51話 派閥
夕日に照らされた砂浜で、ゴスロリドレスを身に纏った幼い悪魔――ラストは、ハルトの裂けた肩口にそっと小さな手をかざした。
淡く温かい光が傷口を包み込むと、焼けるような痛みが嘘のように引いていく。完全に塞がった皮膚を見て、ハルトは小さく息を吐き出した。
「さて、まずは何から話そうかしら?」
ラストがドレスの埃を払うように立ち上がると、傍らでスーツを着崩したマモンが、慇懃な笑みを浮かべて口を挟んだ。
「ミニラストさん、先に契約の話をしておいた方がいいのではないですか?」
「おっとそうね、マモン。危うく忘れるところだったわ」
無邪気な笑顔の裏に潜む悪魔の気配に、ハルトは身構えた。
「……ただでは聞かせてくれないってわけか」
「当たり前じゃない。まあでも、今から言うことは、とても簡単なことよ」
ハルトは無言で続きを待つ。
「秋津ハルト君。私達が情報を提供する代わりに、君がやってほしいのは、私達魔界に住むとある勢力のボスを殺すこと」
「殺す……悪魔を?」
「そうよ。とは言っても、それは君が完遂する必要はないわ。君じゃなくても、他の誰かが達成しても構わない。それこそ、君の大事なガールフレンドの、魔法少女ちゃんやエクソシストちゃんでもいい。大事なのは、そのボスを殺す過程で、君が必要な方向に力を使うことなの」
ハルトの背筋に冷たいものが走った。
(この悪魔、アサやヒマリ先輩の存在を知ってる……)
「……どこまで知ってるんだ?」
「さあね。で? 契約はしてくれるわよね?」
ハルトは、選択肢を奪われてしまった。
自分一人ならともかく、背後にはアオイがいる。
もっと言えば、アサやヒマリにも何かしかけるかもしれない。
ここで断って彼らの機嫌を損ねるわけにはいかなかった。
「これだけは先に答えてほしい。今、僕達を狙ってきた存在も、その勢力の一味なのか?」
「あら……賢いこと聞いてくるのね? 答えは、ちょっと違うけどほぼYesよ。これ以上は、サインをしてからね」
迷うハルトの背中から、静かな、けれど芯のある声が響いた。
「……ハルト様。素直に頷くのが吉だと思います。彼らは、間違いなくハルト様の味方です」
「アオイ……?」
「おっと、そこのメイドちゃんは、話が速くていいわね。……それとも、何かの力で見抜いたのかしら?」
ラストが面白そうに目を細めたが、アオイはそれ以上は何も答えず、ただ黙って頭を下げた。
「……わかった。条件は、君たちの敵のボスを倒すことだけだろ?」
「そうよ」
「で? そのためには、三人はなんでも協力するってことだろ?」
「ええ」
ハルトは、深くため息を吐いた。
正直、向こうにとって割に合わなすぎる状況だ。
敵のボスを倒すという途方もない条件をあっさりと突きつけてくるということは、それだけ、今ハルト達が直面している敵の規模が絶望的に大きいということなのだろう。
「わかった。契約するよ」
「おっけー。じゃあ、とりあえず、聞きたいこと、じゃんじゃん聞いてちょうだい? 今渡せる範囲で、情報を渡すわ」
「おいラスト! いくらなんでもそれは大盤振る舞いすぎるだろ!」
「エンヴィーは黙ってなさい」
「うっ……」
エンヴィーは、蛇に睨まれた蛙のように首をすくめる。
それとは対照的に、ハルトは何かを観察するかのごとく、ラストをじっと睨んだ。
「じゃあまず、なんで三人はここにいる? どうして僕達のところに助けに来た」
ラストは、鼻を鳴らし、小さく笑った。
「ああ、それね。マモンが今、自分でYoutubeチャンネルを運営しているのは知っているわよね?」
ハルトは無言でうなずいた。
そりゃあ知っている。
自らハルトにDMを送り、コラボまで持ちかけたのだから。
「今、そのチャンネルに、私とエンヴィーも協力して、悪魔トリオで運営をしているの」
「……は?」
「で、今日は、『年中オーバーツーリズムの江ノ電の沿線を、真夏に全線徒歩で観光したら意外と快適説!?』という企画を撮影しに、江ノ島に1泊2日で来ていたのよ」
命がけの空気が、一瞬にして間の抜けたものに変わる。
「なにその企画!? 普通に面白そう!?」
「でしょ?」
ラストが得意げに笑う。
しかし、その和やかな空気を、アオイの冷静な声が切り裂いた。
「お待ちください」
「なにかしら? メイドちゃん。」
「それはおそらく本当の理由だと思います。ですが、それ、後付けの理由ですよね? いくらなんでも、偶然過ぎます」
ミニラストは少し驚いたように目を丸くし、それからマモンへと視線を移した。
「……マモン」
「はい」
マモンは、胸ポケットから、一冊の黒い荘厳な雰囲気が漂うメモ帳を取り出した。
「それは……」
「ワタクシの能力は、未来予知です。このメモに、未来に関して知りたい質問を書くと、その質問の答えとして、最も可能性が高いものが次の行に浮かび上がってくる仕組みとなっています。例えば、秋津ハルト君は明日の夕方はどこにいますか? と質問したら、最もいる可能性が高い場所……つまり、この場所の名前が、メモ帳に記述されるのです」
ハルトは絶句し、無言でマモンを見つめ返した。
