42話 特急しおさい
薄暗い雰囲気が地下いっぱいに広がる、東京駅総武快速線乗り場。
「この薄暗くて古めかしい感じの地下ホームは、なんだか秘密結社の基地のような雰囲気が漂っています。そう、僕は今、東京駅の総武快速線ホーム、地下1番線、2番線ホームに来ています」
右手にスマホを持ったYoutuberモードのハルト……銀次は、東京駅地下ホームを撮影しながら、滑らかな口調で冒頭の挨拶を進めていく。
「おはようございます、銀次です」
カメラのレンズを横へ向けると、そこにはいつものコンビと、すっかりレギュラーメンバーとして馴染んできた頼もしい助っ人の姿があった。
「こんにちは、アサよ!」
「ヒマです。よろしくお願いします」
アサが元気よくピースサインを決め、ヒマリが控えめに、だがカメラ慣れしてきた様子で微笑みながら挨拶をした。
「さて、本日の企画を発表していきます」
「よいしょ!」
アサが手慣れた様子でパチパチと拍手で盛り上げる。
「ところでアサ君、ヒマ君。少しずつ気温が高くなってきて、今日も蒸し暑いですよね?」
「ええ、冷たいお茶が良くのどを通るくらい暑いわ。地下にいてもなんだかジメジメするし」
アサが手で顔の横をパタパタと仰ぐ仕草をする。
「そうですね……こんな日にわざわざ旅行するんですか?」
ヒマリも不思議そうに首を傾げた。
「もちろん! 実は、こんな暑い日にピッタリの旅を、本日は用意しました!」
「暑い日にピッタリ? そんなツアーあるわけないじゃない」
訝しげな視線を向けるアサに、ハルトは得意げな笑みを浮かべた。
「いえいえ、これがあるんですよ。題して、特急しおさいで行く銚子のしおさい満喫ツアー!」
遡ること15分前。
ハルト達は東京駅地下ホームに繋がるコンコースで、撮影前のミーティングを行っていた。
「二人とも、今朝は早くからありがとうございます」
周囲の通行人の邪魔にならない場所で、ヒマリはハルトとアサに向かって深く頭を下げた。
いつもの冷静沈着な彼女とは少し違い、その表情にはどこか申し訳なさそうな、張り詰めた緊張感が漂っている。
「気にしなくていいわよ! ハルト君は、Youtube用の撮影ができて嬉しそうだし」
アサがカラカラと笑いながらヒマリの肩をポンと叩いた。
「もちろん! 何より、今回の遠征代はヒマリ先輩の上司が出してくれるのがありがたいからね。行かない手はないよ」
今回の旅は、単なるYouTubeの撮影企画ではない。総務省異界管理局からの『依頼』という側面も孕んでいた。
しかし、ハルトとアサがどこまでも無邪気に、旅行への期待を膨らませて笑い合う姿を見て、ヒマリはホッと胸を撫で下ろしたようだ。
「そう行っていただけて、何よりです。ですが……」
「……わかってるよ」
真剣な顔を取り戻そうとしたヒマリの言葉を、ハルトが優しく遮った。
「まあでも、それは目的地に着いてからでいいんじゃない? とりあえず、目的地までは電車の旅を楽しもうよ!」
「そうね、私もハルト君の意見に賛成よ。今から気を張り詰めていたら、いざって時に気が持たないわ。せっかくの旅行なんだし、楽しまなきゃ損じゃない!」
アサも満面の笑みで同調する。
二人の底抜けな明るさと、前向きな言葉。
「……そうですよね」
ヒマリはゆっくりと顔を上げた。
「では、道中は私も楽しませていただきます!」
時計の針が現在に戻る。
東京駅2番線ホームに、接近放送が鳴り響く。
東京駅2番線には、特急しおさい1号銚子行きに使われる車両が、ゆっくりと入線してきていた。
「あれ? これ、成田エクスプレスと同じ車両よね? この列車は、成田空港にも行くのかしら?」
赤と黒、そして白を基調としたシャープな顔立ちの車両を見て、アサが首を傾げた。
「よく聞いてくれました! この車両はもともと成田エクスプレス専用の車両で、銚子まで行く特急しおさいには、別の車両が使われていたんだ。ほら、これがその写真」
ハルトはスマホを取り出し、画面に映した列車の写真を二人に提示した。
「へえ、なんだかオシャレでカッコいい見た目の電車ね。黄色と青のラインがイケてるわ」
「この特急車両は、255系って言う車両で、別名房総ビューエクスプレスと呼ばれていたんだ。車内から房総半島の雄大な海の景色が眺められるように、窓が大きく設計されているんだ」
ハルトの熱のこもった解説に、アサとヒマリは感心したように画面を覗き込む。
「素敵な車両ですね。でも、この車両は今どこに行ってしまったのですか?」
ヒマリが尋ねると、ハルトは少しだけ寂しそうな顔をした。
