第12話 原初の器
第12話 原初の器
『原初の器』
その言葉が地下都市全体に響いた。
まるで世界そのものへ刻み込むような声だった。
悠人は思わず顔をしかめる。
意味が分からない。
最近ずっとそうだ。
封印。
原初個体。
器。
次から次へと知らない単語が出てくる。
しかも毎回、自分が関係しているらしい。
正直うんざりしていた。
「だから何なんだよ……」
思わず呟く。
しかし奈落の存在は答えない。
巨大な黄金の瞳が悠人だけを見つめている。
まるで長年探していた宝物を見付けたかのように。
その視線が気持ち悪かった。
本能的な嫌悪感。
生理的な恐怖。
それらが一気に押し寄せてくる。
「新人」
ガルが前へ出る。
巨大な剣を肩へ担ぎながら奈落を睨み付けた。
「下がれ」
「でも」
「いいから下がれ」
有無を言わせない声だった。
悠人は一歩後ろへ下がる。
レオンも剣を構える。
ミリアは無数の魔法陣を展開していた。
そしてノアだけが奈落を見上げたまま動かない。
黒い瞳に浮かんでいるのは警戒だった。
いや。
恐怖に近い何かかもしれない。
終焉の魔女が警戒する存在。
その事実だけで十分異常だった。
奈落の奥から黒い霧が溢れ出す。
空気が重くなる。
呼吸すらしづらい。
地下都市を照らしていた青白い結晶も次々と輝きを失っていく。
まるで生命力そのものを吸われているようだった。
『返せ』
再び声が響く。
『それは私のものだ』
悠人は眉をひそめる。
だから何の話だ。
誰も説明してくれない。
しかしノアだけは理解しているらしい。
「しつこいな」
静かな声だった。
「三千年前に諦めたと思ってた」
『失った』
奈落が答える。
『だから探した』
黒い腕が地面を掴む。
広場が砕ける。
建物が崩れる。
地下都市そのものが悲鳴を上げていた。
ガルが舌打ちした。
「会話が成立しているのが一番嫌だな」
「同感」
レオンも苦笑する。
だが目は笑っていない。
全員が理解していた。
時間がない。
本当に危険なのは今からだと。
その時だった。
奈落の底から巨大な柱がさらに姿を現す。
先ほどは黒い岩のように見えた。
だが違う。
生きている。
ゆっくりと脈動していた。
巨大な血管のような模様が浮かび上がり、鼓動に合わせて光っている。
ドクン。
地下都市が揺れる。
ドクン。
空気が震える。
ドクン。
石畳が割れる。
そのたびに奈落の穴が広がっていた。
「まずいな」
ミリアが呟く。
「封印が崩壊してる」
「どれくらいだ?」
ガルが尋ねる。
ミリアは顔を青くした。
「あと十分も持たないかも」
沈黙が落ちた。
十分。
短すぎる。
地下都市から脱出するだけでも足りない時間だ。
それなのに目の前には正体不明の怪物がいる。
状況は最悪だった。
だが。
そんな中でノアだけは妙に冷静だった。
彼女は奈落を見つめながら何かを考えている。
まるで記憶を探るように。
やがて小さく呟いた。
「そうか」
誰にも聞こえないほどの声だった。
しかしガルは気付いた。
「何か思い出したか?」
ノアは頷く。
「昔の話を」
「聞かせろ」
ノアは少しだけ迷った。
そして奈落を見上げる。
巨大な黄金の瞳。
黒い腕。
底知れない闇。
その全てを見つめながら静かに語り始めた。
「世界が生まれた頃の話」
悠人は思わず耳を疑った。
スケールが大きすぎる。
しかし誰も止めない。
それどころか真剣に聞いている。
「最初の文明は神を作ろうとした」
以前聞いた話だった。
だが続きがあった。
「でも神は作れなかった」
ノアの声は静かだった。
「だから代わりに器を作った」
その瞬間。
奈落の存在が反応する。
巨大な瞳が強く輝く。
『器』
歓喜するような声。
執着するような声。
まるでそれだけを求め続けてきた存在のようだった。
ノアは続ける。
「魂を入れるための器」
「それが俺?」
悠人が思わず聞く。
ノアは首を振った。
「違う」
少しだけ困ったように笑う。
「たぶん、もっと面倒」
全く安心できない答えだった。
そして次の瞬間。
奈落の底から巨大な何かが姿を現し始める。
黒い霧をまとった巨体。
地下都市の建物が玩具に見えるほど巨大な存在。
その輪郭を見た瞬間。
全員の表情が変わった。
ノアでさえ息を呑む。
「嘘でしょ……」
その声には初めて焦りが混じっていた。
奈落から現れたのは怪物ではなかった。
人だった。
正確には。
人の形をしていた。