そんなデタラメな能力があれば、なんだって出来てしまうではないか。
「ただし、この能力には特に重大な、二つの制約があります。一つは、詳細な未来予測をしようとするほど精度が落ちる、もう一つは、予測する時間が現在から離れれば離れるほど精度が落ちる、ということです」
「ど、どうして?」
「簡単なことです。未来とは、未だ訪れたことのない不確定な事象。そのいくつものある不確定な事象の中から、最も可能性の高い答えが出てくるわけで、当然有力な選択肢の数が増えれば増えるほど、確率が分散し、最有力の未来が訪れる確率が下がるということです」
「そうじゃない。どうして、自分の能力なんて大事なことを言うんだ。いくらなんでもそれは」
「おい、ガキ。話聞いてなかったのか? これも契約なんだよ!」
呆れたようにため息をついたエンヴィーが、忌々しげに頭を掻いた。
「エンヴィーの言葉は強いけど、まあでもそのとおりよ。……私達は、それだけ本気なの。契約をした以上、協力を惜しむつもりはないわ」
ラストの真剣な眼差しを受け、ハルトはゴクリと唾を飲み込んだ。
「……そこまで言うなら教えてくれよ! 僕達を狙ってきた奴らの親玉は誰なんだ! ラスト達が倒したい相手はだれなんだ!?」
「それなんだけどね」
ラストは、いつの間にか現れた流木の上で足をぶらつかせながら、どこか気だるげに肩をすくめた。
「悪いけど、そこまでは私達も摑みきれてないのよ」
「……嘘つけ。今、契約したばかりだろ」
「嘘じゃないわ。契約は、私達が"知っていることを渡す"約束であって、"知らないことまで捏造する"約束じゃないもの」
ラストの声色に、ふざけた気配は消えていた。
「私達が確認できてるのは、末端の駒――さっき君達を襲った奴とかが、みんな同じ場所から流れてきてる、ってことだけ。その源流を辿ると、浅野って家の"先代"が何かしら絡んでるっぽい、ってところまでは分かる。でも、それが具体的に誰なのか、どういう形で絡んでるのか……そこから先は、私達の情報網の外なの」
「情報網の外って……お前ら、その勢力の身内なんじゃないのか?」
「身内どころか、真逆よ」
ラストの口調に、初めてはっきりとした棘が混じった。
「私達だって悪魔よ。人間の負の感情を糧にして生きてる。それは否定しない。……でもね、あいつらのやり方は違う。人間界を絶望で塗り潰して、根こそぎエネルギーを刈り取って、魔界を潤わせようとしてる」
「……それの何が悪いんだ? 悪魔なら、当然のことなんじゃ」
ハルトの問いに、ラストは呆れたように鼻を鳴らした。
「坊やも大概、想像力がないわね。人間界が完全に絶望で潰れて滅んだら、その先どうなると思う? エネルギーの供給源そのものが消えるのよ。それは巡り巡って、魔界だって共倒れになるってこと」
「じゃあ……」
「そうよ。私達は、あいつらとは根本から相容れない。共存できる道を探せって、何度言っても聞きやしない。だから今、魔界の中でも派閥が真っ二つに割れてるってわけ」
マモンが、静かに言葉を継いだ。
「ワタクシたちも、そちら側からすれば厄介な"抵抗勢力"というわけです。だからこそ、詳細な内部情報までは掴めていません。……向こうも、こちらに情報を渡すような間抜けはしませんから」
「くそ、じゃあ結局、浅野の先代って情報だけかよ」
「今はね。でも、これだけは覚えておいて」
ラストの目が、わずかに細められる。
「私達より、その辺の事情に詳しい人間が、案外あんたのすぐ近くにいるかもしれないわよ」
その視線が、一瞬だけ――本当に一瞬だけ、ハルトの背後に控えるアオイの方へと流れた。
「……どういう意味だよ」
「さあ、どうでしょう」
はぐらかすように微笑むラストに、ハルトはそれ以上踏み込めなかった。
ふと横を見ると、アオイはいつも通りの無表情のまま、じっとラストを見返している。
だがその指先が、スカートの生地をほんの少しだけ、強く握りしめているのに、ハルトは気づかなかった。
「で、質問はそれだけ? 案外あっさり終わるのね」
「ああ、最後に、ラスト。お前は、誰だ」
ハルトは、ずっと抱えていた最大の疑問をぶつけた。
夢の中で別れを告げたはずの彼女が、なぜここにいるのか。
「……じゃあ、さっきの説明の続きを話すわ。私は、ラストであってラストではない。私は、彼女が消える20年前に、彼女が作っておいたクローンよ」
「な……クローン……だと?」
「ええ。でも、私は彼女じゃないわ。クローンとはいえ、私の中にいる存在は全くの別物。『本物のラスト』は、今頃三途の川を渡っているところかしら? 私が彼女から引き継いだものは、彼女から絶えず送られてくる記憶と、この若い肉体だけよ。しかも私本体が目覚めたのは、つい数週間前。ラストの消滅と共に目覚めたから、私自身は、まだ生まれたてホヤホヤなの」
「そんな……じゃあなんて呼べば……」
「ミニラストと呼ぶのが正解だと思うわ。マモンとエンヴィーにもそう呼ばせてるし」
そう言ってミニラスト――ラストは、夕日を背に受けて、ふわりと可愛らしく微笑んだ。




