↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Youtuberの旅行オタクと方向音痴の魔法少女  作者: エアポート快特
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/132

57話 必ずお帰りください

「一つだけ、僕の話をさせてください」


そらは、空になったグラスの縁を指でなぞりながら、そう切り出した。


「僕がやりたいことは、単純です。母を助けたい。姉を助けたい。それだけなんです」


当たり前すぎて、誰も反論できない言葉だった。


「母は七年、あそこにいます。姉は、たぶんまだ数日です。……順番が逆になってしまうんですが、僕は、姉を先に迎えに行きたい」

「場所を、知っているのか」


ハルトが尋ねると、そらは静かに頷いた。


「おおよそは。留学中に、そのために調べていたので」


ヒマリの表情が、はっきりと硬くなった。


「それは、先ほど伺った話より、はるかに重い情報です。なぜ最初に言わなかったのですか」

「順番に話した方が、信じてもらえると思ったからです。いきなり場所から言われても、怪しいでしょう」


筋は通っている。

通りすぎているような気もしたが、ハルトには反論のしようがなかった。


「藤宮さん。今の話も、上官の方に報告してください。全部です」

「……当然、そうします」

「はい。そのうえで、お願いがあります」


そらは、テーブルに両手を置いて、深く頭を下げた。


「僕と一緒に、姉を迎えに行ってもらえませんか」


店内のざわめきが、一段遠のいた気がした。


「僕は戦えません。浅野家の魔法は、人を傷つけるようにはできていないんです。場所はわかっても、それだけです」


顔を上げたそらの目は、まっすぐハルトを見ていた。


「お二人の力が要るんです」


しばらく、誰も何も言わなかった。

やがてヒマリが、ひどく静かな声で答えた。


「お断りします」


ハルトは思わず彼女の横顔を見た。


「情報は上官に上げます。組織として、必ず動きます。ですが、私たち三人で行くことは、できません」

「理由を、聞いてもいいですか」

「私に、その資格がないからです」


ヒマリはそれ以上、何も説明しなかった。

そらは少しだけ困ったように笑って、静かに立ち上がった。


「わかりました。無理を言ってすみません」


伝票を取ろうとしたそらの手を、ハルトが慌てて止めた。

押し問答の末に割り勘に落ち着いたその手つきが、高校生にしては大人びすぎていて、ハルトはなぜか少しだけ、この青年を信じたくなった。


「連絡先だけ、置かせてください。気が変わったら、でいいので」


そらはそれだけ言って、店を出ていった。

追いすがりもせず、粘りもしなかった。



その日の夜。

ハルトのスマホが鳴った。ヒマリからだった。


『……ハルト君。今、大丈夫ですか』

「うん。どうだった、報告」


少しの沈黙のあと、ヒマリは短く言った。


『待機です』

「……待機」

『情報は上に上がりました。裏を取って、部隊を編成して、それから動く。何週間かかるかは、わからないそうです』


声に抑揚がなかった。

それが逆に、彼女がどれだけ怒っているかを伝えていた。


『土方さんは、正しいことを言っています。裏の取れていない情報で人を死地に送るのは、組織としては最悪の判断です。私も、逆の立場なら同じことを言います』

「……先輩」

『でも』


そこで、初めて声が揺れた。


『これから……私達が助けに行けないこれからの時間……何週間も、アサはあそこにいるんです』


ハルトは、スマホを握る手に力を込めた。


『ハルト君。私は、あの人に断ってよかったと思っています。……ううん、違いますね。安心したんです。断る理由が、ちゃんとあってよかったって』

「なんでそんな言い方するんだよ」

『私があなたたちを誘いました。覚えていますか。上から、あなたとアサを任務に組み込めと言われて、私はそれを持って行ったんです。断ればよかったのに』


あのカフェの、アイスコーヒーのストローを弄っていた指先を、ハルトは思い出した。


『危険な仕事だと知っていて、私はあの席に座りました。その結果がこれです。私はもう一度、同じことをしようとしていた。だから、断る口実ができて、ほっとしたんです。……最低ですよね』

