第31話 名もなき客
初めて小説を書くので至らない点多いと思いますが頑張ります。毎日更新を目指してゆるゆるとやります。
避難所となった旧商業ギルド本部の会議室は、しばらく誰一人として口を開かなかった。
青年が作り出した立体映像は静かに空中へ浮かび続けている。
王都。
北方。
海の向こう。
大陸各地に浮かぶ七つの光点。
そのどれもが脈打つように明滅を繰り返していた。
「……」
ガルは腕を組んだまま映像を見つめている。
長年店長として数え切れないほどのトラブルを処理してきた男だが、ここまで判断に迷う顔を悠人は初めて見た。
一方でレオンは窓際に寄り掛かり、青年と映像を交互に眺めている。
飄々とした態度は崩さないものの、軽口は一つも出てこない。
ミリアは手帳を取り出し、映像を細かく書き写していた。
情報は財産。
それが彼女の考え方だった。
リリは状況についていけず、不安そうに悠人の袖をつまんでいる。
「先輩……。」
「大丈夫だ。」
そう答えたものの、悠人自身に根拠はない。
胸の奥には嫌な予感ばかりが積み重なっていた。
地下都市。
初代。
黒い亀裂。
北方の光。
そして目の前の青年。
一つ一つは別の出来事だったはずなのに、気付けば一本の線になり始めている。
その中心に自分がいるという事実だけは、どうしても納得できなかった。
「まず確認する。」
沈黙を破ったのはガルだった。
店長らしい落ち着いた声が部屋へ響く。
「お前は客だな。」
青年は小さく頷く。
「はい。」
「家を探している。」
「その通りです。」
「金はない。」
「ありません。」
「だが情報を報酬にすると言った。」
「はい。」
ガルは少しだけ口元を緩めた。
「なら話は単純だ。」
レオンが肩をすくめる。
「店長らしいな。」
「うちは何屋だ。」
「不動産屋。」
「客なら追い返さん。」
その言葉に悠人は少しだけ安心した。
そうだ。
これがガルだ。
どれだけ世界が混乱していても、店長は店長。
客が来たなら話を聞く。
まずはそこから始める男だった。
青年も少し驚いたように目を丸くした。
「断られると思っていました。」
「世界が終わろうが契約は契約だ。」
ガルは真顔で言う。
「ただし、嘘をついたら追い出す。」
「分かりました。」
青年は素直に頷いた。
その様子を見ながら悠人は椅子へ腰を下ろす。
「じゃあ営業開始だな。」
「そういうことだ。」
ガルが顎で合図する。
「悠人。」
「任せろ。」
いつもの仕事だった。
世界は非常事態。
それでもやることは変わらない。
客の話を聞き、条件を整理し、最適な物件を探す。
営業担当として何度も繰り返してきた仕事である。
悠人は青年へ向き直った。
「名前は?」
青年は一瞬だけ考えた。
何かを迷うように。
やがて静かに口を開く。
「クロ。」
短い名前だった。
本名かどうかは分からない。
だが今は追及しない。
「年齢。」
「二十三。」
「仕事。」
「旅をしています。」
レオンが横から笑う。
「職業・旅人ってやつか。」
「そんな感じです。」
青年――クロも少しだけ笑った。
その笑顔は年相応だった。
少なくとも、先ほど世界の終わりを語っていた人物には見えない。
「希望条件は?」
悠人は紙を取り出す。
営業用の聞き取りシートだ。
避難所へ持ってきていた数少ない仕事道具の一つだった。
クロは部屋を見回す。
少し考えてから答えた。
「静かな場所。」
悠人が書く。
「できれば森が近い方がいいです。」
「理由は?」
「落ち着くので。」
「他は?」
「日当たりが良いこと。」
「うん。」
「それと……。」
クロは少しだけ言葉を止めた。
「空がよく見える家。」
悠人のペンが止まる。
その条件だけが妙に引っ掛かった。
世界中の空が異常な状態になっている今。
空が見える家を希望する理由とは何なのか。
クロはすぐに言葉を続けた。
「誤解しないでください。」
「?」
「景色が好きなんです。」
穏やかな笑みだった。
嘘をついているようには見えない。
しかし。
ノアだけはずっと無言だった。
部屋の隅で腕を組み、クロをじっと見つめている。
その視線は警戒というより、確かめるようなものだった。
悠人はその様子を横目で見ながら、もう一度クロへ視線を戻した。
「分かった。」
営業モードへ切り替える。
「条件に合う物件を探そう。」
その瞬間。
クロは初めて心から安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます。」
その笑顔を見た悠人は思う。
この青年は、本当に家を探している。
それだけは間違いないのかもしれない。
「ありがとうございます」
