39話 最低なギブ&テイク
休日の静まり返った総務省異界管理局の建物の2階。
空調の低い稼働音だけが響く殺風景な執務室で、土方大和はデスクの奥からパイプ椅子を軋ませ、机の前に立つ女子大生に声をかけた。
「休日に呼び出して悪いな、ヒマリ」
くしゃくしゃの頭を掻きながら、土方はいつものように飄々とした態度を崩さない。
しかし、その瞳の奥には普段の彼にはない、冷たく鋭い光が宿っていた。
「いえ。……それより、どのようなご用件でしょうか、先生」
対峙するヒマリの表情は、休日の穏やかさとは無縁の、張り詰めた険しいものだった。
彼女は背筋をピンと伸ばし、警戒するように土方の次の言葉を待つ。
「……ここ最近、突如として人間が魔力を持ち、悪魔化する事象が出てきているのは、知っているだろう?」
土方の声が一段低くなり、部屋の空気が急激に重みを増した。
「はい。悪魔が人間にとり憑くのではなく、人間そのものが、なんらかの理由により、悪魔化してしまう事象ですね……」
「ああ。今のところその事象が見られるのは、関東地方のみだ。なぜ、他の地域では発生せず、関東地方のみで発生するのか……。その理由は定かではないが、あまりいい状況ではないのは確かだ」
土方は手元の書類の束に視線を落とし、忌々しそうに眉間を寄せた。
「……この事象の理由として、何か原因は判明しているのですか?」
「……これはまだ確定事項ではないが……」
土方はそこで言葉を切り、深く一呼吸置いた。これから告げる事実の重さを測るように。
「どうやら、人間に魔力を強制的に与える薬が秘密裏に開発され、それが使用されているのではないかという話だ」
「人間に魔力を与える薬……?」
予想外の単語に、ヒマリは思わず目を見開いた。
「ああ。その他にも、ヴァンパイア説など、いろんな説が飛び交っているが、科学捜査班によると、現時点では薬物が最有力候補であるようだ」
「そうなんですね……」
「ああ。そこでだ、ヒマリ。君には、関東地方各地で発生している悪魔化した人間の討伐を依頼したい」
「討伐……殺してしまうのですか?」
ヒマリの声が微かに震えた。
これまで純粋な悪魔を無数に屠ってきた彼女だが、相手が「元・人間」となれば話は別だ。
「……そうだ」
「そんな……。治療法は……」
「残念ながら、現段階では、悪魔化した人間を元に戻す治療法は見つかっていない。できれば、生きたまま捕獲・本部への輸送をお願いしたいが、悪魔化した直後の人間は、その強さを身体に受容させるために、自我を失っており、非常に危険な状態だ。既に何名かの職員を捕獲に向かわせたが、一部個体では作戦は成功したものの、大半の現場では職員がその消息を絶っている」
淡々と語られる被害状況に、ヒマリは唇を強く噛み締めた。
消息を絶ったということは、事実上の殉職を意味している。
「具体的に、悪魔化した人間は何が危険なのですか?」
「悪魔化した人間は、通常の悪魔と同じように、感情エネルギーを摂取する代わりに、強い力を維持できるようになる。しかも厄介なことに、通常の悪魔よりも多くの感情エネルギーを一度に摂取しなければ、その力を維持できない。感情エネルギーを吸われすぎた人間は、生命力を奪われ、活動に障害が生じ、最悪の場合死に至る。現時点では個体数はそこまで多くないようだが、今後これを放置することにより、どのような問題が起きるのか未知数だ。我々としても、早急に対処したい」
土方の説明は理路整然としており、反論の余地はなかった。
放置すれば、さらなる無関係な犠牲者が増えるだけだ。
「……わかりました。悪魔化した人間の討伐依頼、承りました」
ヒマリは覚悟を決め、静かに頷いた。
だが、土方の口から出た次の言葉は、彼女の決意を真っ向から揺るがすものだった。
「ああ。あと、これは俺の上司からの命令なのだが」
――浅野家の令嬢と秋津家の跡継ぎと共に、今回の任務を行ってほしい。
「……今、なんと?」
ヒマリは自分の耳を疑い、聞き返した。
「今回の任務は、藤宮ヒマリの他に、浅野家の令嬢と、秋津家の跡継ぎ、この三人でチームを組んで行ってほしいとの令が出ている」
「そんな! アサとハルト君を巻き込むなんて!」
常に冷静沈着なヒマリが、声を荒げて身を乗り出した。
あんな底抜けに明るい二人を、人間を殺すかもしれない凄惨な任務に巻き込むなど、絶対に避けたい。
「まぁ待て。その代わり、交換条件がある」
土方は怒るヒマリを片手で制し、鋭い視線を彼女に向けた。
「浅野家の先代当主が、今回の事件に関わっている可能性があることが、捜査を進めている中で判明した」
「な……」
あまりの事実に、ヒマリは絶句した。
「この三人で動くのなら、ご令嬢殿に、事件の情報を、一部だが流すことが許可されている。……まあ、ギブ&テイクってやつだ」
「……最低なギブ&テイクですね」
ヒマリは軽蔑を込めた目で土方を睨みつけ、吐き捨てるように言った。
アサの家族の情報を餌にして、彼らを死地に立たせようというのだ。
「そう怒るな。こっちだって危険な仕事なのに人手不足なんだ。使える人材は多いに越したことはない」
土方は肩をすくめ、悪びれる様子もなく言い放った。
組織の論理としては正しいのだろうが、ヒマリの感情は到底追いつかない。
「話はそれだけですか?」
「ああ。悪いな休日に呼び出してしまって。返事は2日以内にくれると助かる」
「……失礼します」
ヒマリは短く一礼すると、足早に踵を返した。
バタン、と重い扉が閉まる音が、静まり返った地下施設に虚しく響く。扉の向こうへ消えた彼女の足取りは、これから背負うことになる重圧のせいで、ひどく重々しいものだった。




