32話 知らないこと
翌日の昼。
大学のカフェテリアの隅にあるテーブル席に、三人が集まっていた。
周囲からは学生たちの賑やかな話し声が、絶え間なく聞こえてくる。
ハルトが昨晩部屋にやってきた悪魔「マモン」の話を一通り終えると、三人の間に重い沈黙が降りた。
「……名刺、見せてください」
ヒマリが先に口を開いた。
ハルトが昨夜受け取った名刺を差し出すと、ヒマリは表と裏をじっくりと確認した。
指の先が、わずかに魔法的な感知に動いている。
「魔法的な細工は見当たりません。悪意のあるエンチャントも。……ただのYouTuberの名刺です」
「ただの悪魔のYouTuberの名刺ね」
アサが腕を組んで言った。
その声には、牽制と興味が半々で混じっている。
「マモン……強欲という意味ですか。魔界では『鈴木』と同じくらいありふれている名前の一つです。ですが……」
ヒマリが名刺をハルトに返しながら言った。
「エンヴィーよりも強いんですか?」
「はい。強いです。少なくとも、この名刺に微かに残る魔力を分析する限りでは」
ヒマリは、何かを恐れているかのように深刻な表情をしている。
ヒマリは言葉を続ける。
「ここまで強い魔力を持つ個体は、上級種と呼ばれます。エンヴィーのような中級種よりも、一段上の存在です。明確で単純な力関係で成立している魔界では、人間でいうところの貴族階級に相当します」
ハルトは、狼狽えた。
自分のところにやってきた悪魔という存在が、想像以上に強い存在であることに驚いたからだ。
あの細見の人間もどきが、あの時アサと自分を苦しめた奴より強いなんて、到底信じられなかった。
ハルトは、訳もなく言葉を探した。
脳裏に浮かんだのは、昨晩のマモンのニコニコ顔だった。
「……で、でも、マモンは僕の部屋に来た時に敵対の意思はなかったよ!」
ハルトはなんとか反論のようなものを返したが、ヒマリもアサも冷静だった。
「ええ。それはそうかもしれません。ですがそれが、悪魔の怖いところでもあるのです」
「どういうこと?」
ハルトは首を傾げた。
先のナルトchの件で、悪魔は怖いものであり、それ以上でも以下でもないという認識でハルトの中では固まりつつあったからだ。
アサは机の上を睨みつけながら、ハルトの疑問に答えた。
「悪魔の目的は個体によりバラバラだけど、絶対に共通することとして、人の感情をエネルギーに変えて力をつけるということがあるの」
アサはそこで一度言葉を区切り、同じく険しい表情のヒマリに説明を引き継ぐ。
「マモンという悪魔は、私達三人に対しての取引として、コラボを差し出した。私やアサから見れば、それはすごく怪しいんです。こちら側が差し出すものが少なすぎる」
「差し出すものが少ない……?」
言われてみれば、これはハルト達からしてみれば破格の条件だ。
ハルト達三人は、ただ『悪魔のYoutuber』とコラボするだけで、自分達に有利な情報や知りたい情報を手に入れられる可能性を獲得することができる。
それは悪魔側からしてみれば、逆に自分達を滅ぼす可能性のある情報が渡る可能性があるともいえる。
「何があるのかわからないってことなのか……?」
「そうよ。エンヴィーのように『壊す』ことを目的とはしていないかもしれない。ただし、だからといって安全とも言えない。残念だけど、それが悪魔というものなの」
ヒマリは眼鏡のブリッジを押し上げた。
「彼らの取引は、『公平』を重視します。自分達に釣り合わないことは絶対にしませんし、逆に自分が貰った分、相手に相応の対価を与える。彼らは感情を餌にする生命体なだけに、取引に関する文化は人間よりも厳格化されているのです」
ハルトは二人の顔を不安げな表情で眺めた。
「……なるほど。結局僕はこのコラボを断った方がいいのかな?」
しかし、ヒマリもアサも何も答えない。
それを確認したハルトは、下を向いてしまった。
自分の大切だった人の情報が手に入るかもしれない貴重な機会。
ハルトはそれを逃す必要があるかもしれないことに、少し落胆してしまっているのだ。
「ここまでいろいろ話してきたけど、コラボ、私は受けるべきだと思う」
ふと、アサが口を開けた。
ハルトはその声を聞いて顔を挙げる。
「……即断ですね」
ヒマリはジロリとアサの方に視線を向けた。
その表情には、「やれやれ」と言わんばかりの呆れが混ざっている。
「だって、向こうはこちらを傷つける気がないって言ってるんでしょ? 実際、動画だって正攻法で伸ばしてるように見える。悪魔の力を使ってないのなら、ただのすごいYouTuberじゃないかしら?」
アサはハルトを真っ直ぐに見た。
「それに、コラボを受けようが受けまいが、私達にメリットがあるのは変わらないわ。悪魔の貴族と接触できる機会なんて、滅多にあるもんじゃない。貴重な情報源になりうるわ」
「そうなのか?」
「ええ。大抵の上級悪魔は、基本的に家来の下級悪魔達にエネルギーを貢がせます。彼らがこの世界で直接感情の栄養を摂取することはかなり稀なこと、つまり私達の間でも情報が少ないんです」
「なるほど……」
「ハルト君は、どうなの? 今回のコラボは受けたいの?」
