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Youtuberの旅行オタクと方向音痴の魔法少女  作者: エアポート快特
第五章

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77話 曇り空での再会

住宅街の路地裏、アサの住むアパートから少し離れた電柱の陰。

ハルトとアオイは、息を潜めながらその時を待っていた。


「……本当に、来るのかな」

「私……と言うより、父は組織の中でもかなり信用されているようですので……。彼がそのまま情報を伝えていれば、必ずここに来るでしょう」


アオイの声は、いつも通り抑揚に乏しかった。

だが、その指先はスマートフォンの画面をきつく握りしめている。

裏切りの片棒を担いでいる、という自覚が、彼女の中でまだ消化しきれていないのだろう。


時計の針が、指定した時刻を回った。


「……来ました」


アオイが小さく呟いた。

路地の向こう、街灯の光の輪から外れた暗がりに、一つの人影がゆっくりと歩み出てくる。

その姿を見た瞬間、ハルトの喉の奥から、乾いた息が漏れた。


穏やかな顔立ち。

人当たりの良さそうな微笑み。

記憶の中の――いや、まだこの世界では、一度も顔を合わせたことのないはずの、そらだった。


「……ふーん」


そらは、周囲を軽く見回し、それから小首を傾げた。

人の気配を感じ取ったのだろう。

だが、その表情に警戒の色はまるでない。

むしろ、退屈しのぎの謎解きを楽しむような、余裕すら滲んでいた。


「随分と賑やかな出迎えですね。大変嬉しい限りです」


そらの視線が、電柱の陰から歩み出たハルトを捉える。


「初めまして、でいいんでしょうか。あなたが、秋津ハルトさんですね?」

「……浅野……そら」


こみ上げる感情を抑えながら、ハルトは低く問いかけた。

まだ何もされていない。

それなのに、こみ上げてくるのは、紛れもない怒りだった。


「へえ。僕の名前を、もう知っているんですね」


そらは驚いた様子もなく、興味深そうに目を細めた。


「面白いな。まだ、名乗ってもいないのに」


その時、アパートの玄関扉が開いた。

現れたのは、剣に変わるアクセサリーに手を添えたヒマリと、その隣に立つアサだった。


「――何しに来たのですか?」


ヒマリの声は、静かだが、揺るぎなかった。


「姉を、お迎えに上がりました。抵抗なさらなければ、手荒な真似はしませんが」


そらがそう告げた、その瞬間だった。


「――今、なんて」


アサの声が、明らかに震えていた。

街灯の逆光の中、目を凝らすようにそらの顔を見つめている。


「そら……? 今、この人、そらって……」 

「アサ?」


戸惑うヒマリをよそに、アサはふらりと一歩、前に出た。


「……そう、なの? あなた、本当に、そら……なの?」


その声には、これまでハルトが一度も聞いたことのない響きがあった。

怒りでも、疑いでもない。

もっと剥き出しの、縋るような、祈るような色。


そらは、その問いに、しばらく無言だった。

やがて、ゆっくりと口の端を持ち上げる。


「――お久しぶりです、お姉ちゃん」


たった一言。

それだけで、アサの表情が、粉々に崩れ落ちた。


「そら……生きて……ずっと、ずっと探して……」

「探さなくてよかったのに」


そらの声は、あくまで穏やかだった。

だが、その穏やかさが、むしろ何よりも残酷だった。


「姉さんが心配するようなことは、何もありません。僕は、僕の意思で、今ここにいます。誰かに脅されているわけでも、操られているわけでもない。ただ、自分で選んだ道を歩いているだけです」

