8話 分福茶釜
「というわけで到着しました! 館林駅です」
アサとハルトが乗ってきた区間急行は、のどかな景色を駆け抜け、午前10時53分に、終点の館林駅に到着した。
二人は改札を抜け、よく晴れた駅前広場へと移動する。
ハルトは再びカメラを構え、エンディングトークの撮影を始めた。
「これは、タヌキの地蔵? どうしてこんなところに置いてあるのかしら?」
「アサくん、このタヌキの地蔵は、分福茶釜と言って有名な日本昔ばなしに登場するタヌキなんだよ」
「へぇ? どんな話?」
「茶釜に化けたはいいものの、元の姿に戻れなくなっちゃったタヌキが、見世物小屋で綱渡りなんかをしてお金を稼ぐ……って話かな?」
「なんだか、頭いいのか悪いのか分からないタヌキね」
くすっと笑うアサに、ハルトも頷く。
「そんな愛嬌のあるタヌキが、化けたまま命を落とした茶釜が、この近くの『茂林寺』ってところに保管されてるんだ。だからこの辺りは分福茶釜の街として有名なんだよ」
「茂林寺……? そういえば、1つ手前の駅がそんな感じの名前だったような……?」
「よく覚えてたね、アサ。そう、館林駅の1つ手前の駅が茂林寺前と言って、分福茶釜が保管されていると言われる茂林寺へは、そっちのほうがアクセスしやすいんだ」
「なるほど。時間があるときにでもちょっと寄り道して行ってみようかしら?」
「視聴者のみなさんも、ぜひ館林まで来た時は、茂林寺に行ってみてください! というわけで今回はここまでです。ご視聴ありがとうございました」
「バイバーイ」
アサがカメラに向かって元気に手を振ったのを確認し、ハルトは録画を停止して保存ボタンを押した。
「よし、お疲れ。そしたら、バス停へ移動しよう」
ハルトがカメラをリュックにしまうと、アサは周りをキョロキョロと見渡し、駅前のロータリーに停車している一台の路線バスを見つけて元気よく指を差した。
「あそこに止まってるバスかしら! 急がないと出ちゃうわ!」
駆け出そうとするアサのリュックを掴み、ハルトはゆっくりと横に首を振った。
「あれは違う行き先のバスだよ。僕たちが乗るバスは十分後で、しかも乗り場もあっちじゃない。とりあえず日陰のベンチで並ぼうか」
「了解! それじゃあ今度は、依頼人さんのところへレッツゴー!」
バスに揺られること数十分。目的の停留所に到着した二人は、そこからさらに静かな住宅街を数分歩き、一軒の立派な一軒家の前で足を止めた。
チャイムを鳴らすと、すぐに玄関の扉が開き、依頼人の女性が姿を現した。年齢は五十代半ばだろうか。その表情はひどく憔悴し、目の下にはうっすらとクマができている。
「遠いところ、わざわざありがとうございます……」
女性はすがるような目で二人を見つめ、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。微力ながら尽力させていただきます。早速、上がらせてもらってもよろしいですか?」
アサの声色は、先ほどまでの天真爛漫なアシスタントのものとは打って変わり、静かで落ち着きのある、凛としたものだった。
――プロだ。
背筋を伸ばし、依頼人に安心感を与えるように微笑む相棒の横顔を見て、ハルトは素直にそう感じた。
「お願いします……」
通されたリビングで、改めて母親と思われる女性から詳しい事情を聞いた。
息子は現在、二階の自室に引きこもり、食事も家族とは別々に取っているという。きっかけは本当に些細な言い争いだったらしいが、時間が経つにつれて互いに意地を張り、引くに引けなくなってしまったそうだ。
話を聞き終えたアサは、静まり返ったリビングをざっと見渡し、あるものに目を留めた。
大型の液晶テレビだ。
「一つ確認なのですが……事前の面談資料によりますと、息子さんは昔、この部屋でテレビをよく見ていたとお聞きしました。それは間違いないですね?」
「え、えぇ……。小さい頃は、よくこのソファに座って……」
「わかりました。今から少し『おまじない』をかけるので、テレビの電源をつけてもらえませんか? 流す番組はなんでも構いません。テレビをつけたら、お母様はどうか普段通りの生活をしてください」
「わかりました……やってみます」
母親がリモコンでテレビをつけると、昼のバラエティ番組が小さな音量で流れ始めた。
アサはゆっくりと立ち上がり、そっと、二階の子供部屋がある天井の方へ手のひらをかざした。そして、次にキッチンの方へ。
ハルトの目にだけ、キラキラとした淡い光の粒子が、誰にも見えない風に乗って部屋中へ飛んでいくのが見えた。
「……これで良し」
アサが満足げに息を吐き、手を下ろす。
「何をしたの?」
ハルトが小声で耳打ちすると、アサはいつもの顔に戻り、ニシシと悪戯っぽく笑った。
「タイミングを合わせたのよ」
その直後だった。
二階から、ドタドタと少し重たい足音が聞こえてきた。
どうやら息子が喉を渇かせ、飲み物を求めてリビングへ降りてきたらしい。
