33話 悪魔の友人
都内某所。
駅から徒歩五分ほどの雑居ビルの一室。
予約制の小さなレンタルスタジオだ。
機材用の棚と折りたたみ椅子、簡易的な照明機材が並んでいる。
決して広くはないが、清潔で、撮影用の白いバック紙が壁に立てかけられていた。
ハルトたちが部屋に入ると、マモンはすでに到着しており、撮影の準備を進めていた。
スーツの袖を軽くまくり、カメラの前に三脚を立てながら、振り返りもせずに言った。
「ようこそ、いらっしゃいました。銀次君、それから魔法少女とエクソシストさん」
その言葉が、部屋の空気をひりつかせる。
アサの足が止まり、指先にほんの少し光の粒子が集まりかけた。
ヒマリの右手は、無意識にコートの内側へ伸びた。そこに収納された武器の柄へ、指が触れる一歩手前だ。
言葉を交わさず、しかし同時に、二人は同じ判断をしていた。
「安心してください。ワタクシはただ、あなたがた三人と面白い動画を作りたいだけですから」
マモンは三脚のネジを締めながら、穏やかに言った。
声にも仕草にも、戦意の欠片もない。ただの撮影前のスタッフのような自然さだった。
「そんな戯言、誰も信じないわよ」
アサが低い声で言った。
いつものふわりとした明るさが、今はない。
「こればかりは、私も浅野さんと同意見です」
ヒマリも静かに、しかし確固たる口調で続けた。
マモンはようやく振り返り、二人を見た。
その顔に、焦りはなかった。むしろ、少し困ったような、楽しげな色がある。
「……ふむ、なるほど。私は別にここでやりあうのは構いませんが、それでは、『人間』であるあなたがた2人のほうが不都合なのではないですか? 何より、銀次くんの安全を保障する人間がいません」
アサとヒマリの動きが止まった。
マモンの言葉は脅しではなく、単純な事実の指摘だった。
狭い室内でことを起こせば、その余波が最も深刻なのは、魔法使いでも悪魔でもなく、ただの人間であるハルトだ。
アサは唇を噛み、ヒマリは静かに手を下ろした。
「よろしい。それでは、今回のコラボ動画を早速収録していきましょう」
マモンはにこりと笑い、再びカメラの方へ向き直った。
ハルトは、その一部始終を黙って見ていた。
部屋に入ってから、一言も喋っていない。
アサが一瞬だけハルトの方を見た。
大丈夫?という顔だ。
ハルトは小さく頷いた。
大丈夫だ、と言ったつもりだったが、正直、大丈夫かどうかはわからなかった。
「……どうされましたか? 銀次君」
マモンが、こちらを振り向かずに問いかけた。
「……なぁ、本当に教えてくれるのか? 僕のことについて」
ハルトの声は、自分でも思ったより落ち着いていた。
マモンはその問いに、手を止めて振り返った。
にっこりと、迷いのない笑顔で。
「もちろん。信用してもらって構いませんよ」
「……わかった。早速始めよう」
ハルトが前に出た。アサとヒマリが、その斜め後ろに並んだ。
「その意気です。今日の企画は、予めお伝えしたとおり、クイズバトルとなっています。鉄道オタクなら、ワタクシの出す問題にちゃんと答えられますよね?」
「もちろんだ」
その答えを受け取ると、マモンは早速カメラの電源をオンにした。
クイズは、拍子抜けするくらい簡単だった。
その場にいた、マモン以外の三人が、違和感を覚えるほどに。
マモンはニコニコとした笑みを崩さない。
もはやこの場にいた誰もが気づいていたのだ。
今日マモンが持ってきた問題は全て、ハルトが今までアサと共に出かけた先で乗った鉄道に関連する問題であったのだ。
しかもご丁寧に、ハルトが始めてアサと出会った新宿駅から、日付を辿るように順番に出題されていた。
『悪魔』の恐ろしさを、三人は意外なところで実感していたのだ。
やがて、クイズが終わり、エンディングトークに入る。
「それでは、みなさん。また次回。ご視聴、ありがとうございました」
最後の挨拶を終え、マモンは動画の収録停止ボタンを押した。
「まさかここまで白熱するとは思いませんでしたね」
マモンは満足そうに、三人に話しかけた。
「そうかしら? 私達からしたら、敢えて簡単な問題を出しているように見えたわ。本当にこれで盛り上がると思ってるの?」
アサは、キリリとマモンを睨む。
