56話 理由
ハルト、ヒマリ、そして、浅野そらの三人は、最寄りのファミレスに入った。
「さて、それでは、順を追って説明しますね」
そらは、アイスコーヒーを飲みながら話し始める。
「浅野家は、確率を操作して、幸せを与える魔法を家業にしている家、だということは、ご存じですか?」
「はい。それは、アサ……お姉さんから聞いています」
ヒマリは、ゆっくりと答えた。
「ありがとうございます。じゃあ、話が早いですね」
そらはグラスをコースターの上に戻した。氷が一つ、小さな音を立てて沈む。
「秋津さん。魔法のことが世間に知られていないのは、なぜだと思いますか」
「え? ……それは、管理局が隠してるから、じゃないのですか?」
「隠している、というのは少し正確じゃないんです」
そらは、テーブルの上で指を三つ、離れた位置に置いた。
「これは、例えばの話なのですが、北海道で人が悪魔になる。沖縄で見たこともない生き物が目撃される。東京で異界の門が開く。この三つの事件が起きるとします。——この三つは、本当は同じ根から起きています。でも、バラバラの日に、バラバラの場所で起きているうちは、ただの噂話で終わる」
そらは、その三本の指をすっと一直線に並べた。
「管理局が止めているのは、現象そのものじゃない。点と点が線になって、『これは実在する』と社会に確定してしまう瞬間です。つまりあの隠蔽は、無関係な出来事同士がたまたま繋がらない——その確率の上に成り立っている」
ハルトは、そこまで聞いて、背筋が冷えた。
ヒマリも同じだったらしい。彼女の指先が、テーブルの上で固く組まれていた。
「……浅野家の魔法は、確率を操作する魔法」
「はい」
そらは静かに頷いた。
「隠蔽の前提を直接壊せるのは、この世で浅野家の力だけなんです」
「待ってくれ」
ハルトは思わず身を乗り出した。
「アサの魔法って、そういうのじゃないだろ。テレビのCMと唐揚げの匂いを重ねて、親子の仲を取り持つような……そんな、小さくて優しい魔法だ」
「ええ。姉の使い方は、正しい浅野家の使い方です。ただし……」
そらは、そこで初めて、ほんの少しだけ目を伏せた。
「姉から聞いていませんか。あの魔法は、無から有を生み出すわけじゃない。その場にもうある前提条件をもとに、確率を寄せているだけだと」
「……聞いてる」
「なら、話は早いです。前提条件さえあれば、寄せる先は、どちらでもいいということです」
ハルトは、口の中が乾いていくのを感じた。
小さな不運を、同じ瞬間に集める。体調不良、非常停止ボタンの誤作動、消火器の故障、駅員の対応の遅れ。一つ一つは事故で片付く。それが全国で、絶妙な間合いで起き続けたら。
「……社会が、勝手に怖がるようになるんですね?」
「そのとおりです。秋津さん、鋭いですね」
褒められたのに、ちっとも嬉しくなかった。
「いったい、そんなこと、誰が何の目的でやろうとしているんだ?」
「……僕達が倒すべき相手の名前は、ファーベル、といいます」
そらは、まるで天気の話をするような調子で、その名前を出した。
「魔界のある勢力の頭です。目的は、統制されている魔法を人間界に解き放って、人間を混沌に落とすこと。絶望した人間からは、効率よく負のエネルギーが取れるので」
——人間界を絶望で塗り潰して、根こそぎエネルギーを刈り取って、魔界を潤わせようとしてる。
ラストの声が、そのまま重なった。
ハルトは、危うく声を上げそうになるのをこらえた。
言えない。
契約のことも、悪魔トリオのことも、まだヒマリに話していない。
ハルトは、ここで口を滑らせたら、全部が一度に崩れる気がした。
(……なんで、こいつが知ってるんだ)
ラストたちは、あれだけの情報網を持っていて、そこだけが摑めないと言っていた。
その一点を、目の前の青年は、名前まで揃えて差し出してきている。
「……根拠は?」
「……非常に申し訳ないのですが、今は、僕の言葉しかありません」
そらはあっさりと認めた。
「信じてもらえないなら、それでも構いません。ただ、聞くだけ聞いてもらえれば、嬉しいです」
ヒマリが、静かに口を開いた。
「一つ、よろしいですか。私は総務省の人間です。今伺った内容は、上官に報告する義務があります」
「どうぞ」
そらは即答した。
「むしろ、そうしてください。僕は隠すつもりで来たわけじゃないので」
