54話 消失
次にハルトのスマホが大きな着信音と共に震えたのは、翌朝のことだった。
「……ん……誰……だ?」
カーテンの隙間から差し込む夏の眩しい陽光に目を細めながら、ハルトはベッドの上で寝返りを打った。
枕元でけたたましく鳴り続けるスマホを手探りで引き寄せ、薄目を開けて通話ボタンをスワイプする。
「ハルト君! 今どこにいますか⁉」
耳元で弾けた切羽詰まった声に、ハルトは思わずスマホを耳から少し離した。
どうやら、朝から血相を変えて電話をかけてきたのはヒマリのようだった。
「どこって……家のベッドの上だけど……? そんなに急いでどうしたの?」
ハルトはまだ半分くらい眠っている頭を少しずつ起こしていく。
「ベッドって、もう10時ですよ⁉ いくら大学がお休みだからって、気を抜きすぎです!」
「え? ……あ、本当だ」
ハルトはスマホの画面上部に表示された時刻を確認して、少し驚いた。
どうやら昨晩のアサとの会話を布団の中で考えすぎて、すっかり寝坊してしまったらしい。
「まったく……しっかりしてください」
「……うん、ごめんなさい。それで、先輩は、モーニングコールをしに、わざわざ電話をかけてきてくれたの?」
欠伸を噛み殺しながら冗談めかして尋ねると、通話の向こうでわずかながらに空気が変化するのを感じた。
張り詰めたような、冷たい沈黙。
「……先輩?」
「ハルト君、落ち着いて聞いてください」
ヒマリは、一瞬だけ間を置いた。
ハルトには何故か、その間がまるで永遠かのように、とても長く感じられた。
「……アサが、行方不明になりました」
ハルトは、ヒマリが言ってることが理解できなかった。
ただ、自分の頭が急速に目覚めて回転を始めたのだけは、わかった。
「アサが……行方不明? いやいや冗談でしょ、先輩。どうせあいつは、どっかで迷子になってるだけだって」
そうだ。
これは何かの悪い夢だ。
アサは極度の方向音痴だ。
どこかでまた迷子になってベソをかいているだけで、しばらくしたら携帯でハルトのところに「迎えに来なさいよ!」と助けを求める電話をかけてくるに違いない。
ハルトは引きつった笑いを浮かべながらそう自分に言い聞かせたが、同時に、ハルトの頭の中では昨晩の彼女との不穏な通話の内容がフラッシュバックしていた。
「……そうだったら、どれだけよかったことか」
ヒマリの絞り出すような声は、いつもの冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、深い焦燥と暗い影に満ちていた。
「とにかく、この件について、一度上官に、報告と話し合いをしなければなりません。とりあえず、いつもの事務所まで来てください」
ヒマリは有無を言わせぬ口調でそう言うと、一方的に通話を切ってしまった。
「……っ!」
ツーツーという無機質な電子音が耳に響く中、ハルトは弾かれたようにベッドから跳ね起きた。
急いで着替えを引っ張り出し、乱暴に袖を通す。
ハルトがあまりにもドタバタと大きな音を立てて急いでいたものだから、ハルトの母親が出かけている間、家で家事をしていたアオイが様子を見に玄関へとやって来た。
「ハルト様、どちらへ御用ですか?」
靴紐を無理やり押し込んでいたハルトが顔を上げると、そこにはいつものメイド服姿のアオイが静かに佇んでいた。
「あ、アオイ!? えっと……友達との約束を忘れててさ、遅刻ギリギリなんだ。夕方には帰るから、母さんにはそう伝えてくれると助かる」
背中に冷や汗をかきながら、ハルトは必死に作り笑いを浮かべて嘘を吐いた。
「……ハルト様」
「どうしたの? アオイ……」
アオイは深海のように底知れない無表情の瞳で、じっとハルトの顔を見つめてきた。
一切の感情が読み取れないその視線は、まるでハルトの抱える焦りや嘘をすべて見透かしているかのような圧迫感があった。
「くれぐれも、道中お気をつけくださいませ」
ハルトは一度だけ息を呑んだ。
「……うん。わかった! それじゃあ、行ってくる」
ハルトはそれ以上アオイの瞳を見つめ返すことができず、逃げるように玄関のドアを開け、夏の眩しい日差しの中へと駆け出していった。