「実際、思い出話で盛り上がったじゃないですか。銀次君とヒマさんもそう思いますよね?」
飄々とした声で発言するマモンを、ハルトもヒマリも何も答えず、ただ薄く睨みつけた。
マモンは、それに対して、特に気にする風もなく、やれやれと首を横に振った。
「さてと。お疲れ様でした。機材の片付けは後で私がしますので、約束通り、先にお話しをしましょう」
マモンは、ハルト達三人を椅子に座らせた。
その真向いの席に、マモンは座る。
やがて、マモンは一度ニコリとハルトに笑いかけた後、ぽつりぽつりと下を向いて喋りだした。
「秋津ハルト君、君は秋津宗介の甥っ子ということで間違いないですね?」
「うん。それは間違いない」
「よろしい。では、ワタクシが知っている秋津宗助という人物について、今からお話していきます」
「……お願いします」
マモンは、話が長くなることを予感するかのように、フッと息を吐いた。
ハルトはそれを見てか見ないでか、緊張のあまり息を呑んでしまった。
「まずワタクシは、秋津宗介とは長い関係でした。言ってしまえば、腐れ縁のようなものです」
「えっ」
初手から投げ込まれた爆弾のような情報に、ハルトは言葉を失い、そのままフリーズしてしまった。
横に座ってるアサとヒマリが、心配そうにハルトの顔をのぞき込む。
マモンは、ハルトを現実世界に戻すために、言葉を続ける。
「驚くのも無理はありません。ワタクシは悪魔。一方で宗介は魔力を持っている者の普通の人間。本来ならば、お互いに接点を持つことはありませんでした」
マモンは一呼吸置いて、木漏れ日が差し込む窓の外を眺めた。
その時の彼は、『人間』として、遠い日の記憶を眺めていたように見えた。
「……ワタクシは、とある手段を用いて、人間界の大学に通っていた時期があるのですが、宗介とはその時に出会いました。20年以上の付き合いがあったと思いますが、彼は出会ったときから生粋の旅行好きの人間であったのは、忘れられませんね」
マモンの口からは、何か大事なものを噛み締めてるのか、自然と笑みが漏れ出ていた。
「そっか。おじさんは、おじさんだったんだね」
自分の叔父が昔から旅行が好きだったことがわかって、ハルトは少しだけ嬉しい気持ちをになった。
気づけばハルトは、目の前にいる彼を、自分のおじさんを知る存在として、心の中で感じるようになっていたのだ。
マモンは、それを知ってか知らずか、窓の外を眺めながら話を続けていく。
「ワタクシは宗介が魔力を持っていることは知っていましたし、本人もそれを自覚していたそうです」
つい最近まで関わることのなかった世界の話。
だけど、なんとなくだけど、ハルトにとってそれは予想通りだった。
なんでかをうまく説明することは、ハルトには難しいけど、パズルのピースをつなげていった先に見えたことであるとは言える。
マモンは、窓から顔を離し、代わりに自分の右手を眺め始めた。
「なので彼は、自分の兄が授かった子供が魔力を持っていると気づいたとき、とても心配していました」
「それって……」
おじさんの兄……それは、紛れもなくハルトの父親だ。
そして、ハルトは兄弟がいない一人息子である。
「はい、ハルト君。あなたのことです」
マモンは、自分の右手を眺めながら話すのをやめ、ハルト達三人の方を再び向いた。
「魔力というものは、人間の科学技術では未だ証明できていない不思議なものです。不思議なもののところには、当然不思議なものが集まります。それには、善いものも悪いものも関係ないのです」
マモンは、じっとハルトの顔を眺める。
「宗介は、まだ自分が魔力を持っていると自覚していない幼いハルト君を守るために、自分なりに面倒を見ていました。例えば、鉄道好きのハルト君のために、よく一緒に旅行に連れて行くとかですね。まあ、ハルト君の父親と母親はその事情を知らなかったので、単純に子供の世話を手伝ってくれる親戚の人くらいの認識だったと思いますが……」
マモンは再び窓の外を眺め始めた。
「宗介は、ハルト君に対して、魔力除けの魔法を会う度にかけていました。そこのエクソシストが、ハルト君に配った勧誘のチラシに、ハルト君が触れても反応しなかったのは、宗介がかけた魔力除けの魔法の残滓がまだ残っていたからですね。ですがあの時点で、宗介の死からかなり時間が経過していたので、力の強い魔法使いの方々には、簡単に見破ることができたのでしょう」