「……先輩」


言わなければならない、とハルトは思った。

今言わなければ、たぶん一生言えない。


「僕、先輩に隠してることがある」


電話の向こうが静かになった。

ハルトは全部話した。

江ノ島で襲われたこと。

ミニラストと、マモンと、エンヴィー。契約したこと。悪魔のボスを倒すという条件。

人間界を絶望で塗り潰そうとしている勢力のこと。

そして、それが今日そらの口から出た話と、寸分違わず重なっていたこと。

話し終えると、長い沈黙があった。


『……ハルト君』

「うん」

『それは、いつの話ですか』

「つい、昨日の話なんだ。アサから連絡がかかってくる、ほんの数時間前の話」


電話の向こうで、息を吸う音がした。


『どうして』


声が震えていた。


『どうして、すぐに電話してくれなかったんですか』

「今日……三人で集まった時に言うつもりだったんだ。ほんとに。……そしたら」


そのあとが続かなかった。


『……ごめんなさい』


謝ったのは、ヒマリの方だった。


『違いますね。責める資格、私にはないです。私だって、あなたに黙っていたことがいくつもある』


しばらく、二人とも黙っていた。

電話の向こうから、微かに、彼女が息をつく音が聞こえた。


『ハルト君。一つだけ、確認させてください』

「なに」

『あなたは、行くんですね』


ハルトは、天井を見上げた。

土方の言葉が、まだ耳に残っている。

他のエクソシストの足手まといになる。

的確すぎる事実だった。

反論できなかった。

今も、できない。


それでも。


「行くよ」


自分でも驚くくらい、あっさりと声が出た。


「僕がいたって何の役にも立たないのは、わかってる。でも、あいつが帰ってきたときに、僕が家で待ってたって知ったら、たぶん一生、からかわれる」

『……そんな理由ですか』

「そんな理由だよ」


電話の向こうで、ヒマリが小さく笑ったのがわかった。

笑ったあと、彼女はしばらく黙っていた。


『わかりました』

「先輩」

『私は総務省の人間です。命令に背けば、たぶん、いろいろ終わります』


その「いろいろ」に何が含まれているのか、ハルトには想像することしかできなかった。

児童養護施設から魔法塾へ、そして管理局へ。

彼女がこれまで積み上げてきたものの全部が、そこに入っているのだろう。


『でも、あなた一人で行かせたら、間違いなく死にます』

「……返す言葉もない」

『ですから、行きます。あなたを守るために』


迷いのない声だった。


『浅野そらさんには、私から連絡します。ハルト君は、明日の朝までに支度をしてください。……それと』

「なに」

『眠れないと思いますが、寝てください。寝不足の人間から死にますので』


通話が切れた。

ハルトは、しばらくスマホを見つめたまま動けなかった。


旅行の支度をするのは、慣れているはずだった。

これまで何十回とやってきた。

時刻表を眺めて、切符を買って、リュックにカメラと三脚と充電器を詰める。

そのはずなのに、今夜は何を入れればいいのか、まるでわからなかった。


結局、いつもとほとんど同じ荷物になった。


「お出かけですか」


振り返ると、部屋の入口にアオイが立っていた。


「……うん。二、三日、帰らないかも。母さんには、合宿だって言っといて」

「かしこまりました」


アオイは、どこへ、とは聞かなかった。

誰と、とも、何をしに、とも聞かなかった。


「アオイ」

「はい」

「……なんで、何も聞かないの」


アオイはほんの少しだけ、ハルトの顔を見た。


「お答えになりたくないことを、お聞きするつもりはありません」


それだけ言うと、彼女はすっと部屋に入ってきて、机の上に置きっぱなしになっていたものを取り上げた。

なんの変哲もない、古い腕時計。


「お忘れですよ」


差し出されたそれを、ハルトは黙って受け取った。

いつだったか、この家に来たばかりのアオイから、同じように手渡された物だった。

宗介の形見。

ヒマリが解析して、「どのような形であれ、必ずハルト君の役に立つように作られている」と言った魔道具。

金具を留めると、少しだけひやりとした感触が手首に残った。


「ハルト様」


部屋を出ようとしたアオイが、廊下で足を止めた。

その背中は、こちらを向いていなかった。


「行ってらっしゃいませ、とは申しません」

「……え?」

「必ず、お帰りください」


返事を待たずに、アオイは階段を降りていった。


ハルトは、手首の時計を見下ろした。

秒針が、いつもと同じ速さで進んでいる。


窓の外は、まだ夏の夜だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。