31話 悪魔系youtuber
深夜1時を過ぎていた。
秋津家の人間は、アオイを含めて全員就寝しているが、ハルトだけは期限が迫るレポート課題を終わらせるため、懸命に徹夜をしていた。
ハルトの自室の電気自体は消灯させてあり、オレンジ色のデスクライトと机の上のノートパソコンだけが光を放っている。
画面には、経済学部の中間レポートの叩き台と、もう一枚のタブに開いた路線図が、ごちゃまぜに並んでいるのが見える。
「……『最低賃金の引き上げが日本経済に与える影響について考察せよ』……書けるっちゃ書けるけど、どこまで深掘りするんだ、このテーマ」
ハルトはシャーペンをくるくると回しながら、独り言を漏らした。
レポートを書く気力と、次の撮影計画を練りたい気持ちが、脳内で互いに主導権を争っている。そしていつも、旅行計画が勝つ。
「……いや、今日こそレポートを先に終わらせよう」
そう言い聞かせながらも、ハルトの視線は自然と路線図の方へ漂っていく。
次はどこへ行くか。
アサが「もっと遠くに行きたい」と言っていた。
ヒマリは行き先の好き嫌いを表明しないが、前回の宇都宮では車窓の景色を「きれい」と言っていた。ということは、緑の多い場所に連れて行けば、あの珍しい笑顔がまた見られるかもしれない。
(いや、待て。ヒマリ先輩の笑顔を引き出すための旅行計画を立てるのは後回しだ。まずレポート。レポートが先)
ハルトはキーボードに向き直った。
そのとき。
ポン、と軽い音がして、スマートフォンの画面が光った。
夜中の1時に誰からだ、と思いながら画面を見ると、見覚えのないアカウントからSNS『Z』のダイレクトメッセージが届いていた。
差出人の名前:『マモン』
「……なんだこれ」
ハルトはアカウント名の奇妙さに首を傾げながら、送信者のアカウントを先に覗いた。
「YouTube? 何やってるんだろう」
ハルトは、『Z』のプロフィール欄に添付されていたYouTubeのチャンネルURLをクリックした。
その瞬間、ハルトの眠気が吹き飛んだ。
登録者数:9,840人。
「は?」
投稿動画は全部で14本。
最新の投稿日は、三日前。
チャンネルのプロフィール欄には、こう書いてあった。
「はじめまして! マモンです。いろいろ強欲にやっていきます。企画とか雑談とかコラボとか大好き。よろしくおねがいします!」
(……なんか、普通にフレンドリーなチャンネルじゃないか)
ハルトはアイコンを見た。スーツの袖をまくった、茶髪の細身の男のイラストだ。
笑顔が妙に人を惹きつけるような、底知れない明るさがある。
動画のサムネイルを流し見すると、
「電車に乗ってみた(初めて)」「〇〇を1万円分買い続けたら何が起きる?」「謎の個人商店でほぼ全部買ってみた」「路地裏の古本屋の店主に人生訊いたら深すぎた」……そういったタイトルが並んでいる。
ジャンルが散漫なようでいて、どれも「人と場所の面白さを引き出す」という方向に統一感がある。
(……これ、普通に面白そうなチャンネルだな)
試しに一本、「路地裏の古本屋」の動画を再生してみた。
ハルトは五分後、気づいたら見入っていた。
出演者のマモンとやらは、細身のスーツを着崩した、目つきの鋭い茶髪の青年で、声が低くよく通る。
話しかけ方が絶妙で、相手の話を引き出すのがとにかく上手い。
80代の古本屋の主人が、戦後の東京の話を嬉々として語り始めるまでに、マモンはたった三分しかかけていなかった。
(なんだ、このコミュ力……。ちょっと怖いくらいだな)
ハルトは感心しながら動画を最後まで見て、DMを開いた。
「はじめまして、銀次さん。マモン・クロードと申します。先日から銀次さんの動画を拝見していて、ぜひ一度コラボさせていただけないかと思いご連絡しました。旅行と人の面白さ、という点でお互いの親和性が高いのではと感じています。ご検討いただけますと幸いです」
丁寧な文面だ。押しつけがましくない。でも、断りにくい上手さがある。
