7話 これ? おにぎりよ!
「遅いなぁアサ……」
早朝午前7時。
天気は心地よい晴れ。
今日は土曜日ということもあり、大学は基本的に休講で、キャンパス周辺は普段の喧騒が嘘のように静まり返っている。
使い込まれた小さなリュックサックを背負い、片手にデジタルカメラを構えたハルトは、左腕の腕時計を苛立たしげにチラリと睨みつけた。
(もう待ち合わせ時間から二十分も経ってるのに。アサのやつ、どこで道草食ってんだ……? まさか、入学して一ヶ月経っても大学にすら一人で来られないのか!?)
最悪の想像が頭をよぎり、ハルトが深いため息をつきかけた、その時だった。
「お待たせ! ハルトくん!」
遠くから見知った声が聞こえて来たと同時に、小走りで何かが近づいてくる。
「遅いよ、アサ。まさか本当に道に迷ったのか?」
呆れ顔で尋ねるハルトに対し、アサは心外だとばかりに頬を膨らませた。
「ちょっと! いくらなんでも、大学に一人で来られないほど方向音痴じゃないわ! 入学からもうすでに一ヶ月近く経つのよ!」
「……まあ、確かにそうだね。それよりも……」
ハルトの視線は、目の前で息を切らす相棒の顔から、彼女の両手に大事そうに抱えられたビニール袋へと移った。
中には、白黒のずんぐりとした物体がいくつも転がっている。
明らかにそれは、食べ物だった。
ハルトの咎めるような視線に気がついたアサは、悪びれる様子もなくニッコリと満面の笑みを浮かべた。
「これ? おにぎりよ! 朝が早いから電車の中で食べようと思って、さっきおにぎり屋さんで買ったの。ハルトくんの分も買ってあるわよ」
2時間後、浅草駅にて。
「どうもこんにちは、銀次です。時間は午前9時。東武スカイツリーラインの浅草駅に来ています!」
ハルトは、浅草駅のホームを映しながら、オープニングトークをしゃべり始める。
背後には、頭端式ホームならではの少し薄暗く、独特な雰囲気が漂っている。
「ねぇ、ハルトくん。今日の企画は何かしら?」
カメラのレンズがアサを捉えると同時に、彼女はアシスタントのように声を挟む。
「今回やっていく企画はこちら! 鉄道ミリしら女子に知ってもらう、東武線の区間急行!」
「く、区間急行? なんだか、遅いのか速いのかよくわからない名前の電車ね……」
「というわけで、アサくん。この浅草駅、周りを見渡して何か感想はないですか?」
アサが素直な疑問を口にすると、ハルトは待っていましたとばかりにニヤリと笑った。
「感想? うーん……」
アサはカメラ越しに、レトロな造りのホームを見回した。
「強いていえば、なんだかすごく『趣』がある感じがするわ」
「そう。ここ浅草駅は、昭和初期に建てられた松屋デパートのビルの中にある、歴史あるターミナル駅なんだ!」
「昭和初期? かなり歴史があるのね!」
「驚くのはまだ早いよ、アサくん。なんと東武鉄道の線路が最初に開業したのは、明治時代。なんと今から乗る東武線は、今いる浅草駅よりも長い歴史があるんだ」
「それなら、この浅草駅がちょっと戦前っぽい雰囲気なのも納得ね。それで、今日乗る電車はどれかしら?」
「今から乗る電車は、これだね。9時13分発の区間急行館林行」
ハルトがカメラのパンをホームに停車している列車へと向ける。
「な、なんというか、浅草駅着いてからずっと思ってたけど、古い車両が多くない?」
アサの鋭いツッコミに、ハルトは苦笑して誤魔化した。
「まあまあそれは気になさらないで。っと、これを見てくれ、アサ」
ハルトは足元を指差した。
そこには、車両のドアとホームの間にパックリと口を開けた、大人でも足を踏み外してしまいそうなほどの巨大な空間があった。渡り板が架けられている場所もあるほどだ。
「ひえっ! 何これ、広すぎない!?」
「ここ東武浅草駅はね、隅田川を渡るために急カーブの途中にホームを作っちゃったんだ。だから、電車が停まると車体とホームの間に大きな隙間ができちゃう。鉄道ファンの間では有名な『急カーブ駅』なんだよ」