クロは深く頭を下げた。
その仕草にはどこか慣れないぎこちなさがあった。
旅人らしいと言えば旅人らしい。
だが、悠人には少しだけ違和感が残る。
普通、住む場所を探す客はもっと生活の話をする。
駅に近いとか、買い物がしやすいとか、家賃がどうとか。
クロが口にしたのは、
「静か」
「森が近い」
「空が見える」
その三つだけだった。
まるで"住むため"ではなく、"そこにあること"自体が目的のように聞こえる。
「予算は本当にゼロなんだな?」
悠人が確認する。
「はい」
「働く予定は?」
「あります」
「なら家賃は払えるようになる?」
「そのつもりです」
営業として聞くべきことを一つずつ確認していく。
ガルは腕を組んだまま黙って見ていた。
口は挟まない。
営業は営業担当に任せる。
店長としての信頼だった。
「保証人は?」
「……いません」
「身分証明は?」
クロは首を横へ振った。
「ありません」
レオンが思わず口を挟む。
「店長、それ無理じゃね?」
「普通ならな」
ガルは短く答えた。
王都で家を借りるには身元確認が必要だ。
保証人もいない。
金もない。
書類もない。
営業として考えれば、断られて当然の条件だった。
だが悠人は紙を閉じる。
「物件はある」
全員が悠人を見る。
「あるのか?」
ガルが聞く。
「ああ」
悠人は頷いた。
「正確には"紹介できる可能性がある"だ」
頭の中に一軒の建物が浮かんでいた。
王都の南西。
森へ続く街道沿いにある小さな平屋。
元は木こり夫婦が住んでいた家だ。
二人とも数年前に田舎へ移住し、それ以来ずっと空き家になっている。
建物の状態は悪くない。
庭も広い。
裏には森があり、二階こそないが丘の上なので空もよく見える。
問題は——。
「家賃が安すぎて利益にならないから、誰も営業してなかった家か」
レオンが思い出したように言う。
「覚えてたか」
「一回だけ案内しただろ」
「断られたけどな」
「『街から遠すぎる』って」
二人は苦笑する。
あの家は悪い物件ではない。
ただ王都で働く人には不便すぎた。
だから何年も借り手が現れなかった。
クロは静かに二人の話を聞いている。
「森がありますか?」
「ある」
「静かですか?」
「夜は鳥の声くらいしか聞こえない」
「空は?」
悠人は笑った。
「あそこ以上によく見える場所は王都にはない」
クロの目が少しだけ輝いた。
その反応を見て、悠人は確信する。
やはりこの青年は、本気でその条件を求めている。
「でも問題がある」
悠人は続けた。
「契約できない」
クロの表情が曇る。
「保証人も金もない。それじゃ正式な契約書は作れない」
ミリアも静かに頷いた。
契約担当としては当然の判断だった。
「例外を作れば店の信用に関わります」
彼女の言葉は正しい。
一件だけ特別扱いすれば、次も、その次も断れなくなる。
それは異世界不動産が一番やってはいけないことだった。
部屋に重い空気が流れる。
クロは静かに立ち上がった。
「無理を言いました」
「おい」
「情報だけ置いて帰ります」
そう言って映像を消そうと右手を上げた、その時だった。
「待て」
ガルだった。
店長の低い声が部屋に響く。
クロの手が止まる。
「契約できないとは言った」
ガルはゆっくり歩み寄る。
「だが、貸せないとは言ってない」
「店長?」
悠人も思わず声を上げる。
ガルはニヤリと笑った。
「空き家の管理は誰の仕事だ?」
悠人はすぐに答えた。
「うちだ」
「管理人として住み込みで見回りを頼めば?」
レオンが目を丸くする。
「あっ」
ミリアもようやく意図を理解した。
空き家には定期的な管理が必要だ。
掃除。
換気。
庭の手入れ。
長く放置すると資産価値が下がってしまう。
それは異世界不動産の仕事でもあった。
「給料は少ない」
ガルが言う。
「だが住み込みなら家賃はいらん」
クロは驚いたまま動けない。
「働いてもらう」
「その代わり家を貸す」
「仕事が終われば正式契約もできる」
ガルは肩をすくめた。
「これなら誰も損しない」
悠人は思わず笑ってしまう。
さすが店長だ。
ルールは破らない。
だが客も見捨てない。
それがガルという男だった。
クロは何度も何度も頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は少し震えていた。
ノアだけは相変わらず黙っていた。
しかし、その目はクロではなく——
窓の外。
王都の空に浮かぶ黒い亀裂を見つめていた。
そして、小さく誰にも聞こえない声で呟く。
「時間が……動き始めた。」
その一言を、悠人だけが聞いてしまった。
会議室を出ると、避難所の喧騒が再び耳へ飛び込んできた。
