59話 再会
「え……なんでここに……?」
ハルトの声が、うわずって裏返った。
華やかな地上出口とは対照的な、埃っぽく古びたコンクリートの通路に、聞き覚えのある声が反響していた。
「あん!? おせーじゃねーか! 何ちんたらしてやがる⁉」
ハルト、ヒマリ、そらの三人は、新宿駅構内の外れの方に来ていた。
あまり知られていない出口なのか、人通りが少なく、どこか寂しい雰囲気が流れている。
壁のタイルは所々剥がれ落ち、蛍光灯の一本は今にも切れそうにチカチカと明滅していた。
まるでこの世界から忘れられたような一角。ここが本当に、あの新宿駅の一部だとは信じがたかった。
「エンヴィー!? マモンとミニラストも!?」
薄暗がりの奥、通路の突き当たりに、見覚えのある三つの影が立っていた。
片角の折れた男が苛立たしげに腕を組み、その隣で銀髪の男が慇懃な笑みを浮かべている。
そして一番手前、小さな影が両手を腰に当てて出迎えるように立っていた。
「お待ちしておりました、ハルト君、ヒマリさん、それに、アサさんの弟さんも」
マモンが丁寧に一礼する。その所作は、まるでホテルのコンシェルジュのように滑らかだった。
「ちょっとハルト! 今から敵のアジトに進入するって言うのに、どうして連絡しなかったのかしら? 契約違反よ!」
ミニラストが頬を膨らませ、腰に手を当てて詰め寄ってくる。
見た目だけなら拗ねた子供にしか見えないその仕草に、ハルトは状況の緊迫感を一瞬忘れそうになった。
「ちょっと待って! 三人はなんでここにいるの⁉」
ハルトは思わず両手を突き出して制止のポーズを取った。
頭の中で情報が処理しきれず、混乱がそのまま声に出てしまう。
「とある情報筋と、マモンの予知能力から、あなた達三人がここに来ることがわかったから、待ち伏せしてたの」
ミニラストがあっけらかんと種明かしをする。
予知能力――マモンが以前語っていたあの黒いメモ帳の力を思い出し、ハルトは今更ながら背筋に冷たいものを感じた。
自分たちの行動は、こうして常に何者かに把握され得るのだという事実が、改めて重くのしかかってくる。
「てめぇ。契約を破っておいて、覚悟はできてんだろうなぁ⁉ アァ!?」
エンヴィーがドスの効いた声で凄み、ハルトとの距離を一気に詰めてくる。
その迫力に、ハルトは思わず一歩後ずさった。
「落ち着いてください。エンヴィーさん。ハルト君が怖がっているではありませんか?」
マモンが仲裁するように割って入る。
だが、その口調にはどこか面白がっているような余裕すら滲んでいた。
「んだとマモン!? 文句あんのか⁉」
いつもの調子で言い争いを始める二人を見て、ハルトは張り詰めていた気持ちが少しだけ緩むのを感じた。
この漫才のようなやり取りに救われているのは、きっと自分だけではないだろう。
「あの、あなた達は一体……」
「あなたは確か……浅野家の長男だったわよね。私はラスト。でも今は小さいから、ミニラストって呼んでね。で、暴れてる方はエンヴィー。メガネかけて落ち着いてるいけ好かない方は、マモンよ」
ミニラストが人差し指をピンと立て、あっさりと自己紹介を済ませる。
まるで近所の顔見知りを紹介するような、あまりにも軽い口調だった。
「そら君。この人たちは悪魔ですが、少なくとも、私達の頼もしい味方です」
ヒマリが横から補足するように言葉を添えた。
その声には、これまでの付き合いで培われた確かな信頼が滲んでいる。
「そうなんですね。初めまして。浅野そらです。よろしくお願いします」
そらは丁寧に頭を下げ、右手を差し出した。
「ええ、こちらこそよろしく」
ミニラストとそらは軽く握手した。
その様子を眺めながら、ハルトはふと妙な違和感を覚えた。
何か、引っかかる。
だが、それが具体的に何なのか、言葉にする前にミニラストの声が思考を遮った。
「で、入口ってのはここかぁ?」