「そんな……どうして……」

「なぜ、と聞かれても困りますね。姉さんが思い描いていた『可哀想な弟』は、もうどこにもいません。それだけの話です」


淡々とした声。

まるで、他人事のような口調。

アサの膝が、がくりと折れかける。

それを、ヒマリが咄嗟に支えた。


「――お迎えにきました、姉さん。抵抗なさらなければ、手荒な真似はしません」


そらは、繰り返した。

姉と呼びながら、その声には、家族としての温度が欠片も宿っていなかった。


「……お断りします」


ヒマリが、震えるアサを庇うようにして前に出た。


「アサに、何をしようとしているのか。詳しくは知りません。でも、目の前で見過ごすつもりはありません」

「……なるほど」


そらは小さく頷き、それから、憐れむような、それでいてどこか楽しげな笑みを浮かべた。


「あぁ。人間というのは、本当に度し難いものですね。何も知らないくせに、それでも誰かを守ろうとする。……愚かで、そして――少しだけ、美しい」


その言葉と共に、そらの足元から、黒い影が音もなく這い出した。


「では、始めましょうか」


戦いの火蓋は、あっけなく切られた。


そらの操る影は、あの江ノ島の砂浜で見たものと同質の、しかし比較にならないほど洗練された動きで、ヒマリとアサへと襲いかかる。

ヒマリの剣が影の一部を切り裂くたびに、それはまるで水面のように崩れ、瞬時に再生していく。


「厄介、ですね……!」


ヒマリが舌打ち混じりに呟いた。


「アサ、後ろに!」

「わかってる、けど……!」


アサが素早く距離を取りながら、確率操作の力で影の軌道を僅かに逸らす。

だが、その手は、明らかに先ほどまでの動揺を引きずったまま、震えていた。


「どうして、そんな顔してるのよ……!  あんたが、私の知ってるそらなら、こんなこと……!」


叫びながら、アサは影の一部を弾き返す。

だが、その声は、そらには届かなかった。


「知っている『そら』は、もういないと言ったはずです」


そらが、涼しい顔でそう告げる。

まるで、天気の話でもするような口ぶりだった。


「読まれてる……!」


ハルトは拳を握りしめながら、離れた場所で歯噛みすることしかできなかった。


戦況は、じわじわとヒマリたちの不利に傾いていく。

そんな中、ヒマリのこめかみを、鈍い痛みが再び貫いた。


「……っ」


小さく呻いたヒマリの隙を、影の刃が正確に突いた。


「ヒマリ!」


アサの悲鳴じみた声が響く。

かろうじて剣で受け止めたものの、衝撃でヒマリの体が大きく後方へと弾かれた。


「……くっ……」


片膝をついたヒマリの視界が、白く霞んでいく。

またこの痛みだ。ラストが消えて以来、ずっと一人で抑え込んできたこの痛み。


「随分と、脆いんですね」


そらが、興味を失ったような、それでいてどこか観察を続けるような声で呟いた。


「せっかく守ろうとしているのに、その体が、あなたの意志についてきていない。……皮肉なものです」


その言葉が、ヒマリの中の何かに触れた。


(また、これだ。私はいつも、大事な時に、自分を制御できない)


こめかみを押さえる手が、震える。

だが、その震えの中に、ふと、ある一つの光景が浮かび上がった。


――アサと初めて肩を並べて笑い合った、あの屋上での午後。

――ハルトが、あの空虚な空間で叫んでくれた、あの声。

――そして、今。目の前で、震えながらもなお踏みとどまり続ける、アサの背中。


(この痛みは……敵じゃない)


かつて、デストロイと対峙した時に辿り着いたはずの答えが、この瞬間、また新たに胸の中で像を結んでいく。

ただし今度は、憎しみからの解放ではなく、目の前にいる誰かを守りたいという、もっと単純で、もっと強い願いから。


「……なるほど、そういうことですか」


ヒマリの唇から、静かな声が漏れた。

震えていた手が、ゆっくりと下ろされる。

荒かった呼吸が、少しずつ整い始めた。


「おや……?」


そらが、初めて僅かに眉をひそめた。

ヒマリの体の輪郭が、澄んだ青白い燐光を帯び始めている。


「この力は、我慢するためのものじゃない。……誰かのために、使うための力だったんですね」


ヒマリはゆっくりと立ち上がり、剣を構え直した。

その瞳には、もう先ほどまでの苦悶はなかった。


「ソード・グローリー――」


光が、一気に強さを増す。


「……ほう」


そらの表情に、初めて、微かな緊張の色が滲んだ。

品定めするように、目を細めてヒマリを見つめる。


次の瞬間、ヒマリの姿が掻き消える。

そらが咄嗟に展開した影の壁を、光を纏った剣閃が、紙のように容易く切り裂いた。


「――ッ!」


初めて、そらの顔から表情が消えた。

浅く裂かれた頬から、一筋の血が滴り落ちる。


「……計算外、ですね」


そらは後方に大きく跳び退り、間合いを取り直した。

息を整えるヒマリを、値踏みするように見つめる。


「なるほど。不意打ちが効かないなら、正面から崩すしかない、ということでしょうか」


そらの声には、まだ動揺の色はなかった。

ただ、これまでのような余裕とは違う、慎重な色が滲んでいる。


「そら……お願い、やめて……」


アサが、震える声で呼びかけた。

姉としての、最後の縋るような声。


そらは、その声にだけ、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

だが、それも一瞬のことだった。


「……ですが、今日のところは、ここまでにしておきましょう」

「――!?」

「これ以上長居をして、無理に成果を求める必要はありません。僕の目的は、あくまで姉さんの確保。今の状況で強行するのは、コストに見合いません」


淡々とそう告げると、そらは足元の影を再び広げ、その中へと身を沈めていく。


「待って……!  そら……!」


アサの叫びが、夜の住宅街に虚しく響いた。

そらの姿は、影と共に、音もなくその場から消え去っていた。


静寂が戻る。

ヒマリの体を包んでいた光も、やがて静かに収まっていった。


「……アサ」


ハルトが駆け寄ると、アサはその場に崩れ落ちるようにして座り込んでいた。

頬を伝う涙が、街灯の光を鈍く反射している。


「……生きてた。生きてたのに……あんな、あんな目で、私のこと……」


言葉にならない嗚咽が、静かな夜に溶けていく。

ヒマリがそっとその隣に膝をつき、何も言わずに、その肩に手を置いた。


夜の住宅街に、静けさがゆっくりと戻ってくる。

だが、去り際に見せたそらの、あの冷静な瞳を思い出すたび、ハルトの胸には、拭いきれない不安が影を落としていた。

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