「実はこの車両、今は定期特急の運用から外れて、年に数回の臨時特急でしか走っていないんだ。元々1990年頃に製造されてからずっと海沿いを走ってきたから、車両の老朽化がかなり進んでいるんだよね」
「確かに。1990年と言ったら、もう30年以上前の話ですからね」
ヒマリが納得したように頷く。
「うん。それに、千葉方面の特急は、アクアラインの整備や千葉県全体の人口減少の進行で、年々利用客数が減っていて、255系みたいにいっぱいお客さんを乗せられる車両を走らせると運行上のコストがかかりすぎちゃうんだ」
「でも、成田エクスプレスの車両は、どこから持ってきたのかしら?」
アサの鋭い質問に、ハルトはカメラに向かって人差し指を立てた。
「それはズバリ、新型コロナによる空港特急の利用者の減少だね。コロナの影響で、空港を利用する人が激減したから、成田エクスプレスも当然利用するお客さんの数は減るよね。そこで余ってしまった車両で、古い特急車両を置き換えたんだ」
「JR東日本にも、深刻な事情があるのですね……」
鉄道会社の苦労を思いやったのか、ヒマリがしみじみと呟いた。
「さて、ドアが開いたし、早速乗り込もう!」
ハルトの合図で、三人は滑り込むように開いたドアから、ピカピカの特急車両へと乗り込んだ。
定刻通り、特急しおさい1号はモーター音を響かせながら、ゆっくりと東京駅を出発した。
「さて、しおさい号はゆっくりと東京駅を出発しました。最初の停車駅、錦糸町駅までは地下区間を走っていきます」
カメラを回しながら実況を続けるハルト。
窓の外は、コンクリートの壁と規則的に流れる蛍光灯の光だけだ。
「なんだか、途中で通過する駅も古いわね。壁のタイルとか、昭和って感じがするわ」
窓に顔を近づけ、通過していく新日本橋駅や馬喰町駅のホームを眺めながらアサが言う。
「総武線快速のこの区間は、1972年に開業してるからね。もう半世紀以上経っているから、駅もトンネルもだいぶ古くなっているんだ」
「でも、この薄暗くて古い感じは、どこかノスタルジーがあっていいですよね。秘密の地下通路を抜けていくみたいで、冒険心がくすぐられます」
ヒマリが窓の外の闇を見つめながら、静かに微笑んだ。
やがて列車が長いトンネルを抜け地上へと顔を出し、太陽の光が車内いっぱいに差し込んでくると、ハルトはカメラをテーブルの上へと向けた。
「さあ、お待ちかねの朝食タイムです! 東京駅といえば駅弁! 皆さんは何を買いましたか?」
「私はこれ! 東京名物、深川めしよ!」
アサが元気よく蓋を開けると、アサリがたっぷりと乗った醤油ベースの炊き込みご飯が姿を現した。食欲をそそる磯の香りがふわりと漂う。
「私は、オーソドックスに幕の内弁当にしました。色々な種類のおかずが少しずつ楽しめるのがいいですね」
ヒマリはおしとやかに手を合わせ、綺麗に盛り付けられた弁当にお箸を伸ばす。
「そして僕は、チキン弁当! 昔からある定番中の定番だけど、このケチャップライスと唐揚げの組み合わせが最高なんだよね」
三人は、流れる車窓の景色をおかずに、賑やかに駅弁を頬張った。
錦糸町を過ぎ、列車は荒川を渡って千葉県へと入っていく。
市川、船橋、千葉と、ビル群や住宅街が密集する都市部を快調に飛ばしていく特急しおさい。
しかし、千葉駅を過ぎて総武本線に入ると、車窓の風景は徐々にその表情を変え始めた。
「見てください、この景色。都会の喧騒をすっかり抜け出して、のどかな田園風景が広がってきましたよ」
ハルトがカメラのレンズを窓の外へ向ける。
どこまでも続く緑の絨毯のような田んぼと、その奥に連なる低い山々。青い空には夏を思わせる白い雲が浮かんでいる。
「本当にのどかねぇ。さっきまでの地下の暗さが嘘みたいに開放的だわ」
アサが深川めしを完食し、満足げにお茶を啜りながら景色に見入る。
「ええ。こうして緑を見ていると、日々の疲れが洗われるようです」
ヒマリも目を細め、静かに流れる景色を味わっていた。
列車は佐倉を抜け、八街、成東と、千葉の奥深くへと進んでいく。
目的地である銚子までは、あともう少しだ。
今回の旅の先には、異界管理局からの『依頼』という危険な任務が待ち受けている。
しかし今この瞬間だけは、ただの仲の良い三人組の旅行客として、非日常への期待に胸を膨らませていた。
「さあ、間もなく太平洋の潮風が香る街、銚子に到着します。海鮮、醤油、そして絶景! 果たしてどんな旅になるのか、お楽しみに!」
ハルトがカメラに向かって明るく締めくくると、アサとヒマリも笑顔で手を振った。
夏の陽光を浴びて走る特急しおさいは、青い海が待つ終着駅へと、軽やかにレールを駆け抜けていった。