ハルトは腕を組んだ。
(登録者数1万近いチャンネルからのコラボオファーか。純粋にチャンネルとして考えれば、これ以上ない条件だ。相手の動画も面白いし、ジャンルも方向性も悪くない……)
考えながら、ハルトはもう一度差出人のチャンネル名を見た。
「マモン・クロード」
(……名前に聞き覚えがある気がするんだけど、なぜだろう)
記憶の引き出しをさらってみる。マモン。マモン。
七つの大罪。強欲。
「――いや、まさかな」
ハルトは笑い飛ばした。
まさか、あの日ハルト達の前に立ちふさがった悪魔「エンヴィー」みたいなやつなわけがない。
世の中にはマモンという名前の人間だっているはずだ。
(……ただ、念のため、アサかヒマリ先輩に確認はしておいた方がいいかもな)
そう思って、とりあえずDMを返信せず、保留にしたままで、ハルトは経済学のレポートに戻った。
時刻は深夜1時15分。
ノートパソコンのカーソルが、真っ白な原稿の上でチカチカと点滅している。
そのとき、もう一度。
コン、コン。
窓を叩く音がした。
ハルトの自室は、一軒家の3階だ。
窓の外には何もがいるはずはない。
(風かな……? なんだろう、この違和感……)
ゆっくりとカーテンを引くと、窓の外の暗闇の中に、人の顔があった。
「ひぃっ!?」
ハルトは椅子ごと後ろに引いた。
窓の外の顔は、にっこりと微笑んだ。
細身のスーツ姿の、茶髪の青年。
さっきのチャンネルのアイコンと、寸分違わぬ顔だった。
空中に、浮いている。
「夜分に失礼します、銀次さん」
窓越しに、よく通る声が届いた。
「……DMを送りましたが、お返事が来ないものですから、直接ご挨拶に参りました」
「直接ってお前……3階だぞここ!?」
「存じております。飛んで参りました」
悪びれる様子が微塵もない。
ハルトは、訓練で培いつつある「気の感知」を、恐る恐る使ってみた。
目の前の青年から漂う気配は、人間のそれではない。
どこか冷たく、深く、この世の底から来たような重さがある。
しかし同時に、敵意は感じない。
むしろ、圧倒的なほど軽やかで、楽しそうだ。
(……やっぱり、「マモン」は偶然じゃなかったのか)
ハルトは深呼吸した。逃げても意味はない。この手の存在を追い払う力も、まだない。
「……窓、開けますね」
「ありがとうございます。では、お邪魔します」
ハルトがサッシを開けると、マモンはするりと室内に入ってきた。
足が床についた瞬間、部屋に漂う空気が少し変わった気がした。重いのではない。
密度が、少し濃くなるような感覚だ。
マモンは部屋の中を興味深そうにぐるりと見回した。
机の上の路線図に視線が止まる。
「お忙しいところ恐縮です。……旅行の計画ですか?」
「そっちはレポートのつもりだったやつです」
「これはまた……。学業と趣味の混在、ワタクシは嫌いじゃないですよ」
マモンは出された椅子にも座らず、ごく自然な様子で立ったままハルトを見た。
「まず、自己紹介を。ワタクシはマモン・クロード。魔界における『強欲』の悪魔の眷属の一柱です。ただし今夜は、悪意を持って参ったわけではありません。念のため」
「……信じていいんですか」
「信じていただける根拠を示すのが誠意というものでしょう」
マモンはスーツのポケットから名刺を一枚取り出した。
「マモン・クロード YouTuber」と書かれている。メールアドレスとチャンネルURLまで印刷されていた。
「……本格的だ」
「ワタクシ、人間界での活動には本気です。チャンネルの方もご覧いただけましたか?」
「見ました。普通に面白かったです。あの古本屋の動画……」
「ありがとうございます! あの主人はいいですよ。まだまだ引き出しきれていないくらいです。実はあの後、二時間追加で話を聞いていたんですが、尺の関係でカットしてしまって」
マモンは心底残念そうに言った。その表情に、邪気の類は見当たらない。
ただ、純粋に「面白いもの」を求めている目だった。
