第32話 新しい管理人
初めて小説を書くので至らない点多いと思いますが頑張ります。毎日更新を目指してゆるゆるとやります。
朝靄が森をゆっくりと包み込んでいた。
王都の南西にある小さな管理物件――通称「森の家」は、夜の静けさをそのまま残したように佇んでいる。
窓から差し込む朝日が床板を照らし、長い年月を重ねた木目を柔らかく浮かび上がらせていた。
クロは一人、庭に立っていた。
箒を手に、昨夜風で散った落ち葉を集めている。
ぎこちない動きではあるが、手を抜く様子はない。
住み込み管理人として働くと決まった以上、仕事はきちんとやるつもりなのだろう。
「……真面目だな。」
門を開けながら悠人が呟いた。
後ろにはレオンがいる。
二人とも朝から管理物件の確認に来ていた。
本来なら避難所の仕事だけでも手一杯だ。
だが、管理物件を放置すれば店の信用に関わる。
非常時だからこそ、普段の仕事も止めない。
それがガルの方針だった。
「おはようございます。」
クロは箒を止め、深く頭を下げる。
昨日とは違い、どこか表情が柔らかい。
ちゃんと眠れたらしい。
「朝早いな。」
悠人が声を掛ける。
「目が覚めてしまって。」
「住み心地は?」
クロは少しだけ家を見上げる。
「とても落ち着きます。」
その一言で十分だった。
営業として何より嬉しい言葉である。
紹介した物件を気に入ってもらえる。
それ以上の評価はない。
「中、見てもいいか?」
「もちろんです。」
玄関を開けると、昨日までとは印象が変わっていた。
床は綺麗に拭かれ、窓も磨かれている。
食卓には花まで飾られていた。
野に咲いていた小さな白い花だ。
高価なものではない。
だが、それだけで部屋の雰囲気は温かくなる。
レオンが感心したように口笛を吹く。
「一日でここまでやったのか。」
「夜眠れなかったので。」
「掃除してたのか?」
「はい。」
悠人は苦笑する。
仕事熱心なのはありがたいが、少し無理をしすぎるタイプかもしれない。
「ほどほどにな。」
「はい。」
返事は素直だった。
その時、裏口からノアがひょっこり顔を出した。
「いた。」
「……なんでいる。」
悠人は呆れる。
「散歩。」
「森の奥から出てくる散歩があるか。」
「ある。」
当然のように言う。
誰も突っ込まなくなってきた。
ノアは家の中を見回し、小さく頷いた。
「ちゃんと掃除した。」
「したよ。」
クロが答える。
「合格。」
「誰目線なんだ。」
レオンが笑う。
だがノアは真面目だった。
床を見て。
窓を見て。
最後にクロをじっと見つめる。
「ここは好き?」
突然の質問だった。
クロは少し考える。
「好きです。」
「どうして?」
「静かだから。」
それだけではなかった。
クロは窓を開ける。
朝の風が部屋へ流れ込む。
鳥のさえずり。
木々の揺れる音。
遠くには王都の城壁も見える。
「ここには誰かが大事に暮らした時間があります。」
悠人は少し驚いた。
営業でもそこまで言葉にする人は少ない。
「空き家だけど。」
クロは壁へ手を添える。
「人がいなくなっても、家は覚えている気がするんです。」
その言葉を聞いて悠人は昔を思い出した。
初めてガルと物件を回った日。
古びた一軒家を見ながら店長は言った。
――家にも歴史がある。
――だから雑には扱うな。
当時は意味が分からなかった。
だが今なら分かる。
建物はただの商品ではない。
そこで笑った人。
泣いた人。
暮らした人。
そうした時間ごと預かるのが、不動産屋という仕事なのだ。
「……店長が聞いたら喜ぶぞ。」
悠人が笑う。
「そうですか?」
「ああ。」
その瞬間だった。
悠人の胸の紋様が、ほんのわずかに熱を帯びる。
昨日ほどではない。
だが確かに反応している。
クロは何もしていない。
それでも紋様は静かに輝きを増していた。
