マリアンヌ?
メリーはね。マリーじゃないよメリーだよ。
マリアンヌでもないよメリーだよ。
メリーだったらメリーですのよ。
怪我人がお隣さん宅に運ばれたらしいと、夕食のおかずを作りに来てくれた鍛冶屋のおかさんが教えてくれました。
なんでも、山越えをした旅人らしく、全身傷だらけだったとか。
冬でもなし、ここ数日雨も霧もなかったのに不思議だなと思っていたら、
どうやら同行人はおらず一人旅らしいとのこと。
「門番達が治療が終わり次第引き取るらしいけど、一応戸締りはしっかりね」
「わふ」
おかさん、おかさん。
メリーはこっちです。そっちはチャロさんですが?
「あぁ、メリーも夜中に遠吠えしちゃだめだよ。それとねチャロ、寝る前に出入り口の鍵だけじゃなく窓も全部屋確認するんだよ?」
「わふ」
チャロさん。尻尾ぶんぶん振りながらこちらをチラ見なんかしてっ。
どやって横顔が憎らしいですよっ。
「まだうちの双子は仕事が残ってるから一度帰るけど、夜はこっちに泊まらせるからね」
「わふ」
「兄兄泊まるの?やったぁ!」
「やったぁ!」
あらまぁ、カルロ君とダニエル君ったら大喜びで走り回っちゃって。
うふふ。転ばないで下さいね。
寝る前に本を読んでもらいたいのかな?
「鎌の研ぎ方教えてもらうんだ」
カルロ君、それって夜にしなくちゃいけないことでしょうかね。
「僕は草木染めを応用した鉱物染めができないものかアドバイスをもらいたい」
ダニエル君、アドバイスだけにしましょうね。実験は大人立会いでも夜中にしちゃだめですよ。
兄兄達はお仕事帰りでお疲れですからね。
「いいのよ。ダニエルとカルロの好きにして。仕事っても、最近は収穫祭用の鈴作りばかりだから、いい気晴らしになるわ。どうせ徹夜させるつもりだったしね」
えっと、おかさん。旅人さんはその、
「はいはい、聞いてきたわよ。金髪青目の20代。名前はジョシュア・ジェラード。王都出身で訛りは無い。
門番のフィリップ曰く、立派な鷲鼻だが骨折の跡だろうってさ」
ジョシュア・ジェラード、、、うん。宿の滞在歴は無いですね。
「姉ちゃん、せめて帳簿を確認しようよ。まさか客の名前を全員暗記してないよね?」
「客の名前どころか滞在してない配偶者から子の名前までメリーの頭に入ってるわよ」
おかさんがなぜ自信満々なのかはわかりませんが、カルロ君も結構覚えてますよね?
「ジョシュアって名前はじぃさんしかいなかったよね。ジェラードは聞いた事が無いな。偽名にするならもっとありきたりな名前だろうしね」
あらあら、ダニエル君は頭を抱えてしまいました。いや、自然と覚えるものですよ?
常連の多い宿ですから、そんなものですってば。
「おかさん、鍛冶屋もそうなの?客商売って名前を全部覚えなきゃいけないの?」
「面倒な客の名前は忘れないけどねぇ。大丈夫よ、あんたの両親はここまで覚えてないから。メリーにつききりで育てられた長男のカルロだけだから」
「そうだよ被害は僕だけだからダニエルは安心して無邪気に育つといいよ」
私の場合、お馬さんが情報源だったりしますし。
「でも宿はまだ開業前だけどさ、一人旅で怪我がたいしたことないなら別にうちで泊まればいいのに」
あらま。そうか、ダニエル君は知らなかったかな?
一人旅の方は許可証をお持ちでないとどの街でも宿には泊まれないんですよ?
「許可証?身分証じゃなくて?」
「身分証とは別に国が発行する旅行用の許可証。お尋ね者の犯罪者じゃありませんって証明書のようなものだよ」
いやいや、カルロ君の説明だと持って無い人は全員犯罪者のようで物騒ですね。
「間違っちゃいないけどねぇ。そもそも一人で旅する奴自体が珍しいだろ?」
「そうだけど、でもさ、おかさん。
鍛冶屋に来るヘクターさんとか、マルコのおっちゃんとか、あっ、ゴールディ姉ちゃんもいつも一人でうちに泊まるけど、許可証なんて見た事ないよ?」
マルコさんは傭兵、ゴールディさんは踊り子、ヘクターさんは薬種売り。
皆さん個人でのお仕事をされてますよね?ダニエル君も見てるんだけどなぁ。
「ヘクターさんは年期が入ってて、マルコさんのは凝ってて、ゴールディ姉ちゃんのは痛い。ダニエル、何だと思う?」
「痛い?痛いってことは…あっ!腕輪!」
正解です。
ゴールディさんは再会の度に熱い抱擁をしてくれるのですが、鎖の浮き彫りに髪がよく絡まってしまうのですよねぇ。
「マルコのおっちゃんはコニルサスの花で、ヘクターさんは天秤の柄だ!」
コニルサスの花言葉は「あなたの道標が輝きますように」。
傭兵の方は腕輪だけでなく盾や鎧にも好んでコニルサスの柄を使われますね。
ヘクターさんの天秤、薬だけでなく医術に関わる方は同じ模様ですよ。
「腕輪を作るには国へ申請をしてからでないといけないし、人の腕の太さはそれぞれだから、きちんと計ってから作るんだけど、免許を持った鍛冶屋しか作れないからね。時間がかかるんだ。王都なら一ヶ月ぐらいかな?
