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Youtuberの旅行オタクと方向音痴の魔法少女  作者: エアポート快特
第三章

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46話 特訓の成果

――時間は少し遡る。銚子へ向かう、数日前のことだった。


地下訓練施設特有の、ひんやりとした空気。

蛍光灯に照らされたコンクリートの壁と、床に描かれた幾何学模様の魔法陣。

ハルトはその中央に立ち、右手首に嵌めた腕時計を、じっと見つめていた。


「今日から、いよいよその時計を使った実戦演習に入ります」


ヒマリは訓練着姿で、いつもより幾分か真剣な顔つきをしていた。


「……緊張してるみたいですね」

「そりゃあね。おじさんの形見でもあるし、それに……本当に僕なんかが、時間を操る魔法なんて使えるようになるのかなって」


ハルトは苦笑しながら、腕時計の硬い感触を指先で確かめた。


「大丈夫です。焦る必要はありません。この二週間、あなたは着実に魔法のイメージを掴んできています。石を浮かせることと、時間に干渉することは、根本の原理は同じです」


ヒマリは黒板代わりの小さなホワイトボードに、簡単な図を描いた。


「魔法は、あなたが明確にイメージできたものにしか発動しません。石を『最初から浮いているもの』と捉えたように、今度は、この時計そのものを『時の流れを、ほんの少しだけ捻じ曲げる装置』としてイメージしてください」

「時の流れを、捻じ曲げる……」

「くれぐれも、無理はしないように。時間に関する魔法は、消費する魔力が桁違いです。もし目眩や吐き気を感じたら、すぐに中断してください」


ヒマリの声には、いつもの落ち着きの中に、隠しきれない心配の色が滲んでいた。


「わかりました。……やってみます」


ハルトは大きく息を吸い、目を閉じた。

脳裏に思い描くのは、駅のホームで、規則正しく時を刻み続ける発車標。定刻通りに来て、定刻通りに去っていく電車。狂うことのない、正確なダイヤグラム。

その「正確さ」こそが、ハルトにとって最も馴染み深い、時間の概念だった。


(時間は、いつだって決まったレールの上を進んでいく。でも、もし――ほんの少しだけ、そのレールを、僕がずらせるとしたら)


腕時計の文字盤が、かすかに、青白い光を放ち始めた。


「……! 光ってる!」

「集中を切らさないでください。無理に大きく動かそうとせず、ほんの一瞬で構いません」


ハルトは目を開け、傍らに置かれたストップウォッチを見据えた。秒針が時を刻んでいる。


(止まれ……いや、違う。ずらすんだ。ほんの、少しだけ)


祈るように念じた、その瞬間。

パチン、と何かが弾けるような感触が、右手首を伝った。

秒針の動きが、目に見えて、コンマ数秒だけ「遅れた」。


「……止まった……いや、遅れた? 今の……」


ハルトは呆然と、自分の手首を見つめた。


「素晴らしいです、ハルト君」


ヒマリが、珍しく興奮した様子で駆け寄ってくる。


「対象の時間を、ごくわずかに遅延させる。……理論上、これは『時間停止』よりもずっと繊細で、扱いが難しい魔法です。ですが、それだけに、応用の幅も広い」

「え、そうなの?」

「はい。止めるのではなく、遅らせる。……たとえば、飛んでくる攻撃を、ほんの一瞬だけ遅らせることができれば」


ヒマリの言葉に、ハルトはハッとした。


「それだけで、避けられないはずの一撃を、避けられるようになるかもしれない、ってことか」

「その通りです。……ですが」


ヒマリの表情が、すっと引き締まる。


「まだ、あなたのその力は、あまりに不安定です。今のように、静止した対象になら発動できても、実戦中、動き回る相手に対して、狙った通りに発動できる保証はどこにもありません」

「……うん。わかってる」


ハルトは、自分の手首に嵌まった時計を、もう一度見つめた。

まだ全然、頼りない力だ。狙って出せるかどうかもわからないし、下手をすれば、自分にも味方にも、何の役にも立たないまま終わるかもしれない。

それでも。


(何もできないよりは、ずっといい)


「先輩。……もう一回、やらせてください」


ハルトは、真っ直ぐにヒマリを見つめた。

その瞳に浮かぶ強い光に、ヒマリは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから、優しく目を細めた。


「ええ。付き合いますよ、いつまでも」





――老婆の姿をした「何か」が、血に飢えた目でこちらを見据え、大きく口を開けた。


鋭い牙の並んだ顎が、まっすぐハルトの喉元めがけて迫る。


(――ダメだ、間に合わない!)


理屈より先に、身体が動いた。

いや、正確には、身体ではない。

右手首に嵌まった腕時計が、あの日と同じ、青白い光を放っていた。


「――ッ!」


パチン、と何かが弾ける感触。

老婆の「何か」の動きが、コンマ数秒。ほんのわずかに、遅れた。

その一瞬の隙が、ハルトにとっては、永遠にも等しい猶予だった。


(今だ……!)


コンマ数秒。老婆の「何か」の動きが、確かに遅れた。

その一瞬に賭けて、ハルトは無我夢中で身体をひねった。牙が空を切り、代わりにハルトの肩口を浅く裂く。


「痛……ッ!」

「ハルト君!」


アサの叫びと同時、彼女の展開した膜が、老婆の「何か」の追撃を弾いた。


「今の……時計、光ってたわよね!?」

「うん……多分、成功、した……」


肩の痛みに顔を歪めながらも、ハルトは荒く息をつく。狙って出せる保証などなかった力が、ぎりぎりのところで応えてくれた。それだけで、震えるほどの安堵があった。


「アサ、防御を!」


アサの声に呼応するように、淡い光の膜が、老婆の「何か」の周囲をふわりと包み込む。


「これは……!?」

「捕まえるつもりはなかったけど……このまま、確率をいじらせてもらうわ。あんたが私達に"届く"確率、ゼロに近づけてあげる」


膜の中で、老婆の「何か」の動きが、目に見えて鈍くなっていく。まるで、粘度の高い水の中でもがいているかのように。

その隙を、ヒマリが見逃すはずもなかった。

一閃。

峰打ちにも似た、しかし確かに芯を捉えた一撃が、老婆の「何か」の意識を刈り取る。

膨れ上がっていた黒い輪郭が、急速に萎み、糸の切れた人形のようにホームへと崩れ落ちた。

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