悠人は気付かれないように胸元へ手を当てる。
(またか……。)
世界の異変。
クロ。
そして、この紋様。
まだ答えは何一つ見えていない。
それでも悠人は確信し始めていた。
この青年と出会ったことは、偶然ではない。
森の家の点検を終えた頃には、朝日もすっかり高く昇っていた。
庭へ出ると、昨夜まで濡れていた芝生の露が陽の光を受けてきらきらと輝いている。
クロは倉庫から錆びたじょうろを見つけ、水を汲んできて花壇へ水をやっていた。
「そこまでやらなくてもいいぞ。」
悠人が声を掛ける。
「仕事ですから。」
「花壇は契約に入ってない。」
「でも、枯れてしまうのは寂しいです。」
その返事に悠人は思わず笑ってしまった。
「真面目すぎるな。」
「よく言われます。」
クロも少し照れたように笑う。
そのやり取りを見ていたレオンが、小さく肘で悠人を突いた。
「悪くない客だろ?」
「ああ。」
「昨日まで怪しいって言ってたの誰だ?」
「今でも怪しい。」
「おい。」
「でも悪い奴には見えない。」
営業の勘だった。
人は第一印象だけでは分からない。
契約を交わし、話を聞き、生活を見る。
そこでようやく本当の姿が少しずつ見えてくる。
クロは何かを隠している。
それは間違いない。
だが少なくとも、この家を粗末に扱う人間ではない。
その一点だけは信じられた。
「さて。」
悠人は管理用の書類を取り出した。
「仕事の説明をする。」
クロはすぐに姿勢を正す。
「まず一つ目。」
庭を指差す。
「草が伸びすぎたら刈る。」
「はい。」
「二つ目。」
屋根を見る。
「雨漏りを見つけたら報告。」
「はい。」
「三つ目。」
玄関の鍵を軽く叩く。
「知らない奴を勝手に入れるな。」
クロは少しだけ真剣な顔になった。
「分かりました。」
「王都は今、普段より治安が悪い。」
レオンが言葉を続ける。
「避難生活で困ってる人も多いし、空き家を狙う盗人も出る。」
「だから管理人が必要なんだ。」
クロは静かに頷いた。
仕事の意味を理解したようだった。
「それから。」
悠人は懐から小さな木札を取り出した。
表には店の紋章。
裏には管理番号が刻まれている。
「これは?」
「管理人証。」
「持ってろ。」
クロは両手で受け取った。
まるで大切な宝物を扱うように。
「ありがとうございます。」
その時だった。
森の奥から、ガサガサと草をかき分ける音が聞こえた。
三人が同時に振り返る。
レオンは反射的に腰の短剣へ手を伸ばした。
「誰だ!」
少しの沈黙。
やがて木々の間から現れたのは、一人の老人だった。
白い髭。
背中いっぱいに薪を背負っている。
「あれ?」
悠人は目を細める。
「……バルトさん?」
老人も悠人を見るなり目を丸くした。
「おお、異世界不動産の兄ちゃんじゃないか!」
朗らかな笑い声が森へ響く。
レオンも剣から手を離した。
「知り合いか?」
「ああ。」
悠人は頷く。
「この辺の森を管理してる木こりだ。」
バルトは薪を降ろしながら笑う。
「こんな時に珍しいな。」
「仕事ですよ。」
「こんな騒ぎでも働くとは大したもんだ。」
老人は家の方へ目を向ける。
「あれ?」
クロと目が合った。
「新しい住人か?」
「管理人です。」
悠人が説明すると、老人は嬉しそうに頷いた。
「そうかそうか!」
「よかった。」
「ずっと空き家だったから寂しかったんだ。」
その言葉にクロは少し驚く。
「気に掛けてくださっていたんですか?」
「当たり前だ。」
バルトは笑う。
「隣みたいなもんだからな。」
森の家は王都から少し離れている。
近所付き合いと言えば、この老人くらいしかいない。
それでも、誰も住まなくなった家を時々見に来てくれていたらしい。
「困ったことがあれば呼びな。」
「森のことなら大体分かる。」
クロは深く頭を下げた。
