78.5話 アオイの友人
休日の昼下がり。
大学から少し離れた、隠れ家的なカフェのテラス席で、アオイは梨子と向かい合っていた。
学部が同じというだけの縁で始まった付き合いだったが、気づけば互いの数少ない「素で話せる相手」になっている。
「――で、結局さ。うちの兄貴、何やってるか未だによく分かってないんだよね」
梨子はアイスティーのストローをくるくると回しながら、興味なさげに切り出した。
「就職活動のお話、ですか」
「そうそう。ほら、一時期あたしが無理やり垢抜けさせたじゃん? あれで多少マシにはなったんだけど、就職先がまた謎で」
梨子は肩をすくめた。
「総務省で事務員やってるらしいんだけど。詳細は聞いても『秘密保持契約があるから言えない』とか、それっぽいこと言うだけでさ。役所の事務員なんかにそんなもんあるわけないじゃん、って思うんだけど」
「……総務省、ですか」
アオイの相槌は、いつもと変わらず平坦だった。
だが、視線だけが、わずかにテーブルの一点で止まっていた。
「まあ、本人が元気そうだし、いいかなって。前よりよく喋るようになったし」
「そう、ですね。良いことだと思います」
アオイは静かにカップを傾けた。
(――総務省、秘密保持契約。ナルトch。……なるほど)
異界管理局。
あの組織に、YouTuberあがりの人間が事務員として雇われるとすれば、理由はおそらく一つしかない。
かつて悪魔に取り憑かれ、その顛末を当事者として知っている人間を、内部に置いておきたかったのだろう。
驚くようなことではなかった。
むしろ、驚かない自分に、アオイは少しだけ苦い気持ちを覚えた。
こういう「裏側」の推測が、当たり前のようにできてしまう自分の立場を、今更ながらに自覚させられたからだ。
「アオイ? 聞いてる?」
「はい。聞いています」
「じゃあ次、あたしの新しいバイト先の話していい? 店長がマジでウザくてさ――」
梨子の愚痴は、いつも通り長い。
アオイはそれを、いつも通りの無表情のまま、しかしいつもより少しだけ丁寧に聞いていた。
---
夕方。
大学の最寄り駅、改札を出たところで、ハルトはアオイと合流した。
たまたまハルトの用事の帰りの時間が重なったので、駅前で待ち合わせて一緒に帰る流れになったのだ。
「アオイ、待った?」
「いえ、今来たところです」
改札前の雑踏を抜け、二人は並んで歩き出す。
しばらく、他愛のない会話が続いた後、ハルトはふと、ずっと聞きそびれていたことを思い出した。
「あ、そういえばさ」
「はい」
「前から気になってたんだけど……初めて会った頃、僕がYouTubeやってるって、なんでわかったの?」
アオイの足が、一瞬だけ止まった。
「いえ、あの……」
「あー……えっと、別に責めてないんだけどさ。ただ、単純に不思議で」
ハルトは軽く笑いかけながら、アオイの返事を待った。
アオイは少し視線を落とし、それから、いつもと変わらない平坦な声で答えた。
「アキラ様のご命令で、ハルト様のお部屋を事前に調査していた際に、偶然、動画編集用のソフトウェアと機材を見つけただけです。それで、YouTubeをされているのだろうと」
「……え、それだけ?」
「はい。それだけです」
あまりにあっさりとした答えに、ハルトは拍子抜けした。
もっと複雑な、それこそ栗島家の陰謀に関わるような理由でもあるのかと、勝手に身構えていた自分が急に恥ずかしくなる。
「な、なんだ……そんな単純な話だったのか」
「はい。深い意味は、特にありませんでした」
「じゃあ、あの時の『何か確証を掴んでいるような言い方』はなんだったんだよ……」
「……自覚はしておりませんでしたが、そのように受け取られてしまったのなら謝ります」
アオイは、いつもと変わらない無表情のまま、しかし心なしか、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
その反応が妙に人間らしくて、ハルトは思わず小さく吹き出してしまった。
「アオイでも、そういう変な意地張るんだな」
「……そうですね。何か隠し事をされているのが、嫌だったのかもしれません」
「……そっか」
二人はそのまま、しばらく無言で歩いた。
赤信号で足を止めたところで、アオイが不意に口を開いた。
「あの、私からも一つよろしいでしょうか」
「ん? 何?」
「呼び方の件です」
「呼び方?」
「はい。『ハルト様』ではなく、『ハルト君』とお呼びしても構いませんか」
ハルトは一瞬、何を言われたのか理解できずに瞬きをした。
「え……急にどうしたの」
「栗島の家の信頼を裏切った今、あなたを様付けでお呼びする理由は、もう自分の中にありません」
アオイは信号を見つめたまま、淡々と続けた。
「それに――正直に申し上げると、様呼びは、自分の中でずっと気持ちが悪かったんです。今まで役目として続けていただけで」
「……」
「ですので、これからは君付けで呼ばせていただきたいのですが」
信号が青に変わる。
だが、二人はまだ横断歩道の前で立ち止まったままだった。
「あ――うん! もちろん、お願いします!」
ハルトは食い気味に、二つ返事で頷いた。
「かしこまりました」
「いや、その返事はかしこまってるだろ」
「善処します」
アオイは小さく、しかし確かに、口の端を上げた。
夕焼けに染まる帰り道を、二人はそのまま並んで歩いていった。




