43話 犬吠埼国立病院
ハルト達3人を乗せた特急しおさい1号は、9時30分頃に、定刻通りに終点の銚子駅に到着した。
所要時間は2時間。
特急列車としては、ちょうどいい時間と距離だ。
「さて、僕達はこれから銚子の街を満喫していきたいと思います。ですが、特急しおさいの動画はここまで。また次回の旅でお会いしましょう!」
「ありがとうございました」
「バイバーイ!」
強い夏の陽差しが容赦なく降り注ぐ銚子駅のホームで、ハルトはカメラに向かって元気にエンディングトークを締めくくった。
アサとヒマリも手慣れた様子で笑顔で手を振り、カメラの録画ボタンをオフにする。
カチリ、と小さな電子音が鳴った瞬間、三人の間に流れていた明るい『YouTubeモード』の空気が、ふっと霧散した。
「銚子駅からは、迎えの車を用意してあります。内容は、事前に説明した通りですが、改めて車内で説明します」
撮影用のスマホを仕舞うハルトたちの横で、ヒマリが眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせる。
ヒマリはそれ以上言葉を挟まず、迷いのない足取りで改札口の方へ歩き出した。
ハルトとアサは無言で互いに顔を見合わせ、その背中を追う。
そこにはもう、いつものような笑顔はなかった。
改札を出たロータリーには、一台の黒塗りのワンボックスカーが待機していた。
スモークガラスで覆われた車内に乗り込むと、ドアが重々しい音を立てて閉まる。
運転席に座るスーツ姿の男性局員にヒマリが軽く会釈を交わし、車は静かに走り出した。
今回、ハルト達三人が派遣されたのは、銚子市内にある医療機関だ。
しかもただの医療機関ではない。
厚生労働省と総務省が共同で管轄する国立病院「犬吠埼国立病院」である。
(銚子にそんな病院があったなんて、全然知らなかったな……)
ハルトは車窓を流れる銚子の街並みを眺めながら、心の中でつぶやいた。
銚子といえば醤油の街、そして銚子電鉄や綺麗な海岸線といった観光地のイメージが強い。
そんなのどかな土地の片隅に、国家の最高機密に属する病院が存在するなど、思いもよらなかった。
「にしてもこんな辺境の地に国立病院があるものなんだね……」
ハルトがぽつりと漏らした疑問に、助手席のヒマリがバックミラー越しに視線を向けた。
「目的が目的ですから、都会のど真ん中に置くわけにはいかないのです」
まあつまり、例にもれずこちらも、異界に関する事象を専門に扱う病院なのである。
とは言いつつも、パラレルワールドに関することは、現代科学をもってしても未だ解明されていない部分が多い。
詳細は伏せられてしまったが、そういうことも行われているという話は、実際に職員として働くヒマリも、聞いたことがあるようだった。
「改めまして、今日の私たちの任務を確認します」
ヒマリは膝の上に置いた書類に目を落としながら、静かな声で言った。
「今回の目的は、病院から預かった治療薬を、東京の本部までトランクに入れて無事に運ぶことです。荷物の管理は私が担当しますから、ハルト君とアサさんは、私の護衛をお願いします」
「わかったわ」
アサが短く頷く。ハルトもまた、「うん」と深く首を縦に振った。
ハルトもアサも、事前にヒマリから『悪魔化の薬』についての概要を聞かされていた。
人間を強制的に悪魔へと変貌させる恐ろしい薬。そして今回運ぶのは、その悪魔化を防止・治療するために開発された最新の治療薬だった。
今回の運送作戦は、複数の班に分け、少量の薬を何回にもわたって小分けに運ぶ手法が取られている。
その理由は大きく分けて三つあった。
一つ目は、治療薬の開発が極めて困難を極めており、現在完成している薬の量が非常に希少であるためだ。
一度に全量を運搬し、もし移動中に敵に襲われて奪われるようなことがあれば、取り返しのつかない損害になってしまう。
二つ目は、こちら側の戦力をあえて小規模に分散させることで、万が一襲撃を受けた際にも一度に多くの犠牲を出さないようにするため。
最後三つ目は、二つ目とは逆の理由で、敵勢力の動きを分散させ、相手側の戦力に隙を作ることである。
(……でも、それだって万全じゃない)
無論、まだ見ぬ敵勢力も、これを想定して動いているはずである。
逆にこちらが少人数で行動しているところを狙って、大規模な攻撃を仕掛けてくることも考えられる。
ハルトは拳を強く握りしめた。
助手席に乗り、運転手と状況確認をしているヒマリの様子を確認すると、あまり事態が良くないのかもしれないことがじわりと伝わってきた。
隣に目をやると、アサは車のシートに深く腰掛け、斜め下を向いたままじっと黙り込んでいた。
普段なら「お腹空いたわね」だの「どこか寄り道しましょうよ」だの騒いでいるはずの彼女が、唇を噛み締め、自分の指先を見つめている。
何か声をかけてあげたいと思うのに、どんな言葉を選べば彼女の不安を和らげられるのか分からない。