「よろしくお願いします。」
その光景を見ながら悠人は少し安心した。
管理人として暮らすなら、ご近所との関係も大切だ。
王都の人間関係は、意外とそういう小さな繋がりで成り立っている。
しかし、その穏やかな時間は長く続かなかった。
バルトの表情がふと曇る。
「そういや……。」
「昨日の夜なんだが。」
「森の奥で変なもんを見た。」
悠人たちの空気が変わる。
「変なもん?」
「黒い影だ。」
老人は真剣な表情で森の奥を見つめた。
「人じゃねえ。」
「獣でもねえ。」
「ただ……。」
薪を握る手に力が入る。
「あんなもん、この森には昔から一度もいなかった。」
静かな森を、一陣の風が吹き抜けた。
その風は、どこか冷たかった。
バルトの言葉を聞いた途端、庭に流れていた穏やかな空気が消えた。
森を渡る風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに響く。
悠人は老人の表情を見つめた。
長年この森で暮らしてきた人だ。
獣と人の足跡を見分け、季節の変化を肌で感じながら生きてきた。
そんな人物が「見たことがない」と言う以上、ただの見間違いでは済まされない。
「いつ頃ですか?」
悠人が尋ねる。
「日が沈んで少ししてからだ。」
バルトは記憶をたどるように目を細めた。
「薪をまとめて帰る途中だった。」
「距離は?」
「百メートルくらいかな。」
「形は?」
老人は腕を組み、ゆっくり首を振る。
「それが妙なんだ。」
「輪郭がぼやけて見えた。」
「霧みたいに?」
「いや。」
「もっと黒い。」
「影そのものが歩いてるようだった。」
レオンが眉をひそめる。
「魔物じゃないのか?」
「違う。」
老人はきっぱりと言った。
「魔物なら気配で分かる。」
「長年森にいるとな。」
その言葉には妙な説得力があった。
クロも静かに話を聞いている。
しかし、その表情だけは少しだけ硬くなっていた。
「どっちへ向かいました?」
今度はクロが質問する。
「北だ。」
バルトは森の奥を指差した。
「あっちの古い街道。」
その一言にノアが反応した。
「古い街道……。」
小さく呟く。
悠人は聞き逃さなかった。
「何か知ってるのか?」
ノアは少し迷ったような顔をする。
そして森の奥を見つめながら答えた。
「昔、人がたくさん通ってた道。」
「今は?」
「ほとんど使われてない。」
それだけ言って口を閉ざした。
ガルなら「あとで話せ」と言うだろう。
だが今は店長はいない。
悠人は無理に聞き出すことはしなかった。
「とりあえず見に行くか。」
レオンが言う。
「俺も行く。」
クロも一歩前へ出た。
しかし悠人は首を横に振る。
「お前は残れ。」
「でも……。」
「今日から管理人だろ。」
悠人は森の家を振り返る。
「家を空けるな。」
クロは少しだけ悔しそうな顔をしたが、やがて静かに頷いた。
「……分かりました。」
その返事を聞いて、バルトが笑う。
「真面目な兄ちゃんだ。」
「店長が気に入りそうだな。」
「もう気に入ってますよ。」
悠人も笑い返した。
その時だった。
突然、胸元が熱くなる。
(またか……。)
紋様が反応している。
しかも今までよりはっきりと。
悠人は思わず森の奥を見る。
誰もいない。
静かな木々が揺れているだけ。
だが胸の熱だけは消えない。
「悠人?」
レオンが不思議そうに見る。
「顔色悪いぞ。」
「いや……。」
誤魔化そうとした、その瞬間だった。
――カラン。
小さな音が聞こえた。
玄関先。
クロが首から下げていた管理人証が揺れている。
風もないのに。
木札が、まるで何かに反応するように震えていた。
クロ自身も気付いたらしい。
「これ……。」
木札へ触れた瞬間。
震えはぴたりと止まる。
何事もなかったかのように。
悠人は目を細めた。
(偶然……か?)