それを待てなかった、またはそれを作るだけのお金が無い人は『訳有りの金無し』だからどの宿も断るんだ。
ちなみにうちの男どもは全員免許を持ってるからサイズの調整に皆うちに来てるんだよ。鍛冶屋全員が免許持ちなのは王都でも滅多に無いけどね」
おぅっと、おかさんのさりげない自慢が素敵です。
「もっとも。散々待たされて出来の悪い腕輪だと人目に晒したくないからと、わざわざうちまで作り直しを依頼する客も多いけどね」
さりげなく無かった。まんま自慢だった!
「じゃぁ姉ちゃんが去年王都から逃亡した時に野宿をしてたのは腕輪が無かったから?鍛冶屋のじぃちゃんに腕輪作ってもらってなかった?」
野宿では無くお馬さん達とのきゃっきゃうふふの野営です。完全に私の趣味です。
腕輪作ってもらってましたが自衛用の武器です。
宿屋の模様なんて無いですからね?
「ふぅん。じゃぁジェームズさんは?農家も腕輪作ってるの?」
領地内での移動なら身分証だけで大丈夫です。
もっとも、領地外からの一人旅が許可証がないと宿に泊まれないだけで
お金の代わりに労働で農家に泊まる人もいますよ。ほとんど親戚ですけどね。
でも、収穫期は終わったばかり。収穫祭りはまだちょっと先のこの時期に
「山」から来る旅人は滅多にいないですから、警戒するのですよ。
「…悪い人なの?」
さぁ、どうでしょう。
それまでは悪くなくても、人を見て騙してやろうと悪い気を起こす人もいるかもしれません。
「ふぅん」
おやどうしたのでしょうダニエル君。
チャロさんに抱きついたりして。
「ん~」
もっふりふかふかのチャロさんの毛並みに顎をのせて眉を寄せるダニエル君。
つんと突き出した唇とほっぺがぷっくりして、もう、これどこの天使ですか
うちの天使ですよ。
「姉さん、今ダニエルのほっぺをつつくと嫌われるよ。おかさんも」
あうっ。カルロ君に釘をさされてしまいました。
「チャロも!」
「わ、わふ」
そっとほっぺを舐めようとしていたチャロさんも怒られてしまいました。
あぁチャロさん舌がちょっぴり出たままです。かわいちゃう。
いや、ほら、考え事をして集中するカルロ&ダニエル君たちのほっぺは、
つんつんしたくなるんですよ!
「無防備感まる出しだものね」
さすがおかさん、わかってらっしゃる。
「寝顔のほっぺ、おねむのほっぺも捨てがたいわよね!」
弾力性がね!ぷよぷよの弾力性がね!
「我に返るたびに頬を突つく悪い顔した大人に囲まれる幼少期をダニエルには体験させたくない!」
「カルロったらうちの双子と同じ事を言って、いいじゃないの減るもんじゃなし」
そうだそうだ~。
「尊敬の念が減ります」
そうかそうかぁ。
…なんか、ごめんなさい。
「乗せられちゃだめよメリー。双子も同じ事を言ってたくせに、自分達だけ隠れてつんつんしていたのよっ」
「多くの悪い大人から弟を守る兄の特権です。ちなみに率先して僕を突ついていた姉には権利はありません」
つんつんしたけどっ、確かにしましたけどっ、
「…僕は、がっかりしたんだ…」
つんつん、ぷにぷにと大人達が馬鹿な事で盛り上がっている間にダニエル君がぽつりと呟きました。
チャロさんの尻尾が床を叩き、皆に『ちゃんと聞きなさい』と叱ります。
「…僕は、怪我をした人が、知ってる人じゃなくて良かったと思っちゃった。
うちのお客様じゃなくてよかったって。
だってこれからやっと開店で、収穫祭も近くて、楽しい事がいっぱいなのに
知っている人が怪我をしたら心配だけど、楽しい気持ちじゃなくなっちゃうなって。
それでね、悪い人ならいいなって。
悪い人が怪我をしたならいいのにって思っちゃった…
僕、僕は僕にがっかりだよ」
ダニエル君…。
「ちょっとメリー、今日この天使持って帰ってもいいかしら」
ダメですよおかさん!愛らしいけど!
チャロさんも!そっとダニエル君の衿を持ち上げようとしないで下さいっ。
いつも元気なダニエル君がしょんぼりと
もふもふに顔をうずめている姿は
絵に描いて額で飾って演説の一つもしたくなる愛らしさです。
うんうん。ダニエル君は優しい子ですからね。お兄ちゃんのカルロ君が転んで膝小僧を擦りむいただけで涙ぐんじゃうぐらいですからね。
「僕…悪い子だよね…」
「ダニエル、客でないなら他人だ」
カルロ君それ打っちゃダメな釘!