エンヴィーが唐突に真顔になり、通路の奥、行き止まりのように見える壁面を見据えた。
空気が一瞬にして張り詰める。
「はい。浅野家の独自の調査結果によりますと、一見地上に繋がってそうなこの通路が、実は敵のアジトの入口だそうです」
そらが淡々説明する。彼の視線もまた、まっすぐにその壁の先へと注がれていた。
「なるほどねぇ」
ミニラストは目を凝らして通路の奥をじっと睨んだ。
夕暮れ時特有の橙色の光が、通路の途中でふつりと途切れている。
その先だけが、まるで別の時間軸に取り残されたような、濁った暗闇に沈んでいた。
「この先、明らかに地球上とは思えないくらい、魔力量が増大している。それに、空間もこの通路の先はゆがんでいる。どうやら、彼の言ってることに間違いはなさそうね」
ラストの言葉に、ハルトは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
何気なく通り過ぎていたはずの駅の片隅に、こんな異質な空間が潜んでいたなど、これまでの日常では想像もつかなかったことだ。
「マモンさん。念のため、もう一度予知をしていただけませんか?」
ヒマリが静かに促すと、マモンは小さく頷いて、懐から例の黒いメモ帳を取り出した。
羽根ペンを走らせる仕草すらなく、ただ紙面を見つめるだけで、文字が滲むように浮かび上がってくる。
「……ふむ。この先に進んだ場合の未来は、やはり不透明ですね。分岐点が多すぎて、精度のある予測が出せません」
マモンは眉根を寄せ、メモ帳を静かに閉じた。
「つまり、行ってみないとわからないってことね」
ミニラストはにやりと笑みを浮かべた。
「上等じゃねぇか。上等すぎるくらいだ」
エンヴィーが吐き捨てるように言い、ポキポキと指を鳴らした。
好戦的な笑みが口元に浮かんでいる。
「エンヴィーさんはいつも通り血の気が多いですね……」
ヒマリが小さくため息をつきながら、腰のホルダーに手を添える。
剣に変わるあのアクセサリーの感触を確かめるように。
ハルトは自分の左手を見下ろした。
薬指に嵌められた二つの指輪が、地下空間の電灯の下でもかすかに光を放っている。
一つは青。もう一つは、依然として黄色く点滅を続けたままだった。
(アサ……。もう少しだけ、待っててくれ)
胸の奥で、ハルトは強く誓った。
不安と恐怖は消えない。だが、それを上回るだけの決意が、今の彼を突き動かしていた。
「では、そろそろ行きましょうか」
マモンが穏やかな声で、けれど有無を言わせぬ響きで告げる。
「ハルト君、ヒマリさん、そらさん。これより先は、後戻りできません。よろしいですね?」
その問いかけに、三人は一様に頷いた。誰の声にも、迷いはなかった。
「よし。じゃあ、そらくん。この先も案内してくれないかしら?」
「……いえ、この先は僕にもどうなってるのかわかりません」
「あら? そうだったわね。まあとりあえず、行きましょうか」
ミニラストがくるりと踵を返し、本来あるはずのない通路に一歩踏み出す。
彼女がその通路に足を踏み入れる度に、ぐにゃりと空間がゆがんでいき、コンクリートの壁だったはずの場所に、深い闇へと続く裂け目が音もなく口を開いていく。
冷たい風が、裂け目の奥から吹き付けてくる。
それは夏の生温い空気とは全く異質な、どこか死の匂いすら孕んだ風だった。
「……行きましょう」
ヒマリが先頭に立ち、迷いのない足取りでその裂け目へと足を踏み入れる。
そらが静かにそれに続き、悪魔たちも順番に闇の中へと吸い込まれていった。
最後に残されたハルトは、もう一度だけ、光の届く新宿駅の喧騒を振り返った。
いつもの日常。いつもの雑踏。
だが、もうそこに戻る道は、当分の間閉ざされることになるだろう。
「……行くぞ」
自分自身に言い聞かせるように呟き、ハルトは裂け目の中へと足を踏み出した。
背後で、まるで何事もなかったかのように、壁が静かに閉じていった。




