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Youtuberの旅行オタクと方向音痴の魔法少女  作者: エアポート快特
第四章

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62話 暴力

悪魔三人の気配が完全に途絶えた通路を、ハルト、ヒマリ、そらの三人は無言のまま進んでいた。


先ほどまでの喧騒が嘘のように、辺りは不気味なほど静かだった。

通路の照明はさらにその数を減らし、薄暗がりが濃さを増している。

足音だけが、やけに大きく反響していた。


「……大丈夫かな、三人とも」


ハルトがぽつりと呟く。

振り返っても、もうそこには何もない、ただの暗い通路が続いているだけだった。


「信じましょう。彼らは、私達が思っている以上に強かです」


ヒマリが前を向いたまま、静かに答えた。

だがその声には、いつもの落ち着きの中に、微かな緊張の色が滲んでいる。


「……ヒマリさん、少し顔色が悪いようですが」


そらが横から気遣うように声をかけた。


「……いえ、大丈夫です。少し、集中しているだけですから」


ヒマリはそう答えて、剣に変わるあのアクセサリーに手を添えたまま、歩みを緩めなかった。

しかし、その足取りは、ハルトの目から見ても明らかにぎこちなかった。


(先輩……?)


ハルトが声をかけようとした、その時だった。


「……っ」


ヒマリが小さく呻き、片手で自分のこめかみを強く押さえた。


「ヒマリ先輩!?」


ハルトが慌てて駆け寄る。

ヒマリは壁に手をつき、荒い息を吐きながら、こみ上げる何かを必死に堪えるように、奥歯を強く噛みしめていた。


「……ぇ……出て、くるな……」


掠れた声で、誰にともなく呟く。

その様子は、ハルトが今まで一度も見たことのないものだった。

いつも冷静で、感情を表に出すことのない先輩が、まるで自分の内側にある何かと戦っているかのように、苦しげに顔を歪めている。


「ヒマリさん、これは……」


そらもまた、驚いたように目を見開いていた。


(ラストは消えたのに……どうして!?)


ハルトはとっさの状況にパニック状態になりかける。


「先輩、無理しないで……!」


ハルトが手を伸ばそうとした、その瞬間だった。


「うっせーんだよ! 耳障りな声を出すんじゃねぇ!」


廊下の向こうから怒鳴り声が近づいてきた。

三人の視線が、一斉にその方向へと向く。

暗がりの奥、通路を完全に塞ぐようにして、一つの巨大な影が佇んでいた。

人間の輪郭を保ってはいるが、その体躯は明らかに常軌を逸していた。

天井に届かんばかりの背丈、丸太のように太い両腕、そしてその肌は、まるで腐り落ちる寸前の果実のように、黒く爛れた紋様で覆われている。

かつては人間だったのだろう、その面影がわずかに残る顔には、濁った黄色い双眸が二つ、ぎらぎらと輝いていた。

ヒマリが、ハッと息を呑んで顔を上げた。

こめかみを押さえていた手が、ゆっくりと下ろされる。彼女の顔から、一切の表情が消えていた。


「……お父さん」


その一言は、ハルトが今まで聞いたどんなヒマリの声よりも、平坦で、そして凍りついていた。

ヒマリが父親と呼ぶ存在……かつて、ハルトがヒマリの記憶の中で見た、ヒマリとヒマリの母に暴力を振るっていた存在だ。

でも、もうその存在は「人間」ではない。

巨大な影を持つ「何か」は、ぎょろりと濁った瞳をヒマリへと向け、そして醜く口の端を吊り上げた。


「お前。……お前のせいで、俺はこんな姿になったんだぞ」


デストロイと化した男は、ぎょろりとした目でヒマリを睨みつけながら、唸るように言った。


「……は?」


ヒマリの声に、初めて感情らしきものが滲んだ。

それは怒りでも悲しみでもなく、ただただ理解が追いつかないという、純粋な困惑だった。


「お前が警察を呼んだ。お前が、俺から全部奪ったんだ。仕事も、家族も、居場所も……全部だ」


男はぶつぶつと、まるで何かの呪詛を唱えるように繰り返した。


「あの時、お前が余計なことをしなければ、俺は今頃……」

「――黙れ」


ヒマリの声は、決して大きくなかった。

だが、その静けさが、逆に空間の温度を凍りつかせた。


「今頃、何だと言うんですか。母を殴り続けて、私を怯えさせ続けて、それで満足するまで続けるつもりだったんですか」


デストロイの黄色い瞳が、ぎろりとヒマリを見据える。


「うるせぇ! 子供のくせに、生意気な口を叩くな!」


その怒声と共に、丸太のような右腕が振り上げられた。

子供に手を上げる時と、寸分違わない仕草だった。

何も変わっていない。

あの部屋で、幼いヒマリを打とうとした時と、全く同じ動作だった。


「……ハルト君、そら君。下がっていてください」


ヒマリが静かに、しかし有無を言わせぬ声で告げた。

振り返ったその横顔は、ひどく凪いでいた。


「これは、私の――」

「問題だなんて言わせません」


ハルトが、思わず口を挟んだ。

自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。


「先輩一人の問題じゃない。僕もそら君も、ここにいます」


ヒマリが一瞬、驚いたようにハルトを振り返る。

だがすぐに、小さく首を横に振った。


「……いいえ。ハルト君、あなたはまだ、この相手と対峙できるレベルにありません。無茶をすれば、足手まといになるだけです」


その言葉は、いつもの厳しさそのものだった。

だが今は、その厳しさの奥に、微かな怯えのようなものが滲んでいるのを、ハルトは感じ取った。


(先輩は、僕を守ろうとしてるんじゃない。……僕に、これを見せたくないんだ)

「くだらねぇ茶番はもう終わりだ!」


デストロイが痺れを切らしたように吠え、地を蹴った。

爛れた皮膚の下で膨れ上がった魔力が、そのまま巨腕へと集束していく。


「――来ます!」


ヒマリの叫びと同時に、腰のホルダーから小さなアクセサリーが瞬時に一振りの剣へと姿を変えた。

振り下ろされた巨腕が、通路の床を粉々に叩き割る。

轟音と共に舞い上がる粉塵の中を、ヒマリの小柄な体が、まるで一陣の風のようにすり抜けていった。


「がっ……!」


一閃。

デストロイの腕に、深い斬撃が走る。黒い霧のようなものが、傷口から噴き出した。


「小賢しい真似を……!」


デストロイが咆哮を上げ、もう片方の腕を大きく振り回す。

ヒマリはそれを紙一重で躱しながら、着地と同時に距離を取った。

肩で息をするヒマリの額には、すでにうっすらと汗が滲んでいる。

先ほどの頭痛の余韻が、まだ体のどこかに残っているのだろう。


「……お前も。俺の言うことを聞かない、あの女と同じ目をしてやがる」


デストロイが低く唸る。

その言葉に、ヒマリの剣を握る手が、ほんの一瞬、震えた。


「――母は」


ヒマリの声が、初めて微かに揺れる。


「母は、あなたの言うことを聞かなかったんじゃない。あなたが、聞く価値のあることを、一度も言わなかっただけです」


その言葉を最後に、ヒマリは再び地を蹴った。

ハルトはそらと共に、壁際に追いやられながら、その戦いを、ただ見つめることしかできなかった。

握りしめた拳の中に、無力感だけが冷たく居座っていた。

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