47話 金色の悪魔
「はぁ……はぁ……」
ヒマリは剣を下ろし、荒い息を整える。彼女の足元には、既に意識を失った学生服の少年と、制服姿のOLの姿があった。
三体。
四体のうち、三体が沈黙した。
残るは、たった一体。
ホームの端で、いまだ微動だにせず立ち尽くしている、スーツの男だけだった。
「……」
沈黙が、やけに重く響く。
風もないのに、男の着崩れたスーツの裾が、ざわりと揺れた。
「……くく」
低く、喉の奥から絞り出すような笑いが漏れた。
スーツの男が、ゆっくりと顔を上げる。
先ほどまでの、生気のない虚ろな目ではなかった。
そこにあったのは、深い愉悦と、隠しようのない優越感を湛えた、金色の双眸だった。
「良い。実に素晴らしい!」
男が手を叩きながら大仰な声を出した。
その声には、得体の知れない魔力が乗っており、空気がビリビリと震える。
「……何がおかしいのですか?」
ヒマリは剣を構え直し、鋭い視線で男を睨みつけた。
「いや、俺様は感動しているんだ。今日連れてきた三体は、人間から作り出したばかりとはいえ、比較的優秀な個体でな。貴様らのような小娘では相手にならぬと思っていたのだが……とんだ見当違いだったようだ」
「そう。それはよかったわね」
アサは不敵な笑みを浮かべて言い放つと同時、一瞬の隙を突いて得意の確率変動の魔法を男に仕掛けた。
アサの右手から解き放たれた光の粒子が、男の急所めがけて一直線に飛んでいく。
命中すれば、男の足場が崩れるか、見えない力に弾き飛ばされるはずだ。
しかし……。
「ふん、つまらん」
男は耳障りな羽虫を追い返すかの如く、気怠げに右手を払った。
たったそれだけの動作で、アサが練り上げた光の粒子は見えない壁にぶつかったかのように無残に散り、霧散してしまった。
驚愕するハルトの目に、男の右手が映る。
彼の袖口から覗く手首には、鈍く輝く金色の腕輪が嵌められていた。
「貴様ら勘違いしているかもしれないが、今お前らが戦ったのは優秀な個体とはいえ雑魚だ。そして、そいつら相手にいい勝負をしたお前らも雑魚だ」
男の金色の瞳が、冷酷に細められる。
「雑魚がこの俺様に敵うはずがなかろう。思い上がりも甚だしい」
「何を……!」
ヒマリが剣を握る手に力を込め、踏み込もうとした。
「おっとやるか、エクソシストの小娘よ。今ここで、俺様の力で貴様らをハンバーグにしてやってもいいのだぞ」
その言葉に含まれた殺気は、先ほどまでの怪物たちとは次元が違った。
底知れぬ魔力の圧がホーム全体にのしかかり、息をするのすら苦しくなる。
本能が「これ以上動けば死ぬ」と警鐘を鳴らし、ヒマリはピタリと動きを止めた。
「ハハハ。そうだ小娘。賢明な判断だな。本来なら、あの方の命を遂行しようと考えていたのだが、気が変わった。面白いものを見せてくれた礼に、今回ばかりは見逃してやろう」
ハルトも、アサも、ヒマリも、誰も声が出せなかった。
悔しいことではあるが、ここで下手に声を出して相手を刺激すれば、今度こそ命はない。
それだけのオーラが、この男の姿をした悪魔にはあった。
「俺様の見立てだと……貴様らがあの方のもとに辿り着ける頃には、俺様と張り合えるようになってるかもしれぬ。ここで殺すには惜しい存在だと見た。俺様に感謝するがよい」
男の姿をした悪魔は、つまらなそうにそう言うと、踵を返して背を向けた。
「おっと忘れていた。こいつらは回収させてもらうぞ。さっきも言ったがこいつらは優秀な個体で、まだまだ使い道がある。骨の髄まで存分に使い潰さないとならぬからな」
男は邪悪な高笑いを浮かべながら指を鳴らした。
すると、倒れていた三体の怪物たちの身体が黒い泥のように溶け、男の足元に吸い込まれていく。
そして次の瞬間、空間が大きく歪み、男の姿は黒い靄と共に跡形もなく消え去っていた。
隔離結界を解いたハルト達は再び電車に乗り、我孫子から常磐線各駅停車に乗り換えて、一路霞ヶ関を目指した。
車内は空調が効いて涼しかったが、三人が座るロングシートの周辺だけは、まるで冷凍庫のような重く冷たい空気が漂っていた。
道中、三人は完全に無言だった。
まだ敵の襲撃が全て終わったとも限らない。次の一手に警戒を怠るわけにはいかないというのももちろんある。
だがそれ以上に、先ほどの圧倒的な力の差を見せつけられた恐怖と無力感が、彼らの心を縛り付けていた。
ハルトは自分の膝を見つめ、アサは腕を組んで斜め下を向き、ヒマリはトランクを抱え込んだままじっと目を閉じている。誰もが、どこか上の空になっているような風貌だった。
やがて電車は都心の地下を走り、霞ヶ関駅に到着した。
地上へ出ると、夏のうだるような熱気が三人を包み込む。
総務省の重厚な建物の近く、人目のつかない場所で、ハルトとアサは待機していた。
しばらくして、無事にトランクを上の人間に渡し終えたヒマリが、足早に戻ってきた。
トランクを手放した彼女の肩は、少しだけ軽くなっているように見えた。
「お待たせしました。……どうしますか、この後?」
ヒマリが二人に問いかける。
任務は無事に完了したが、先ほどの戦闘の重い余韻はまだ完全には拭えきれていない。
しかし、その空気をあえてぶち壊すように、アサがパンッと手を叩いて明るい声を上げた。
「とりあえず、お腹空いたわ。焼肉でも食べに行きましょう!?」
「や、焼肉って……さっき銚子で海鮮丼食べたばかりじゃないか!」
ハルトが思わずツッコミを入れる。あんな死線を潜り抜けた直後に焼肉という発想になるアサの胃袋は、一体どうなっているのだろうか。
「いいじゃない疲れたしお腹も空いたのよ! 焼肉食べ放題行きましょ! ほら、ヒマリもいいでしょ?」
「ええ。私もなんだか疲れました。いいですよ、焼肉食べ放題。あとで、領収書切ってもらいますので」
普段なら無駄遣いを嗜めるはずのヒマリが、眼鏡を押し上げながらあっさりと同意した。
国家予算で食べる焼肉である。
「やったー!」
「ええ……マジで……?」
ハルトが呆れ顔で苦笑いした、その時だった。
『ぐきゅるるるる……』
静かな霞ヶ関の官庁街に、ハルトの情けない腹の虫の音が響き渡った。
「ほら、ハルト君だってしっかりお腹空いてるじゃん! さあ、焼肉行くよ!」
アサは満面の笑みを浮かべ、強引にハルトの腕を引っ張って歩き出した。
ヒマリも小さく笑みをこぼしながら、その後に続く。
圧倒的な敵の存在。未だ解けない謎。
不安は尽きないが、今はとにかく、生き延びた自分たちにカロリーをご褒美として与えるのが先決だった。




