第37話 大工見習いの約束
異世界不動産の応接室。
青年は何度も頭を下げていた。
「本当に申し訳ありませんでした。」
「勝手に家へ入ったことは謝ります。」
ガルは腕を組んだまま青年を見る。
「名前は。」
「カイルです。」
「二十四歳です。」
悠人はメモを取り始めた。
「屋敷へ入った理由を教えてください。」
カイルは少し俯いた。
言いづらそうに唇を噛む。
「……約束があったんです。」
「約束?」
レオンが首をかしげる。
「誰とのだ。」
「アルベルトさんです。」
エマが目を見開いた。
「父と?」
カイルは静かに頷く。
「俺は十五歳の頃から、アルベルトさんの工房で働いていました。」
「家具作りも家の修理も、全部あの人に教わったんです。」
エマは少し驚いたように青年を見る。
「そうだったんですね……。」
「父は家では仕事の話をしない人だったので。」
「知らなかった。」
カイルは苦笑した。
「弟子なんて大げさなものじゃありません。」
「でも、本当にお世話になりました。」
部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。
悠人は続きを促した。
「約束とは?」
カイルはゆっくり答えた。
「亡くなる少し前です。」
『もし俺に何かあったら。』
『壁の通路にある木箱だけは、お前が預かってくれ。』
『家族には心配を掛けたくない。』
『落ち着いてから渡してくれ。』
「そう言われました。」
全員が黙って聞いていた。
「でも。」
カイルは申し訳なさそうに頭を下げる。
「病気が急に悪くなって……。」
「約束を果たせないまま時間だけが過ぎました。」
「だから最近になって家へ入ったのか。」
ガルが確認する。
「はい。」
「空き家になっていると聞いて。」
「誰もいない時間に取りに行こうとしました。」
悠人はようやく足跡の理由が分かった。
隠し通路。
木箱。
新しい足跡。
全部繋がる。
「じゃあ。」
リリが首をかしげる。
「足音もカイルさんですか?」
「……違います。」
青年は即座に首を振った。
「俺が入ったのは昼だけです。」
「夜は一度も来ていません。」
部屋が静まり返る。
「それに。」
カイルは少し青ざめた顔で続けた。
「昼に通路へ入った時。」
「俺も聞いたんです。」
「二階を歩く足音を。」
悠人の背中へ冷たいものが走る。
「あの時、家には俺しかいませんでした。」
「だから怖くなって逃げたんです。」
レオンが腕を組む。
「つまり。」
「足跡はお前。」
「足音は別。」
「……はい。」
事件は半分だけ解決した。
侵入者の正体は分かった。
しかし、屋敷に響く足音だけは、まだ謎のままだった。
その時。
店の扉が開く音がした。
カラン。
リリが入口を見る。
「いらっしゃいませ……あっ!」
入ってきた人物を見て、悠人も立ち上がる。
そこに立っていたのは——
クロだった。
「店長。」
静かな声で言う。
「森の家の点検が終わりました。」
「それと。」
クロは屋敷の話を聞いていた全員を見回し、小さく呟いた。
「その足音なら。」
「たぶん、原因が分かります。」
部屋の空気が一変した。
店内の視線が一斉にクロへ集まった。
「分かるって、どういうことだ?」
レオンが尋ねる。
クロは少し考えてから口を開いた。
「昔、似た家を見たことがあります。」
「似た家?」
悠人が首をかしげる。
「壁の中に点検用通路があって、夜になると足音が聞こえる家です。」
「同じ現象だったのか?」
ガルが聞く。
クロは静かに首を横へ振る。
「半分だけ。」
「半分?」
「床鳴りは建物の問題です。」
「でも、人が歩くような音は別でした。」
悠人はメモを取る手を止めた。
「原因は?」
クロは窓の外を見ながら答える。
「動物です。」
「動物?」
リリが目を丸くする。
「屋根裏や壁の中を移動する小型の魔獣がいます。」
「夜行性で、人が寝静まる頃に活動します。」
「壁や通路を歩くので、人の足音と間違えることがあります。」
ミリアが納得したように頷く。
「資料で読んだことがあります。」
「夜ネズミですね。」
「正式には《ナイトラット》。」
「人は襲いません。」
「ですが、暖かい家を好みます。」
レオンが笑う。
「つまり。」
「幽霊じゃなくてネズミか。」
「普通のネズミより少し大きいです。」
クロが補足する。
「それでも危険ではありません。」
悠人は昨日の調査を思い返した。
「だから昼間は静かだったのか。」
「夜しか活動しないから。」
「はい。」