ハルトはその言葉で両隣に座っている、仲間二人を交互に見た。
アサもヒマリも気まずそうに下を向いている。
だが、これは既に解決した話だ。
魔法の世界は危ない。
二人は、それを身を持って知っていたから、ハルトを必要以上に魔法に関わらせないようにしたり、守る方法を教えてくれたりしている。
だからハルトは、すぐにマモンの顔をまっすぐ向き出した。
それを確認したマモンは、満足気に鼻を鳴らす。
「さて、ではここからもう一つ重大な話をしましょう」
マモンは何かを問いかけるときのように、ハルトの顔を見た。
「ハルト君は、宗介が、自分の叔父がどうやって死んだか、聞いていますか?」
それは、ハルトにとって想定外の質問だった。
何か知らないことがある。
それを突きつけらてる気がして、ハルトは心がざわついた。
しかしマモンは回答を待っている。
ハルトは自分の持っている情報を隅から隅まで話すことにした。
「えっと……もともと叔父さんは、桜を見るために電車に乗っていて、その車内で心筋梗塞を起こして亡くなったと聞いています。もともと血液系が弱かったと聞いてますね」
マモンは、その情報を吟味するかのごとく、自らの顎を触り、上の空を見上げた。
「なるほど。概ねその通りなのですが、その情報には一つ足りないものがあります」
ハルトは、まっすぐマモンを見た。
彼の言う情報を全て聞き逃さないように。
今の彼は、目の前の悪魔以上に強欲な存在になっていたのだ。
「まず宗介が死んだ理由は、確かに心筋梗塞なのですが、心筋梗塞を起こした理由は、魔力の使い過ぎでした」
心筋梗塞を起こした理由……?
普通なら、日頃の不摂生やストレスとか、そのあたりが原因になる、症状のはずである。
実際、ハルトも自分のおじが心筋梗塞を発症した原因は、血液関連の臓器が弱かったからだと聞いていた。
ここでハルトは、先程目の前にいる悪魔が言っていたことを思い出して、一つの仮説を立てた。
「……つまり、宗介は僕に会う度に魔力除けの魔力をかけていたから亡くなった……ということですか?」
しかしマモンは、首を横に振ってみせる。
「勘違いしてほしくないのですが、それだけではありません。宗介は、旅行する先々で、いろんな人と出会ってきました。彼は非常にお節介焼きな人間なので、何かいいことがある度に、道で出会った人たちに、幸運の魔法をこっそりとかけていました。そう、まるで今のアサさんのように」
ハルトがアサの方を向くと、アサは目を丸くしている。
「まあ要は、彼は人にお節介をかきすぎて魔力を使い果たして亡くなったんです。非常に面白い人間ですよね?」
面白いというかなんというか、非常におじさんらしい。
ハルトが吐いたため息は、呆れているのか笑っているのか、わからないものだった。
「ワタクシがハルト君たちとこうしてコラボしているのは、宗介が非常に面白い人間なので、彼が世話をしたあなたという人間も非常に面白い存在なのではないかと期待していたからです。その期待が当たっていて、今のワタクシはとてもワクワクが止まりません」
「それ、ウソですよね?」
ヒマリが口を開いたのは、唐突のことだった。
マモンはおかしなものをみるかのように、ヒマリの顔を眺めた。
「何が嘘だというんです? お忘れかもしれませんが、我々悪魔は、契約をきちんと守ります。ここでウソをついてしまうことは、自分で契約違反をしていることになるのですよ?」
マモンの反撃にも、ヒマリは止まらなかった。
「ええ。承知の上です。なので、嘘をついているというより、何か隠していますね?」
「ほう、例えば?」
「ハルト君の叔父さんに頼まれたのではありませんか? ハルト君をよろしく頼むって」
想定外の答えだったのだろう。
マモンは、一瞬目を丸くした跡、にやりとした笑みを見せた。
「さあ、それはどうでしょうか? 何しろもう5年以上前の話ですので、ワタクシもあまり覚えていないのですよ」
ただし、とマモンは言葉を続けた。
「宗介は最後まで、穏やかに笑うような人間でした。まるで、桜を咲かせる妖精……花さか爺のような友達でした」
4人の会話の時間は、そこで終了した。