ハルトは警戒を保ちながら、正直に聞いた。
「……なんで悪魔が、YouTubeなんてやってるんですか」
目の前にいる悪魔はそれはそれは楽しそうにフフと笑った。
「そうですね……まあそれは今度会ったときに話しましょう」
「なんでですか?」
「今話せることは何もないからですよ。ああでも、ワタクシ、人間界で面白いことに目がないんです。それは、YouTubeを始めた理由の1つですね」
マモンは目を輝かせた。その眼差しは、怪物のそれではなく、企画好きのプロデューサーのようだった。
「あなたたちのチャンネル、拝見させていただきました。男女カップルの鉄道旅行チャンネルは、今ノYouTubeでは類を見ません。非常に面白いと感じました。ワタクシのチャンネルがあなた達とコラボしたら、それはきっと面白いことになると、感じた次第です」
「……コラボの目的は、それだけですか」
「少なくとも、あなたたちを傷つけたり、精神を壊したりするつもりは毛頭ありません。ワタクシの強欲は、金や権力ではなく、『面白いもの』に向いているので」
「変な悪魔だ」
「よく言われます」
マモンはにこりと笑った。
ハルトは腕を組んだ。
「……コラボの件は、明日、メンバーに相談してから返事をします。今夜はそれでいいですか」
「もちろんです。ワタクシも強引に決めさせるつもりはありません」
マモンは頷いて、それからふと、思い出したように付け加えた。
「ああ、そうだ。一つだけ、先にお伝えしておきたいことがあります」
「なんですか」
「コラボをしていただける場合、ワタクシはそのお礼として、あなたに一つのことを教えましょう」
「……何を?」
マモンは少し間を置いた。
その間の取り方が、やたらと上手い。
「あなたは今、エクソシストから魔法の手ほどきを受けていますね。そして実際に、既に小さな魔法を扱えるようになっている」
「……なんで知ってるんですか」
「私はなんでも知っています。……そうですね。秋津家がどのような魔法使いの家なのか、あなたの大好きな叔父さん、秋津宗介が何者だったのか、コラボしていただけるのなら、その一部をお教えしましょう」
ハルトの背筋が、ピンと伸びた。
「フフフ、いい反応です。興味を持っていただけたようでなにより。今すぐ教えてしまっては面白くないですからね。今夜はこれ以上は何もないですが」
「……なんで、こんな条件を」
「等価交換です。コラボという機会をいただけるなら、その対価としてお教えします。ただの施しでは、お互いに実りがない。ワタクシ、『強欲』の悪魔ですので、取引には誠実なんです」
マモンはそう言って、軽く両手を広げた。
「まあ、急かしません。じっくりと考えて、明日お仲間と相談してください。……それと」
マモンは窓の方へ歩きながら、ハルトを振り返った。
「その問いは、浅野さんや藤宮さんに聞いてみても面白いかもしれませんよ。ワタクシが答えを知っているということは、彼女たちも、もしかしたら心当たりがあるかもしれない」
「……」
「では、お返事をお待ちしています。良い夜を、秋津ハルトさん」
マモンは一礼すると、窓から夜空へ消えた。
カーテンが静かに揺れて、元の深夜の部屋に戻った。
机の上では、レポートの白紙がまだ待っていた。
ハルトはしばらく、動けなかった。
頭の中で、マモンの言葉がリフレインしている。
『秋津宗介が何者だったのか、その一部をお教えしましょう』
(……おじさん)
ハルトは、ゆっくりと自分の右手を見た。
さっきまで石を浮かせていた、ただの大学生の手。
(なんで、僕は魔法が使えるんだろう)
答えは、出なかった。
レポートの〆切は明後日だ。
でも今夜、それ以上キーボードを叩く気力は、完全に失われていた。
ハルトは最後まで点灯していた机の上の電気を消し、ベッドに横になった。
天井の暗闇を見つめながら、翌朝、アサとヒマリ先輩に何をどう話すか、頭の中で整理し始めた。