廊下では騎士たちが毛布を運び、炊き出しの匂いが一階から漂ってくる。
泣き疲れて眠る子どもを背負う母親。
怪我人へ包帯を巻く治療班。
ほんの数日前まで商人たちが忙しく行き交っていた建物は、今では数千人の命を支える避難所になっていた。
悠人は手すりへ肘をつき、大きく息を吐く。
「疲れた……」
営業という仕事は体力より神経を使う。
相手の希望を聞き、条件を整理し、落としどころを探す。
今日は世界が終わるかもしれないという話まで加わった。
さすがに頭が追いつかない。
「珍しく弱音だな。」
後ろからレオンが歩いてきた。
紙コップを二つ持っている。
「ほら。」
「助かる。」
受け取ると、中身は温かいスープだった。
避難所で炊き出しをしている鍋から分けてもらったらしい。
「思ったよりうまいな。」
「腹減ってたんだろ。」
「それもある。」
二人は廊下の窓から外を見る。
日が傾き始めていた。
王都全体が赤く染まり、その上には相変わらず黒い亀裂が浮かんでいる。
異様な景色なのに、人間というのは慣れる生き物だ。
避難民たちも最初ほど空を見上げなくなっていた。
今は今日を生きることの方が大切なのだ。
「クロ、どう思う?」
レオンが小さく聞いた。
悠人は少し考える。
「怪しい。」
「だよな。」
「でも客なのは本当だ。」
「それも分かる。」
不思議な青年だった。
何かを隠している。
それは間違いない。
しかし、家を探していることだけは嘘には見えなかった。
営業を続けていると、人の目は自然と読めるようになる。
契約する気がない客。
冷やかし。
無理な値引きを狙う客。
いろいろ見てきた。
クロはそのどれとも違った。
本当に住む場所を必要としている目だった。
「店長も同じこと考えてると思う。」
レオンが言う。
「だから追い返さなかった。」
悠人は頷く。
ガルは人を見る。
書類だけでは判断しない。
だからこそ長年店長を任されている。
その時、一階から大きな声が聞こえた。
「悠人さん!」
リリだった。
慌てて階段を駆け上がってくる。
「どうした?」
「店長が呼んでます!」
「何かあったか?」
「物件の鍵です!」
「あ。」
すっかり忘れていた。
紹介予定の森の家。
鍵は店の金庫ではなく、避難時に持ち出した管理箱へ入っている。
「あれ持ってきてたな。」
「ミリアさんがちゃんと持ち出してました!」
「さすが。」
契約書だけではない。
管理物件の鍵まで避難させていたらしい。
几帳面にもほどがある。
「行くか。」
悠人とレオンは階段を下りた。
一階の臨時事務室では、ミリアが大量の鍵束を机へ並べている。
一本一本に札が付いていた。
番地。
物件番号。
管理状況。
避難の最中とは思えないほど綺麗に整理されている。
「これです。」
ミリアが一本の鍵を差し出す。
古びた真鍮の鍵だった。
「管理番号S-17。」
悠人は受け取る。
重みがある。
「あの家も長いな。」
「最後の入居者から四年です。」
「そんなになるか。」
「月に二回、換気へ行っていました。」
「全部一人で?」
「仕事ですから。」
ミリアは当たり前のように答えた。
こういうところが彼女らしい。
派手ではない。
だが、誰も見ていない仕事を黙々と続ける。
その積み重ねが店を支えている。
ガルが奥から姿を現した。
「準備はいいか。」
「鍵なら。」
「よし。」
店長はクロを見る。
「案内する。」
クロは静かに立ち上がった。
その横ではノアも当然のようについて来ようとしている。
「お前も来るのか?」
悠人が聞く。
「暇だから。」
「絶対違うだろ。」
「半分は。」
ノアは小さく笑う。
だが、その視線だけは笑っていなかった。
まるでクロを見失わないように監視している。
そんな空気だった。
ガルは全員を見回す。
「レオン。」
「おう。」
「店は任せる。」
「了解。」
「ミリアも残れ。」
「分かりました。」
「リリ。」
「はい!」
「無理するな。」
その一言だけで、リリの表情が少し柔らかくなった。
ガルなりの気遣いなのだろう。
そして店長は悠人へ視線を向ける。
「営業。」
「任せろ。」
悠人は鍵を握り直した。
世界がどうなるかは分からない。
空も割れている。
正体不明の存在も現れた。
それでも今日は一件の案内がある。
異世界不動産の営業として。
客を家まで案内する。
それが今、自分の仕事だった。
避難所を出る頃には、空は夕暮れの色へ染まり始めていた。
西の空だけが辛うじて赤く輝き、その上を覆う黒い亀裂が、まるで夕焼けを飲み込もうとしているように見える。
街には騎士の巡回が増え、避難が終わっていない住民を誘導する声があちこちから聞こえてきた。