YouTuber「銀次」として得意げに解説すると、アサは「へぇ〜」と目を丸くする。
二人は区間急行に乗り込み、空いている席に並んで座った。
プシュー。
ガタンゴトン。
ドアが閉まり、電車はゆっくりと、本当にゆっくりと、浅草駅の急カーブをきしませながら発車した。
隅田川を渡ると、スカイツリーが車窓いっぱいに広がる。
「スカイツリー大きい! ここからじゃ近すぎて見えないわ!」
「この隅田川から見る東京の景色も素晴らしいだろ? ここからは下町を縫うように走るから、しばらくは電車が揺れるぞ?」
「へぇ。それは楽しみね」
やがて電車は下町を抜け、北千住駅を過ぎると、それまでの鬱憤を晴らすかのように複々線区間を猛スピードで快走し始めた。
車窓を流れる景色は、ビル群から次第にのどかな畑や住宅地へと変わっていく。利根川の雄大な流れを渡る頃には、二人の列車の旅も中盤に差し掛かっていた。
──時計の針は少し戻り、時刻は午前八時。
撮影を開始する一時間前。
アサとハルトは、まだ人もまばらな浅草駅のホームのベンチに座り、買ってきたおにぎりを頬張りながら今日のプランを改めて確認していた。
「その、依頼人っていうのが、館林駅のあたりにいるのか?」
シャケのおにぎりを飲み込みながら、ハルトは小声で尋ねた。
彼らの今日の目的は、YouTubeの撮影だけではない。
アサの『本業』である依頼の解決も兼ねていた。
「そうよ。今回の依頼人は、とある親子のようね。息子が引きこもりで親との会話もしないから困っているようよ」
「……それは、アサの『幸せを運ぶ魔法』とやらで解決できるものなのか? 直接的な問題解決っていうより、心理的な壁だろ?」
半信半疑のハルトに、アサはきっぱりと頷いた。
「ええ、大丈夫。私の魔法は『幸せを運ぶ』とは言ってるけど、無から有を生み出すわけじゃないの。要は、その場に既にある『前提条件』を基にして、魔法の対象者に幸せが訪れるように運命の確率を調整しているだけだから」
「確率の調整?」
「そう。例えば、そこに火をおこせる条件──薪や摩擦を起こす道具──が揃っていて、なおかつ『火があればその人が幸せになれる』という状況なら、私は魔法で確率をいじって、確実に火をおこすきっかけを作ることができるの」
アサは一息にそう言うと、2個目のおにぎりを幸せそうに口に頬張った。
「な、なんだか、よくわからないな……」
「わからないなら、無理して覚える必要はないわ」
もぐもぐと咀嚼しながら、アサは隣のホームに停まっている流線型の車両を指差した。
「それより、銀次くん! 私たちはどの特急に乗るのかしら? もしかして、あの金色の派手なやつ? それともこっちのシュッとしたやつ?」
目を輝かせるアサに対し、ハルトは気まずそうに視線を逸らした。
「いや……今回は、特急には乗らない」
「えっ、何よ! 館林まで結構遠いんじゃないの!? ハルトくん、いくらなんでもケチンボすぎない?」
「ケチじゃない、節約だ! 僕らは貧乏な大学生だし、YouTubeの収益だって0円なんだからな。……これに乗るぞ」
ハルトがビシッと指差した先には、ステンレスの車体に帯が入った、見慣れた一般車両が停まっていた。
窓の中を覗けば、窓を背にして座るロングシートがずらりと並ぶ、ごくごく普通の通勤電車である。
「えー、普通の通勤電車じゃん……。お弁当食べながらとか、そういう旅情が全然ないなぁ」
あからさまに肩を落とすアサを、ハルトは苦笑しながらなだめた。
「文句言わない。この区間急行はね、特急券なしで乗れるのに、北千住から先は結構飛ばすんだぞ。それに、埼玉の田園風景をのんびり眺めるのも悪くないしね」
「むぅ~」
不満げに唇を尖らせるアサの頭を、ハルトはポンと軽く叩いた。
「おにぎり食べ終わった? ちょっと休んだら撮影するよ」