クロは頷いた。
「確認するには夜の調査が必要です。」
エマが少し安心したような表情になる。
「本当に魔獣なら……。」
「追い出せますか?」
ガルが短く答えた。
「できる。」
その一言だけで十分だった。
異世界不動産は、これまで何件もの事故物件を解決してきた。
今回も同じだ。
原因を突き止め、安心して住める家へ戻す。
それが仕事だった。
「営業。」
ガルが悠人を見る。
「はい。」
「今夜もう一度調査する。」
「依頼人にも説明しておけ。」
「分かりました。」
シオンが嬉しそうに笑う。
「夜の調査ですか。」
「ぜひ同行したいですね。」
「却下。」
ガルが即答する。
店内が一瞬静まり返り、次の瞬間、レオンが吹き出した。
「ははは!」
「店長らしい!」
シオンも苦笑する。
「ですよね……。」
悠人も笑いながら言った。
「調査が終わったら、結果はきちんとお伝えします。」
「楽しみにしています。」
シオンは素直に頷いた。
その日の営業を終え、日が沈み始める。
異世界不動産の一行はランタンや道具を準備し、再び西地区の屋敷へ向かった。
今度は昼ではない。
足音が聞こえるという、本当の時間帯だった。
夜。
王都西地区は昼間とは別の静けさに包まれていた。
異世界不動産の一行は、ランタンを手に屋敷へ入る。
「エマさん。」
悠人が振り返る。
「危険かもしれませんので、外でお待ちください。」
「お願いします。」
エマは素直に頷いた。
玄関の外にはリリも残る。
万が一のための連絡役だ。
屋敷へ入ったのは、ガル、レオン、ミリア、クロ、そして悠人の五人だった。
「昨日と同じ配置で。」
ガルが指示を出す。
「営業は俺と。」
「レオンは二階。」
「ミリアとクロは屋根裏を確認しろ。」
「分かりました。」
調査が始まる。
昼間とは違い、家の中は驚くほど静かだった。
ランタンの火だけが廊下を照らす。
時計の針がゆっくり進む。
やがて。
コツ。
小さな音が響いた。
悠人は息を止める。
「始まりました。」
クロが静かに呟く。
コツ。
コツ。
音は壁の中から聞こえてくる。
悠人は耳を澄ませた。
昨日よりはっきり聞こえる。
まるで壁の向こうを誰かが歩いているようだった。
「上だ。」
レオンが階段を駆け上がる。
その直後。
ガサガサッ!
屋根裏から物音が響く。
「いました!」
ミリアの声だった。
ガルが一気に階段を駆け上がる。
悠人も続いた。
屋根裏へ入ると、クロがランタンを高く掲げている。
梁の上。
黒い影が素早く走り抜けた。
「いた!」
レオンが指差す。
猫ほどの大きさ。
細長い尻尾。
灰色の体毛。
そして大きな耳。
「ナイトラットです。」
クロが落ち着いて言う。
魔獣は梁から梁へ飛び移り、壁の隙間へ飛び込もうとした。
しかし。
「逃がさん。」
ガルが素早く前へ出る。
バンッ!
壁板を軽く叩く。
驚いたナイトラットは向きを変え、そのまま開いていた屋根裏の換気口から外へ飛び出していった。
静寂。
屋敷の中から物音が消える。
レオンは窓から外を見て笑った。
「逃げたな。」
クロも小さく頷く。
「縄張りを失ったので戻ってこないと思います。」
悠人はほっと息を吐いた。
「これで解決ですか?」
ミリアは屋根裏をもう一度確認する。
巣はない。
子どももいない。
食べ物も残されていなかった。
「はい。」
「換気口へ金網を付ければ再発もしません。」
ガルは短く頷く。
「修繕も仕事だ。」
異世界不動産は建物を売るだけではない。
住める状態に整えることも仕事だった。
屋敷を出ると、待っていたエマが駆け寄ってくる。
「どうでしたか?」
悠人は笑顔で答えた。
「原因が分かりました。」
「修繕すれば安心して住める家になります。」
エマの目に涙が浮かぶ。
「本当ですか……。」
「はい。」
「お父様が大切にしてきた家です。」
「私たちが責任を持って次の方へ引き継ぎます。」
エマは何度も頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「異世界不動産さんへお願いして、本当に良かったです。」
帰り道。
リリが嬉しそうに歩く。
「今回は本当に不動産屋さんのお仕事でしたね!」
レオンが笑う。
「毎回こうなら助かるんだけどな。」
ガルも珍しく口元を緩めた。
「これが本来の仕事だ。」
悠人は夜空を見上げる。
誰かの大切な家を守り、次の人へつなぐ。
異世界不動産の仕事は、やっぱり悪くない。
そう思いながら、店への帰り道を歩くのだった。