だが大きすぎる。
そして。
その顔は――
悠人と同じだった。
奈落から現れた巨人を見た瞬間、その場の誰もが言葉を失った。
巨大な身体。
漆黒の肌。
地下都市の塔よりも大きな体躯。
だが本当に異様だったのは、その顔だった。
悠人と同じだった。
目。
鼻。
輪郭。
細かな違いはある。
だが誰が見ても分かる。
目の前の存在は悠人を巨大化させたような姿をしていた。
「……は?」
悠人自身が一番理解できなかった。
何を見せられているのか分からない。
鏡を見ている気分ですらない。
もっと気味が悪い。
自分の知らない自分を見ているような感覚だった。
「おいおい……」
レオンが額を押さえる。
「冗談だろ」
「冗談なら良かったんだがな」
ガルの声も重い。
ミリアは青ざめたまま固まっている。
アリシアに至っては完全に言葉を失っていた。
そんな中でノアだけが奈落の巨人を睨み続けていた。
「そういうことだったんだ」
静かな声だった。
しかし表情は険しい。
「ノア」
ガルが呼ぶ。
「説明しろ」
「簡単に言うと最悪」
全く簡単ではなかった。
だが誰も否定できない。
目の前の状況を見れば十分だった。
ノアは小さく息を吐く。
「器は一つじゃなかった」
奈落の巨人がゆっくりと顔を上げる。
黄金の瞳が輝く。
地下都市が震えた。
「最初の文明は何度も作り直した」
ノアは続ける。
「神を降ろすための器を」
『失敗』
奈落の存在が呟く。
その声だけで空気が揺れる。
『失敗』
再び響く。
まるで何千年も繰り返してきた言葉のようだった。
『失敗』
巨人の身体が軋む。
黒い霧が吹き荒れる。
広場の建物が崩れ落ちた。
「つまり」
悠人が嫌な予感を抱きながら言う。
「俺もその器の一つだと?」
「たぶん違う」
ノアは即答した。
「そこが厄介」
安心できる要素が一つもない。
ノアは悠人を見る。
真っ直ぐに。
まるで何かを確認するように。
「あなたは完成してる」
その言葉に全員が反応した。
特にガルの目が細くなる。
「完成?」
「うん」
ノアは頷いた。
「だからあれが欲しがってる」
奈落の巨人が腕を伸ばす。
巨大な手だった。
地下都市の広場を覆うほどの大きさ。
その標的はただ一人。
悠人だった。
『返せ』
声が響く。
『私の器を返せ』
「誰がお前のだ!」
思わず叫ぶ。
すると奈落の巨人が初めて反応した。
怒ったのだ。
巨大な黄金の瞳が歪む。
次の瞬間。
黒い衝撃波が放たれた。
轟音。
広場が吹き飛ぶ。
建物が砕ける。
地下都市そのものが崩壊する。
「伏せろ!」
ガルが叫ぶ。
悠人は反射的に地面へ飛び込んだ。
衝撃が頭上を通り過ぎる。
石畳がめくれ上がる。
背筋が凍った。
直撃していたら消し飛んでいた。
間違いなく。
「本格的にまずいな」
レオンが苦笑する。
だが額には汗が浮かんでいた。
勇者が冷や汗をかく相手などそうはいない。
ミリアは魔法陣を展開する。
アリシアも結界を張った。
ガルは剣を構える。
そしてノアが前へ出る。
「下がって」
その一言だった。
空気が変わる。
黒髪が揺れる。
瞳が深い闇を宿す。
終焉の魔女。
三千年前の災厄。
その本来の姿が少しだけ現れる。
「ノア」
悠人が呼ぶ。
彼女は振り返らなかった。
「大丈夫」
小さく笑う。
「昔、一回勝ってるから」
その言葉に少しだけ安心しかけた。
だが続く言葉で消えた。
「完全には倒せなかったけど」
安心を返してほしい。
本気で。
その時だった。
奈落の巨人が動きを止める。
黄金の瞳がゆっくりと細められた。
まるで何かを見つけたように。
その視線の先にいたのは――悠人だった。
『覚醒』
低い声が響く。
全員が固まる。
『条件を確認』
嫌な予感しかしない。
『一致』
ノアの顔色が変わる。
「まずい!」
初めてだった。
ノアが明確に焦ったのは。
次の瞬間。
悠人の胸が光る。
淡い金色。
今まで見たことのない光だった。
熱くない。
痛くもない。
だが身体の奥で何かが目を覚ましていく。
そんな感覚があった。
「何だこれ……」
自分の手を見る。
金色の紋様が浮かび上がっていた。
腕へ。
肩へ。
首筋へ。
ゆっくりと広がっていく。
『見付けた』
奈落の巨人が歓喜する。
『ようやく』
地下都市全体が揺れる。
そして。
悠人の脳裏に、見たことのない景色が流れ込んだ。
崩壊する世界。
燃える空。
巨大な門。
そして――
無数の自分。