こんな時、何か気の利いた言葉をかけてあげることができないのが、秋津ハルトなのである。
車は海岸沿いの小高い丘を登り、深い森の奥へと進んでいった。
やがて目の前に現れたのは、巨大な鉄柵と、まるで要塞のように重厚なコンクリートの建築物だった。周囲の空間が微かに歪んで見えるのは、強力な防護結界が物理的な境界として機能している証拠だろう。
車が停車し、三人が降り立つと、白衣を着た初老の男性医師と数名の警備局員が迎えてくれた。
「遠路はるばるご苦労様です。……こちらへどうぞ」
ハルト達三人は、担当の係員に促されるまま、重々しい自動ドアをくぐって病院の内部へと足を踏み入れた。
病院の廊下は無機質な白で統一され、消毒液の独特な匂いと、微かな魔力の残滓が入り混じった独特の空気が充満していた。
「……こちらの病室では、治療に成功し、悪魔化を解くことができた人が安静にしています」
係員が足を止め、強化ガラス越しに病室内を示した。
ベッドの上では、幾重にもチューブや点滴を繋がれた人々が横たわっている。
青白い顔で静かに息を立てているその姿は、一見すると普通の重症患者のようだった。
しかし、露出した皮膚の一部には、黒ずんだ魔導の紋様のような痕跡が痛々しく残っていた。
「もちろん、全員が治療に成功したわけではありません。……犠牲者も出てしまうのは、この際仕方がないことなのです」
その言葉に、アサの肩が小さく跳ねた。ヒマリは静かに目を閉じ、胸元で小さく十字を切る。
病院という場所でありながら、ここでは日々、人知れず異界との壮絶な敗北と勝利が繰り返されているのだ。
案内を続けながら、係員はふと歩みを止め、ハルトたち三人を交互に見つめた。
その瞳には、申し訳なさと、どこか痛ましいものを見るような色が浮かんでいた。
「……君たち大学生にこのような仕事をさせるだなんて、本部は何考えているんだか……」
苦渋に満ちた呟きだった。
本来なら大人が、大人の機関が守るべき世界で、まだ年若い学生たちが前線に立たされている。
その理不尽さを、目の前の大人自身が誰よりも感じているようだった。
「……いいですか」
地下にある厳重な保管庫へ到着すると、係員は重厚な金属製のトランクをヒマリに手渡した。
ズシリと重いトランクを、ヒマリは両手でしっかりと受け取る。
「病院周辺には強力な結界が張ってありますので、よほどのことがない限りは襲撃されないと思いますが、一歩病院の外に出れば、どこに敵が潜んでいるかわからないと思ってください。本当は、病院のスタッフが車でそのまま東京の本部まで送り届けたいところですが……」
係員は悔しそうに歯を噛み締め、首を振った。
「……途中の主要幹線道路は、すでに怪しい魔力反応を示す車両によって監視されている形跡があります。車での長距離移動は、ターゲットとして絞り込まれやすすぎる。仕方がありません。帰りは戦闘時のリスクも考慮して……特急列車ではなく、各駅停車で本部まで薬を届けてください」
「各駅停車……ですか?」
ハルトは思わず聞き返した。
「ええ。特急列車は停車駅が少なく、一度車内に敵が侵入すれば逃げ場のない完全な密室と化します。また、高速で移動する特急は外部からのサポートも受けにくい。その点、普通列車であれば、万が一の戦闘の際にも駅ごとに乗降客に紛れることができ、状況に応じた柔軟な回避行動が取れます。何より、敵側も『一刻も早く運びたいはずだから特急を使うだろう』と裏をかいてくるはずです」
東京から銚子まで、特急なら2時間。
だが、総武本線や成田線を経由して普通列車……各駅停車を乗り継いで帰るとなれば、どれほどの時間がかかるだろうか。
3時間、あるいはそれ以上。
長時間の移動はそれだけで体力を削り、緊張状態を強いる過酷な道のりになる。
「分かりました。各駅停車を利用し、確実・安全に本部へ運搬します」
ヒマリは迷いのない声で答え、トランクを胸に抱え直した。
「頼みましたよ。……どうか、無事で」
係員の切実な言葉を背に受けながら、三人は病院の出口へと向かって歩き出した。
ガラス扉の向こうには、燦々と降り注ぐ夏の太陽と、その光が作る濃い陰影が広がっている。結界の「外」という名の戦場が、すぐそこで彼らを待っていた。
(各駅停車の旅、か……)
ハルトは自分の胸に手を当てた。そこには、いつもの旅のワクワク感など欠片もない。あるのは、冷たく固い覚悟だけだ。
電車に乗るのが好きだ。
景色を見るのが好きだ。
だが、今日の電車移動は、今までで一番長く、そして過酷な「旅」になる。
ハルトは隣を歩くアサの横顔を見つめた。
アサもまた、覚悟を決めたようにまっすぐ前を見つめている。
ハルトは心の中で静かに、けれど強く誓った。
(絶対に、二人を守る。この薬も、アサも、ヒマリ先輩も……みんな無事に、東京へ帰るんだ)
夏の強い風が、三人の髪を激しく揺らした。
銚子の青い空の下、トランクを抱えた三人の、緊張に満ちた復路が今、始まろうとしていた。