アサの目はまっすぐだ。
まっすぐハルトの目を射抜いている。
彼女はハルトの覚悟を問うているのだ。
「僕は……」
もし、このコラボを受けてマモンのもとに出向いた際、万一にも攻撃されたら。
万一にも三人のうち誰かが命を落としてしまったら。
ハルトの中に、一瞬それはよぎった。
もちろんハルトは、自分の叔父がどのような存在だったのか、自分は何ができるのか、まだ何も知らない。
今回のコラボでそれが知れるなら、行くべきであるのは明白であるのだ。
そこまで考えて、ハルトはアサに一つ質問をすることにした。
「ごめん、アサ、一つ質問していいかな?」
「なにかしら?」
「アサはこの間、僕には魔法の才能はないと言った。でも、後から知ったけど、どうやら僕には魔力があって、魔法が使えてる。なんであんなこと言ったの?」
それは、ちょうどアサとヒマリが喧嘩した日のこと。
あれからもう既に一か月近く経過している。
あの日アサは、学食でステーキ丼を食べながら、あなたには魔法の才能がないと、なんでもないことのように言った。
だけど……。
アサはハッと目を開けて、そして俯いた。
「……危ないとおもったのよ。ハルト君はきっと、自分に魔力があると知ったら、きっとその力を使おうとする。そしてそれは、誰かを守るために」
アサの口から、ぽつりぽつりと真意が話される。
そのどれもが、ハルトを自分たちの世界へと巻き込まないための『言い訳』だった。
「それは、時に自分も相手も傷つける。だったら。『魔法が使える世界』を知らないほうが幸せだと思わないかしら?」
「それは……」
本当にそうだろうか。
後に続く言葉を、ハルトは思い浮かばなかった。
「まあそれも、そこにいるエクソシストがバラしたおかけで台無しだけどね」
「いえいえ」
アサがジロリとヒマリを睨むと、ヒマリはニコりと笑う。
確かに魔法というものをもし自分が知らなかったら幸せだったのかもしれない。
でも、ハルトにあの日魔法というものを打ち明けてくれた少女がいた。
あの日、ハルトの好きなものを守るために、ボロボロになりながらも戦ってくれた少女がいた。
もし彼女が困っていたら、力になりたい。
そのために、魔法という力があったほうがいい。
ハルトはまっすぐ、アサとヒマリを見た。
「教えてくれて、ありがとう、アサ。僕は、今回のコラボを受けるよ」
「その理由を聞いても?」
「おじさんのことも、僕の魔法のことも、少しでも手がかりがあるなら知りたいんだ」
ハルトは、一呼吸置いた。
「やれる事は、全部やりたい」
ハルトは、まっすぐ二人を見つめ続ける。
その瞳は、純粋そのものだった。
やがてヒマリは観念したかのようにため息を吐く。
「仕方ないですね」
ヒマリは、やれやれと手を振ったあと、ちょっと怒った顔をする。
「……賛成、とは言えません。相手は悪魔です。ただ」
ヒマリは静かに続ける。
「あなたが自分の力の出所を知ることは、今後のためにも必要なことだと思います。それが安全に得られる機会なら、利用しない手はない。……コラボ、受けましょう」
ヒマリは端的に言い切った。
ハルトはアサを見た。アサは頷いた。
「当たり前じゃない。私が行かないわけないでしょ」
アサはハルトの手をしっかりと握った。
「大丈夫よ。今回は、魔法使いが2人もついてる。さっきはいろいろ言ったけど、安全面に関しては、ハルト君はあまり心配しないくて構わないわ」
アサはそう言って屈託なく笑う。
「アサ、ヒマリ先輩。ありがとう、二人とも」
ハルトの決意は、固まったようであった。
スマートフォンを手に取り、昨夜保留にしていたDMの返信画面を開いて、文字を打ち込んでいく。
「コラボ、受けさせていただきます。三人で一緒に参加します。詳細を調整しましょう」
送信ボタンを押す。
既読がつくまで、一秒もかからなかった。
返信もすぐに来た。
『ありがとうございます! 楽しいことになりそうですね。では、場所と日程のご提案をさせていただきます。……当日、楽しみにしてますよ』
最後に、絵文字が一個ついていた。
宝石の絵文字だ。
「……本当に、変な悪魔だ」
ハルトは苦笑した。
「あの動画、私もあとで見ておきます。相手を知らずに乗り込むのは、エクソシストとして失格ですから」
「私も見る! で、ハルトくん、あの古本屋の動画が面白いって言ってたじゃない。URL送って」
「うん、ありがとう」
ハルトはグループチャットにURLを貼り付けた。
三人のスマートフォンが、同時に同じ動画の再生を始める。
カフェテリアの喧騒の中、三人は画面に目を落とした。
古本屋の主人が、笑いながら戦後の話をしている。
「……確かに、うまいですね。話の引き出し方が」
「ね! なんか憎めないわ、このMC」
「悪魔ですけどね」
「まあ、そこは置いといて」
三人の視線が画面に集まる中、
ハルトだけは、ほんの少し別のことを考えていた。
(なんで、僕は魔法が使えるのか。その答えを、マモンは知っている)
窓の外に、夏の空が広がっていた。
次の旅は、少し違う種類の「未知」に踏み込むことになりそうだった。




