74話 代償
国道沿いの歩道へ続く階段を上りきったところで、ハルトは思わず足を止めた。
「……いた」
歩道の隅、電柱の陰にもたれかかるようにして、三つの人影が力なく横たわっていた。
細身のスーツを着崩した銀髪の男。ボロボロの黒いコートを羽織った、片角の折れた男。
そして、黒いフリルのゴスロリドレスに身を包んだ幼い少女。
マモン、エンヴィー、ミニラスト――間違いなく、あの三人だった。
「……本当に、伸びてる」
ハルトはしゃがみ込み、恐る恐るマモンの肩に触れてみる。呼吸はある。
ただ、指一本動かす気力もないというように、目を閉じたまま完全に沈黙していた。
記憶の中では、この三人がすぐ後に軽口を叩きながら現れて、あの青年もどきを一瞬で片付けてくれたはずだった。
だが今、目の前にいるのは、まるで電池切れのおもちゃのように、ぐったりと転がる三体の悪魔の姿だけだ。
(……ありがとう、三人とも)
タイムリープの代償。記憶保持の魔法にかかる、途方もない魔力。
その全てを肩代わりしてくれたのが、この三人だったのだと、ハルトは今更ながら実感する。
「……ひとまず、日陰に移しておきましょう」
隣に膝をついたアオイが、静かにそう言った。
何も言わずに、ミニラストの小さな身体をそっと抱き上げ、近くの木陰へと運んでいく。
ハルトも慌ててマモンとエンヴィーの腕を肩に回し、引きずるようにして後に続いた。
呼吸をしているだけで、命に別状はなさそうだ。
目を覚ますまで、ここで少し休ませておくしかないだろう。
三人を横たえ終えると、二人はもう一度、階段を下りて夕暮れの砂浜へと戻った。
波音だけが響く渚に、二人分の足跡が並んでいく。
しばらく黙って歩いた後、ハルトはようやく、ずっと喉の奥に閊えていた言葉を口にした。
「……アオイ。一つ、聞いてもいいかな」
「……なんでしょうか」
アオイは足を止め、静かにハルトの方を向いた。夕日を受けたその横顔は、いつもの無表情に戻っていたが、どこか身構えているようにも見えた。
「アオイは、本当は、何者なの?」
「……」
問いかけながら、ハルトの脳裏には、まだこの世界のどこにも起きていないはずの記憶が次々と蘇っていた。
――そらが、ヒマリと自分に、あまりにも自然な顔をして近づいてきたこと。まるで最初から、二人のことを知り尽くしていたかのような距離の詰め方。
――新宿駅で、マモンたちに待ち伏せされたこと。誰にも連絡していないはずなのに、「とある情報筋」から自分たちが来ることを知っていたという、あの説明。
――そしてファーベルたちの動きが、行き当たりばったりではなく、まるでこちらの手の内を全て知った上で先回りしているかのように、計画的だったこと。
だが、そのどれもが、今この瞬間の世界では、まだ起きていない出来事だった。
そらはまだ現れてすらいない。新宿駅の一件も、ファーベルの名前すらも、この時間軸のハルトが知っているはずのない、消え去った未来の記憶に過ぎない。
(これを、そのまま口にするわけにはいかない……)
分かっていながら、それでもハルトは、喉元まで出かかった具体的な言葉を、寸前で飲み込んだ。
証拠なんて、何一つ示せない。
ただ、消えたはずの記憶の中で繋がっていた違和感だけが、確信めいた重さを持って胸の中に居座っている。
「……うまく、説明できないんだけど」
ハルトは、拳を軽く握りしめながら、それでも言葉を絞り出した。
「アオイは、何か、僕に――ううん、この世界で起きてることに、深く関わってるんじゃないかって、そんな気がしてならないんだ。理由は、うまく言えない。でも、確信に近いものがある」
我ながら、あまりに漠然とした言い草だと思った。証拠も理屈もない、ただの決めつけだ。
それでも、口にしないわけにはいかなかった。
「アオイ、何か……隠してること、あるんじゃないの?」
ハルトはまっすぐに、アオイの目を見た。
深海のように底の知れない瞳が、一瞬だけ揺れたのを、ハルトは見逃さなかった。
長い沈黙が流れた。
波の音だけが、二人の間を行き来する。
やがて、アオイはゆっくりと、静かに口を開いた。
「……ハルト様」
「……うん」
「時計を、使用したのですね?」
「――え?」
心臓が、大きく跳ねた。
時計。
宗介の腕時計。
タイムリープに使い、そして砕け散ったはずのあの魔道具のこと。
理由も証拠もなく放った漠然とした疑いへの返答として、あまりにも的確すぎる一言だった。
「な、なんで……それを……」
震える声で問い返したハルトを、アオイはただ静かに見つめ返すだけだった。
その表情からは、何も読み取ることができなかった。




