9話 犬猿の仲
都心へ向かう通勤電車は、早朝でもかなり混雑している。
ハルトは電車のつり革に捕まり、スマホとにらめっこしながら、次の旅行の予定を立てていた。
とある駅に到着した。
ここでも多くの人が乗り込んでくる。
そして、発車間際で、駆け込み乗車で乗ってくる見覚えのある女性が一人。
ハルトは彼女と一瞬目が合ったが、見なかったことにして、再びスマホとにらめっこを始めた。
しかし、それは全く意味がなかったようである。
「あれ? おはようございます。ハルト君」
ヒマリ先輩と遭遇する。
ふわりと柔らかい匂いが、ハルトの鼻を掠める。
ハルトは、観念して顔をあげた。
「おはようございます、ヒマリ先輩。昨日の学食の時以来ですね」
理学部の2年生だというヒマリ先輩とは、最近妙に顔を合わせる機会が多い。
実は、アサがいない日にハルトが一人でご飯を食べていると、どこからともなく表れて隣に座って喋りだすのだ。
正直、最初のうちこそ『新手のロマンス詐欺か?』『壺とか絵画を買わされる美人局か?』と本気で警戒したし、実のところ今でも一割くらいはそう疑っている。
ただのしがない陰キャ旅行オタクに、こんな才色兼備の完璧な先輩が毎日のように構ってくる理由がないからだ。
だが――ヒマリ先輩とのランチタイムは、まあまあ楽しい。
いや、本音を言えば、毎回楽しみにしていた。
アサのようにいきなり首を絞めてきたりしないし、
ハルトの鉄道トークにも、きちんと相槌を打って話してくれるからだ。
「それにしても、今日は朝早いですね? 1時間目……も余裕で間に合う時間ですけど、何かあるんですか?」
「え? ああ、ちょっと待ち合わせがあって」
「待ち合わせ……ですか?」
「ああ。そいつと、旅行に出かける予定があって、それの打ち合わせをするんです」
ハルトは、あえて全てを言わなかった。
いや、そいつとはもちろんアサのことだし、旅行に行くのは本当なんだが、それはアサが受けた依頼と、銀次のYouTube動画を撮影するためである。
そして、ハルトとアサの関係性を、この先輩に話すのは、どこか気が引けるところがあった。
「へぇ。楽しそうですね。私も旅行に行きたいです」
しかしながら、ヒマリ先輩はそれをうまく流し、逆にニッコニコの笑顔で返してきた。
「なら、良ければ今度一緒に行きませんか?」
ハルトは、流れに任せてそう言った直後、ハッとなって、少し後悔した。
だが、ときはすでに遅し。
先輩は、一瞬キョトンとしたあと、ひまわりのような笑顔を返してきた。
「ありがとうございます。約束ですよ」
その笑顔にあてられて、ハルトは目をそらしてしまった。
そして大学にて……。
「あの、ヒマリ先輩、理学部の教室はこっちなんですか?」
キャンパス内に入っても、ヒマリはハルトと共に行動していた。
「あーいえ、実は次の授業が共通科目の授業で、B棟の教室で開かれるんですよ」
「なるほど……」
これはまずいことになったとハルトは考えた。
ヒマリと共に行動しているところをアサに見られたら、アサはどんな反応をするのだろうか。
いや別に、ハルトはアサに対して恋愛感情とかそんなものは一切持ち合わせていないと自分では考えているのだが、如何せん相棒を裏切るようなことになってしまう気がした。
更に言えば、今少しずつ銀次として活動するYouTubeチャンネルが伸びようとしている手前、アサを怒らせるのは非常にまずいとも考えている。
なんとしてでもなんとかしないといけない、そう思ったときには、時すでに遅かった。
「あら? 遅かったじゃない、ハルト君。私を待たせるなんていい度胸ね」
「あ……」
「何よあって。まあいいわ。次の打ち合わせを……」
「ハルト君そちらの方は?」
アサが何か言いかけた時、ハルトの後ろからすっと人影が登場した。
浅野の表情が一気に険しくなった。
「ねえ、ハルト、なんでこいつと一緒にいるわけ?」
ハルトは、万事休すと思ってしまった。
「いやあの……アサ……さん、これは」
「なるほど、ハルト君の旅行の相手は女性……しかも、浅野家のご令嬢ときましたか」
心なしか、アサとヒマリ先輩の間に火花が走っているように見える。
「え、あの、二人とも知り合いなんですか?」
「ええ。浅野さんとは、昔からの腐れ縁みたいなものですので」
「腐れ縁……いいように言ってくれるじゃないの。ぽっと出の魔法使いのくせに。何? 今度は私の相棒に唾つけてたのかしら?」
「唾を付けてたなんてとんでもない。私は、たまたまサークルの勧誘をしていて、たまたま、ハルトくんと知り合いになっただけですから」
アサはキッと、ヒマリ先輩を睨んだ。
「おっと、私は一時間目の準備をしなくてはなりませんでした」
ヒマリはハルトの方へスッと歩み寄り、顔を近づけた。ふわりと、またあの柔らかい匂いがハルトの鼻腔をくすぐる。
「ハルトくん、先程の約束、忘れないでくださいね」
「えっ……と……」
「ふふっ。それではまた、どこかでお会いしましょう」
ハルトがしどろもどろになっているうちに、ヒマリは優雅に手を振り、講義棟の奥へと去っていった。
残されたのは、完全に石化したハルトと、腕を組んで足でリズムを刻みながら怒気を放つアサだった。
「……さて。ハルトくん?」
「はい……」
「私に隠れて、美人な先輩と学食でイチャイチャして、たってわけね? そういえば、約束って何かしら?」
「うっ……」
「そう、何も返さないのね……」
ハルトは無言で俯いてしまった。
それを見たアサは、はぁ〜と、それは大きなため息を吐いた。
「私、お腹空いた。今から学食をおごりなさい!」
「はい! いくらでも出させていただきます」
ハルトの悲痛な叫びが、朝のキャンパスに虚しく響き渡った。母親の『自分が言いすぎたと思ったらごめんなさい』という教えを思い出す余裕すら、今の彼にはなかった。
――一方、二人の視界から外れた角を曲がったところで、ヒマリはピタリと足を止めた。
先ほどまでの「底抜けに明るい優等生」の表情はすでに削ぎ落とされ、その顔には感情の欠落した冷徹な「エクソシスト」としてのかおが浮かんでいた。
彼女は付けていた伊達メガネを外し、静かに右ポケットにしまった。
「浅野家の魔法使い、ですか……。どこか覚えのある魔力の残滓が微かに残っていて変だなとは思いましたが、まさか、調査対象のそばに彼女が張り付いているとは思いませんでした」
ヒマリは、先ほどまでハルトが立っていた方向へと無機質な視線を向ける。
彼の中に存在する魔力のエネルギー。
どこでそれを手に入れたのかはわからないが、それは単なる一般の学生が持ち得るものではない。
人間には、個体差があるものの、この世ならざる者をひきよせてしまう力がある人物がいる。
秋津ハルト……彼はその能力を持っている。
しかもどうやら、彼はその力が人一倍強いようだ。
「魔法使いである彼女が彼を保護しているのか、それとも利用しているのか……。監視のレベルを、少し引き上げる必要がありそうですね」
彼女は、”もう一台の携帯端末”を一度確認して再びしまう。
数日前に、秋津ハルトに盗聴用の魔法を仕掛けておいたのだ。
誰にも聞かれることのない呟きが、キャンパスの喧騒に溶けて消えていった。