悠人はクロと並んで歩きながら、ゆっくりと周囲を見渡す。
王都はまだ生きている。
店は閉まり、露店も片付けられている。
それでも誰かが誰かを助け、誰かが今日を生きようとしている。
そんな光景を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなった。
「王都が好きなんですね。」
クロがぽつりと言った。
悠人は少し驚く。
「分かるか?」
「表情で。」
「そんな顔してたか。」
「はい。」
クロは小さく笑う。
「建物を見る目じゃなくて、街を見る目をしていました。」
営業を始めたばかりの頃、ガルによく言われた言葉を思い出す。
――家を売るな。
――暮らしを案内しろ。
その意味が分からず首を傾げたこともあった。
けれど今なら理解できる。
家は建物だ。
だが、人が求めているのは、その先にある暮らしなのだ。
「着いたぞ。」
ガルが立ち止まる。
王都の南西。
城壁に近い小高い丘。
石畳の道を少し外れた場所に、一軒の木造平屋が静かに建っていた。
庭には背の高い草が伸びている。
けれど荒れ果てているわけではない。
誰かが手入れを続けてきた跡があった。
「ミリアだな。」
悠人が苦笑する。
雑草は伸びていても、窓は割れていない。
雨樋も詰まっていない。
管理が行き届いている証拠だった。
「いい家ですね。」
クロは静かに呟く。
その声には作り物ではない感情が乗っていた。
「中を見るか。」
悠人は鍵を差し込む。
ガチャリ、と乾いた音が響く。
扉を押し開けると、ひんやりとした空気が流れ出た。
長く人が住んでいない家特有の匂い。
しかし嫌な臭いはしない。
窓が定期的に開けられていた証拠だ。
「玄関。」
「居間。」
「寝室が二つ。」
「台所も使える。」
営業として、一つ一つ説明していく。
クロは真剣な表情で部屋を見て回っていた。
壁に触れ、窓を開け、庭へ出る。
やがて裏庭へ回ったところで立ち止まった。
そこからは森が見える。
木々の向こうには、夕焼けに染まる空。
そして、そのさらに上には黒い亀裂。
普通なら最悪の景色だ。
だがクロは、その空を穏やかな表情で見上げていた。
「ここです。」
振り返る。
「この家に住みたいです。」
迷いのない声だった。
悠人は頷く。
「じゃあ契約……じゃなかったな。」
「まずは管理人として雇用だ。」
ガルが笑う。
「仕事は簡単だ。」
「家の掃除。」
「庭の手入れ。」
「異常があれば店へ報告。」
クロは真剣に聞いている。
「できますか?」
ミリアが確認するように尋ねた。
「はい。」
「途中でいなくなりませんか?」
「なりません。」
「約束できますか?」
クロはゆっくり頷いた。
「約束します。」
その言葉を聞き、ガルは悠人へ目配せした。
「営業。」
「分かってる。」
悠人は右手を差し出す。
「異世界不動産へようこそ。」
クロは少し驚いたような顔をしたあと、小さく笑ってその手を握り返した。
「よろしくお願いします。」
その瞬間だった。
胸の紋様が熱を帯びる。
悠人だけが息を呑んだ。
まただ。
初代の遺跡でも。
地下都市でも。
北方の光を見た時も。
そして今。
クロと握手した瞬間だけ、紋様が反応した。
(どういうことだ……?)
問いかけるようにクロを見る。
しかしクロは何事もなかったように家を見回している。
演技には見えない。
本当に気付いていないようだった。
その様子を見ていたノアが、小さくため息をつく。
「やっぱり……。」
「何が?」
悠人が聞く。
ノアは少しだけ迷い、それから首を横へ振った。
「まだ。」
「まだ話せない。」
「でも、一つだけ。」
ノアはクロの背中を見つめたまま静かに言う。
「あの人は敵じゃない。」
「少なくとも今は。」
「だけど——」
そこで言葉を切った。
夕暮れの風が森を揺らす。
木々の葉がざわめき、どこか遠くで鳥が飛び立った。
その音に混じって。
誰にも聞こえないほど小さな声が、悠人の耳へだけ届く。
『契約は結ばれた。』
初代の声だった。
『これで最後の条件が一つ満たされた。』
悠人の表情が固まる。
最後の条件?
契約?
まさか、この家の契約が関係しているというのか。
悠人が空を見上げると、黒い亀裂の奥で何かがゆっくりと動いたような気がした。
世界の異変と、一人の青年との契約。
本来なら無関係なはずの二つが、静かに結びつこうとしていた。
異世界不動産の営業として交わした一つの握手が、この世界の運命を大きく動かし始めていたことを、まだ誰も知らなかった。
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