「感受性が豊かなのはいい事だけど、情ってのはむやみやたらにかけるものじゃない。まず警戒する癖をつけないと」
「兄ちゃん…だって」
「悪い人が怪我をしたのならいいと思ってしまった自分が嫌なんだな?」
「うん…知らない人なのにそんな事を思っちゃうのって…」
「むしろ間違えてない。悪い事をした人が痛い目に合って欲しいと真面目に生きてる人間は皆願っているからね。
怪我をしたのが知人なら心配する。
他人ならほっとする。
悪い事をした人なら心の底で大喜びをするのが普通なんだよ」
チャロさん越しにひざまずき弟の両肩を掴んで力説するカルロ君。
「兄ちゃん。そうか、僕は考え方が甘いよね」
「経験を重ねる前に気づける奴はそういないさ」
目から鱗って顔をダニエル君がしています。拾ってカルロ君、その鱗はまだダニエル君には装着していて欲しい。
「でも姉ちゃん、山から町へ行く道もあるのに、わざわざこんな辺鄙な村に立ち寄る一人旅は怪しいよね。
警戒することで相手に悪い気を起こさせなくするのも親切じゃないかな?」
いやそうかもしれないけど、極端というか何というか。
ここは三人を子育てした鍛冶屋のおかさんに、
「まかせてメリー。あのねカルロ。村人としては正論だけど今後女の子にモテたければその理論は引っ込めて純粋だけど無知な相手には『そうだね』とだけ言っときなさい。
経験を伴わない知識は男は受け入れても女は受け流すだけよ」
チャロを抱きしめたダニエル君の両肩に手を置いたカルロ君。の、
頭を撫でてご満悦顔の鍛冶屋のおかさん。
おかさん混ざりたかっただけじゃ?
「私も自分で何が言いたいかわからない!」
おかさん悪い癖が出てますよ。
言い切れば正論じゃないですからね?
っぽく聞こえるだけですからね?
「はいはい、とりあえず晩ご飯食べてしまいなさいな。おかわりは沢山あるけど食後のパイが入る程度に食べてね」
「パイ?木苺のパイ?」
瞳輝くダニエル君。
「ナッツも入ってる?」
甘い声で確認するカルロ君。
「木苺もナッツもたっぷり入れてますよ」
うふふ顔のおかさん。
おかさん悪い癖その2ですよ。
まとめるのが面倒になったらすぐ甘い物で口を塞ぐのですから。
「はいはい、まぁいいじゃないの。親切も警戒もお腹が膨れないと出来やしないさね。さ、鍋を持ってくるからお皿並べを手伝って?」
うーむ、怪我人の事がうやむやになっちゃったけどいいのかな?
警戒は必要ですが、幼いダニエル君には職業不詳の一人旅は犯罪者ではないこととか、
まだ幼くあって欲しいカルロ君にも色々姉の希望があるのですよ?
うーむ。いただきます。うーむ。美味しいなぁ。うーむ。あ、うちと香辛料を使う順番が違うだけで
こんなに味が染み込むんだ!
おかさんのシチュー料理は美味しいなぁ。
明日の朝の分もあるのかぁ。パンと一緒に食べると美味しいよなぁ。
幸せだなぁ。
「チャロ、戸締りと窓の鍵閉めお願いね。カルロ、ダニエル双子をよろしくね。あと誰かメリーを戻しておいてね」
「おかさん、ごちそうさまでした。姉ちゃんがパン生地を捏ね出したら当分戻らないんだけど」
「ダニエル、おかさんは分かっていて大量の小麦粉とバターを持ち込んでいるんだと思うよ」
「メリーは考え込むと奇行に走るから。手を動かしてやりゃいいのよ」
捏ねてるだけじゃないですよ。伸ばして、重ねる。この繰り返しが美味しいパイ生地には必要なんです。
よいしょっと。
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晩ご飯を食べた後に何故か触発されて大量のパイとパンを作ったのは覚えてます。
それから兄兄が来てくれて「焼くのは任せろ」と窯から引き剥がされて弟君達と遊んで、
戸締りしてない!
と目が覚めたらベッドの上、既に朝。
慌てて身支度を整えて階下に降りようとしたのですが…
「マリアンヌに会わせろ!えぇい寄るな貧乏人!」
鍵をかけられた窓の外から喚き声が聞こえますけど、
チャロさんどうやって鍵をかけたのだろう。
「えぇいどけ!そしてほどけ!ここから出せぇ!クソガキどもがっ!」
「その人達は大人よ。崖から落ちたなら顔から落ちればよかったのにうるさいなぁ」
「黙れブス」
レイラさんの声も聞こえたような気がするけど、気がするだけですよね。
ちょっとメリー寒気がするのでベッドに戻った方がいいかもですね。
「マリアンヌ!聞こえているのだろう美しい人!君の未来の恋人が迎えに来たよ助けておくれ!」
風邪かなぁ。風邪だなぁ。