ヒマリが、わずかに言葉に詰まったのが、ハルトにもわかった。
「それで……」
ハルトは、一番聞きたいことを、ようやく口に出した。
「浅野家の先代当主が事件に関わってる、って話は、本当なんですか?」
「本当です」
そらは、グラスの水滴を指でなぞった。
「先代当主は、浅野おとは。僕と姉の、母です」
ヒマリが息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「母は、ファーベルに封印されています。時間にしてもう6年。……殺されてはいません。殺す意味がないからです。生かして、確率を操作する力だけを使わせている」
つい最近、先代当主が関わっている、とヒマリが言ったとき、アサはゆっくりと、だけど大きく目を開けて、「……そう」とだけ言った。
あの一言に、どれだけのものが詰まっていたのか、今になってようやくわかった。
(アサは、知ってたんだ)
自分の母親が、敵として名前を挙げられている。それを聞かされて、あいつは何も言わなかった。
なのに自分は、あの場で「また三人で旅行に行けるね」なんて言って、笑っていた。
テーブルの下で、ハルトは膝の上の拳を強く握った。
「じゃあ、アサは」
声が掠れた。
「アサは、今、どこにいる?」
「断定はできませんが……」
そらは、ハルトの目をまっすぐに見た。
「母がいるのと同じ場所——ファーベルの本拠にいる可能性が、いちばん高いと思います」
窓の外を、バスがまた一台、ロータリーを回っていった。
店内では、隣のテーブルの家族連れが、ドリンクバーのおかわりで揉めている。
その平和な音が、やけに遠く聞こえた。
「……一つ、聞いていいか」
ハルトは顔を上げた。
「君は今まで、どこにいたんだ」
そらの指が、一瞬だけ止まった気がした。
だがそれは本当に一瞬で、次には、彼は困ったように微笑んでいた。
「留学していました。海外に」
「留学?」
「母を助ける方法を探していたんです。日本にいても、浅野家の資料しか読めませんから。——伯母の、みゆきの協力で」
ハルトは、思わず眉を寄せた。
「伯母……? みゆきさんって、アサの母親じゃ」
「よく間違われます」
そらは苦笑した。
「みゆきは、母の姉です。母がいなくなってから、当主の座と、僕らの親代わりを、両方引き受けてくれました」
ハルトは、頭の中で何かがずれる感覚を覚えた。
確かに、先ほど空の口から飛び出したアサ達の母の名前は、「みゆき」ではなく「おとは」であった。
思えば自分は、みゆきの口から「母親だ」と聞いたことは一度もない。
勝手にそう思い込んでいただけだ。
「……確認、してもいいか」
「もちろん」
そらは、少しも慌てなかった。
ハルトはスマホを取り出し、連絡先を繰った。
浅野みゆき。
アサが大学に来れなかったとき、何回かアサの容態を確認するために通話を試みたが、彼女が通話に出ることは、ついぞなかった。
思えば、代理とはいえ、彼女は一家の当主だ。
その忙しさはハルトには想像できないほどに違いない。
どうせ今日も出ないだろう——そう思いながら、通話ボタンを押す。
コール音は、一度も鳴らなかった。
『はい。浅野です』
いつもの、耳に心地よい大人の女性の声だった。
隣で、ヒマリの肩がぴくりと跳ねたのがわかった。
「あ、えっと、秋津ハルトです。お久しぶりです。あの、突然すみません」
『久しぶりね、ハルト君。どうしたの』
「……そらくん、って人が、今、目の前にいるんですけど」
『ええ、そらね。私が留学の手配をしたのよ。何か問題があった?』
すらすらと言葉が返ってきた。
問題は、ない。
ないはずだ。
「いえ……ありがとうございます。じゃあ、また」
『はい。気をつけてね』
通話は切れた。
ハルトはスマホを耳から離し、画面の通話終了の表示をしばらく見つめていた。
確認は取れた。取れたのに、指先がやけに冷たい。
(……なんだ、これ)
何が引っかかっているのか、自分でもわからなかった。
ただ、あの人は——初めて会ったとき、こちらをからかってきた人と同一人物だとは、とてもじゃないけど思えなかった。
「どうでした?」
そらが、穏やかに尋ねてくる。
「……うん。合ってた」
「よかった」
そらは、心底ほっとしたように笑って、アイスコーヒーの残りを飲み干した。