それと全く同時に、母親がお昼ご飯の支度をしようと、昨日の夕飯の残りの唐揚げを電子レンジで温め直し、テーブルに置こうとした瞬間だった。
テレビから、不意に懐かしいアップテンポなCMソングが流れた。
それは、息子がまだ幼かった頃、このリビングで母と一緒に面白がって歌っていた、少しダサいローカルCMの曲だった。
「あ」
「あ」
リビングの入り口で立ち尽くす息子と、唐揚げの皿を持った母の視線が、ふいに交差する。
部屋に広がる、電子レンジで温められた唐揚げの香ばしい匂い。
テレビから流れる、間の抜けた懐かしい音楽。
そして、計算し尽くされたような絶妙なタイミングでの遭遇。
数秒間、どう声をかけていいかわからない気まずい沈黙が流れた。だが、テレビのCMがオチを迎え、タレントが変な顔をした瞬間――張り詰めていた空気が弾け、息子が「ぷっ」と小さく吹き出した。
「……なにこれ。このCM、まだやってんの。懐かしすぎだろ」
「ふふっ、そうね。あなたが小さい頃、よくテレビの前で真似して踊ってたわよね」
母親も、つられるようにふっと表情を和らげた。
息子は気まずそうに頭を掻きながら、テーブルの上の皿へ視線を移した。
「……腹減った。これ、食っていい?」
「ええ、もちろん。お茶も淹れるわね」
氷が解けるように、ごく自然な会話が生まれた。
涙を流して抱き合うような劇的な仲直りではない。けれど、この家を覆っていた重たい冷戦状態は、確実に終わったのだ。
「す、すごい……!」
キッチンへ向かう息子の背中を見送った後、母親は涙ぐみながらアサの両手を固く握りしめた。
アサは「私はほんの少し、きっかけを作っただけですよ」と照れくさそうに笑う。
ハルトは、その光景を少し離れた場所から静かに見守っていた。
(なるほど……魔法で『偶然』の確率をコントロールして、お互いが素直になれるタイミングを意図的に作り出すのか。……アサはやっぱり、すごいなぁ)
帰りの館林駅。
空はすっかり燃えるような茜色に染まり、ホームには涼しい夕方の風が吹き抜けていた。
慣れない土地を一日中歩き回り、魔法まで使ったアサは、ホームのベンチでスライムのようにぐったりと溶けている。
「つ、疲れたぁ……。足が棒みたい。もう一歩も歩けない……」
「よく頑張ったな、アサ。依頼人さん、あんなに喜んでくれてたじゃないか」
ハルトがスポーツドリンクを手渡すと、アサは無言で受け取り、ちびちびと飲んだ。だいぶくたびれているように見える。もしかしたら、運命を操作する魔法を使うことで、身体に相応の反動や疲労がくるのかもしれない。
「へへ……当たり前じゃない。大成功よ。でも、今日は朝もかなり早かったし、もう立つのも無理……。ここからまた普通電車でガタゴト帰るなんて、絶望しかないわ……」
「だろうと思って、帰りはこれにした」
ハルトがリュックから取り出し、ひらひらと振って見せたのは、二枚の特急券だった。
「……えっ? 特急?」
「ああ。帰りは奮発して、特急『りょうもう』だ」
ハルトが言うが早いか、ホームに一本の列車が滑り込んできた。流線型の白いボディに、鮮やかな赤いラインが入った車両――東武200型だ。かつてはビジネス急行として名を馳せ、今もなお北関東の足として活躍する、質実剛健な特急車両である。
「うわぁ……! これ、乗っていいの!?」
アサの目に一瞬で生気が戻った。
「お前が今日一日頑張ったご褒美だ。それに、流石に僕も疲れたから、ふかふかのリクライニングシートで寝て帰りたいしな」
(まあ実際には、帰りの車窓動画とかを細かく収録しなきゃいけないから、僕はあんまり休めないんだけど……)
内心で苦労を噛み殺しながら、ハルトは平然と言ってのけた。
「まぁ、私のためにこのくらい用意するのは普通よね!」
「調子に乗るなら、アサだけ各駅停車の乗り継ぎ旅にしてもいいぞ?」
「許してくださいごめんなさい」
即座に平謝りするアサを連れて、二人は車内に乗り込んだ。
一般車両の硬いロングシートとは違う、分厚く包み込むような座席に体を沈める。
前の座席の下にあるフットレストに足を乗せると、アサは「極楽〜……」と、文字通りとろけるような声を漏らした。
「やっぱり特急は全然違うわねぇ……。ねぇ、銀次くん」
「なに?」
アサはニコーッと大きな笑顔ではにかんだ。
「なんでもないわ」
「いや、なんにもないんか〜い!」
ハルトが軽口でツッコむと、アサはくすくす笑って窓の外へ顔を背けた。
やがて、ドアが閉まり、電車が滑るように動き出す。
静かで快適な車内。心地よい一定の揺れと、モーターの低い唸り。
数分後、ふと隣を見ると、アサはすでに深い夢の中だった。
口を半開きにして、今にもよだれを垂らしそうな無防備すぎる寝顔を見ながら、ハルトは小さく、優しく笑った。
「……お疲れ様。また次の旅も、頼むよ」
カメラには決して映らない、二人だけの帰り道。
特急りょうもうは、夕闇が迫る関東平野を、浅草へ向かってひた走る。
奇妙な凸凹コンビの絆は、彼らを乗せて続くレールのように、少しずつ、けれど確実に伸びていた。




