロが棚の前で立ち止まる。
「店長。」
「これを。」
一冊の分厚い台帳を差し出した。
表紙には、
『第六管理区画 巡回記録』
と書かれている。
ガルがページをめくる。
巡回日。
設備点検。
結界異常なし。
封印異常なし。
何十年も同じような記録が続いていた。
しかし最後のページだけ文字が乱れている。
『地鳴りを確認。』
『一日目。異常なし。』
『二日目。結界の光が弱い。』
『三日目――』
そこで記録は途切れていた。
「ここで終わってる。」
悠人が小さく呟く。
「管理人は三日目に何かあったんですね。」
ガルは静かに台帳を閉じた。
「外を調べる。」
全員で管理小屋の裏へ回る。
建物のすぐ裏には、小さな石畳の道が山奥へ続いていた。
その先には古びた石柱が何本も並んでいる。
一本。
また一本。
どれも同じ紋章が刻まれていた。
「結界柱です。」
ミリアが説明する。
「封印を維持する設備ですね。」
悠人は一番近い石柱へ近付く。
触れた瞬間。
ピシッ。
細い亀裂が目に入った。
一本だけではない。
二本。
三本。
見える範囲の石柱すべてに亀裂が走っている。
「全部壊れかけてる……。」
その時。
ゴゴゴゴゴ……。
再び地鳴り。
今度は昨日より強かった。
木々が大きく揺れる。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
「店長!」
リリが叫ぶ。
ガルは山の奥を鋭く見つめた。
森のさらに奥。
巨大な岩壁の一部が、ゆっくりと崩れ落ちていく。
その奥から現れたのは——
巨大な石造りの門だった。
高さは二十メートル以上。
表面には見覚えのある紋章。
監視塔。
氷雪城。
地下都市アーク。
これまで見てきた封印施設と同じ紋章だった。
「第六管理区画……。」
悠人は息を呑む。
「あれが封印。」
ガルはゆっくり剣へ手を添えた。
「いや。」
「管理物件だ。」
店長らしい一言だった。
だが、その直後。
ズズズズズ……。
巨大な石門が、ひとりでにゆっくりと開き始めた。
誰も触れていない。
誰も近付いていない。
それでも門は開く。
暗闇の奥から、冷たい風が吹き抜けた。
異世界不動産の新たな管理物件が、静かに彼らを迎えようとしていた。




