二章閑話2
魔界。
常に赤黒い月が浮かび、地表からは瘴気が立ち上るこの世界の一角に、悪魔たちが集う酒場『プルガトリオ』があった。
重厚な扉の向こうでは、下級悪魔たちの下品な笑い声と、グラスがぶつかる音が絶え間なく響いている。
「んだよ、マモン。どんだけ俺を待たせるつもりだ。ぶち殺すぞ」
薄暗い店内の奥の席。
ボロボロのコートを纏った『嫉妬』の悪魔・エンヴィーが、ジョッキをドンとテーブルに叩きつけて凄んだ。
「おやおやエンヴィーさん、先に飲んでいらしたとは。お待たせして申し訳ないです」
悪びれる様子もなく現れたのは、細身のスーツを着崩した『強欲』の悪魔、マモン・クロードだった。
「お前の謝罪には、とてもじゃないが誠意を感じられない。……まあ、それもいつものことか」
「フフ、わかっていただけて何よりです。ワタクシ、非常に忙しい身でして」
慇懃無礼な態度で対面の席に腰を下ろすマモンに対し、エンヴィーは不機嫌そうに顎をしゃくった。
「で、今日は何の用だ?」
エンヴィーは不機嫌そうに顎をしゃくった。
先日、人間界の土樽駅で、あの忌々しい旅行系YouTuberコンビに精神世界ごと叩き潰されて以来、エンヴィーは酒浸りの日々を送っていた。
高きプライドはずたずたに引き裂かれ、鬱憤を強い酒で流し込むしかなかったのだ。
そんなエンヴィーの腐ったオーラなど気にも留めず、マモンは楽しげに目を細めた。
「単刀直入に申し上げましょう。エンヴィーさん、ワタクシと一緒に旅行系YouTuberをやりませんか?」
「はぁ!?」
予想外の言葉に、エンヴィーは素っ頓狂な声を上げた。
「そうですかそうですか、一緒にやってくれるんですねありがとうございます」
「まだなんも言ってねぇよ! 大体人間界でYouTuberだぁ!? お前、あれから本当にやってたのかよ」
エンヴィーが呆れたように言うと、マモンは胸を張ってニヤリと笑った。
その姿は、敏腕プロデューサーそのものだったことが、エンヴィーにとって余計に腹立たしいことである。
「ええ。ワタクシはこの魔界で一番のエンターテイナーですからね。人間の『強欲』や『承認欲求』を集めるのに、YouTuberほど効率のいいビジネスはありません。再生数、高評価、そしてアンチコメントすらも極上のエネルギーになります」
「お前が頭おかしい奴なのは昔から知ってたけどよ……」
「それで、やってくれますよね?」
「ハン! お断りだぜ」
エンヴィーはそっぽを向いて、再びジョッキをあおった。
「俺はもう、人間界のあいつらに関わる気はねぇ。お前一人で勝手に動画でも何でも撮ってろ」
「おや、そうですか。それは残念です」
マモンはやれやれと肩をすくめ、わざとらしく、芝居がかったため息をついた。
そして、グラスの縁を指でなぞりながら、ふと独り言のように呟いた。
「そういえば、ラストさん、亡くなってしまったらしいですよ」
その言葉が耳に届いた瞬間。
エンヴィーは、一瞬だけグワッと目を開き、動きを止めた。
ジョッキを握る手にギリッと力がこもる。
しかし、すぐにその動揺を隠すように、ひねくれた視線を机の上のジョッキに向けた。
「……へッ。この魔界にはラストなんて名前の奴は腐るほどいる。色欲の悪魔か何か知らねぇが、どのラストか知らねぇなぁ」
「彼女は、最期まで私達のことを心配していましたね」
ピクリ、とエンヴィーの肩が揺れた。
「……チッ。あのクソババァ……。俺には、何もなしかよ」
誰にも聞こえないほどの小さな声で毒づくと、エンヴィーは残っていた酒を一気に飲み干し、ドンッとジョッキを叩き置いた。
そして、グワッと顔をあげて、真っ直ぐにマモンの細められた目を見た。
その瞳には、先ほどまでの自堕落な濁りは消え、凶悪でギラついた光が戻っている。
「気が変わった。いいぜ。お前と一緒にYoutubeやってやる。せいぜい俺を楽しませてくれよ」
「ええもちろん」
マモンは満足そうに微笑み、スッと立ち上がった。
「それじゃあ早速、移動しましょうか」
「は? ちょっとおい、マモン。どこへ行くんだよ」
「人間界ですよ。早速ですが、撮影に行きましょう」
「撮影って、そんな急にやるもんなのかよ!」
有無を言わさず腕を掴まれ、強引に引っ張られる。
「ほら、文句を言わないで。機材も既に用意してありますから」
「あっちょっとおい! こら! 自分で歩くから腕を引っ張るんじゃねー!」
薄暗い魔界の酒場に、エンヴィーの情けない抗議の声が響き渡る。
こうして、悪魔二人組による異色のYouTuberコンビが、唐突に結成されたのだった。