そう思いたかった。
しかし偶然にしては出来すぎている。
自分の紋様。
クロ。
そして管理人証。
まるで見えない何かが繋がっているような、不思議な感覚が胸の奥に残った。
「行こう。」
悠人は気持ちを切り替える。
「森を確認してくる。」
「クロ。」
「はい。」
「留守番、頼んだ。」
「任せてください。」
クロは力強く頷いた。
その姿を見て、悠人は少し安心する。
まだ出会ったばかりだ。
それでも、この家なら任せられる。
そんな不思議な信頼が少しずつ芽生え始めていた。
一方で、その信頼が試される出来事が、すぐそこまで迫っていることを誰も知らなかった。
森へ足を踏み入れると、王都の喧騒は驚くほどあっさりと消えた。
聞こえるのは風が梢を揺らす音と、小鳥のさえずりだけ。
昼間だというのに木々が空を覆っているせいで薄暗く、足元には湿った落ち葉が厚く積もっている。
悠人は先頭を歩くバルトの背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
「この森に来るのは久しぶりだな。」
「最後は去年だったか?」
老人は振り返らずに答える。
「ああ。倒木の確認に来てもらった時だ。」
「そうだった。」
あの時も管理物件に倒木が当たりそうになり、異世界不動産として現地確認に来たのだ。
結局、大きな被害はなく、近隣の住民と協力して木を片付けた。
不動産屋の仕事は契約だけではない。
住む人の安心を守ることも仕事だった。
「この辺りです。」
バルトが立ち止まる。
古びた石畳が木の根に押し上げられ、ところどころ崩れている。
昔は街道だったのだろう。
今では森に飲み込まれかけていた。
「ここを歩いていたら見えたんだ。」
老人が指差す。
街道の先。
木々の隙間へ続く細い道だった。
悠人はしゃがみ込み、地面を見た。
柔らかい土には足跡が残っている。
鹿。
小動物。
そして人のものらしき靴跡。
どれも新しくはない。
「変わった跡はないな。」
レオンも辺りを見回す。
「影だから残らなかったのかもしれん。」
バルトは真面目な顔で言った。
冗談ではない。
本当にそう思っているのだろう。
その時だった。
ノアが何も言わず街道を外れた。
「おい。」
悠人が呼ぶ。
返事はない。
木々の間をすり抜け、ある一本の大木の前で立ち止まる。
幹へそっと手を触れた。
目を閉じる。
数秒後。
ゆっくりと目を開けたノアは、小さく呟いた。
「まだ残ってる。」
「何が?」
悠人が近付く。
ノアは幹を指差した。
一見すると何もない。
しかし角度を変えて見ると、樹皮の一部に細い線が刻まれていた。
円のような。
文字のような。
自然にできた傷ではない。
「印?」
レオンが首をかしげる。
ノアは小さく頷く。
「すごく古い。」
「誰が付けたんだ?」
「……分からない。」
珍しく本当に知らないようだった。
その時、悠人の胸の紋様がまた熱くなる。
今度は先ほどより強い。
視界の端で、その印が一瞬だけ青白く光ったように見えた。
「見えたか?」
悠人が尋ねる。
レオンとバルトは首を横に振る。
「何も。」
「見えてない。」
つまり、自分だけだった。
悠人はゆっくり印へ近付く。
指先で触れようとした、その瞬間――。
「触るな!」
ノアの鋭い声が森へ響いた。
反射的に手を止める。
ノアがこんな大声を出すのは初めてだった。
彼女はすぐに悠人の前へ立つ。
「まだ。」
息を整えながら言う。
「今はまだ駄目。」
「理由は?」
「説明できない。」
「でも駄目。」
真剣だった。
悠人は何も言わず手を下ろす。
ノアは適当にふざけることも多い。
だが、本当に危険な時だけは決して冗談を言わない。
それはここまで旅をしてきて分かっていた。
「今日は帰ろう。」
悠人が言う。
「これ以上は情報もない。」
レオンも賛成する。
「暗くなる前に戻ろうぜ。」
バルトもほっとしたように頷いた。
四人は来た道を引き返し始める。
その背中を――
誰かが森の奥から静かに見つめていた。
黒い輪郭。
人の形をしているようで、していない。
木々の影へ溶け込むように立ち、悠人たちが去っていくのをじっと見送っている。
やがて影は音もなく森のさらに奥へ消えていった。
その頃、森の家では一人留守番をしていたクロが、庭の掃除を終えて空を見上げていた。
黒い亀裂は昼間よりも少しだけ大きくなっている。
その様子を見つめながら、クロは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……間に合ってくれ。」
その言葉が誰へ向けられたものなのか。
今はまだ、誰も知らなかった。
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