25話 アルフォート。いる?
「おじさんのことを知っているのか⁉」
ハルトは、呼び止めるつもりで無意識に手を伸ばし、アオイの華奢な肩を掴んだ。
その瞬間……。
パンッ――
静かな部屋に、乾いた音が響いた。
まるで目に見えない壁にでもぶつかったかのように、ハルトの手は強烈な力で弾き飛ばされてしまった。
「あっ……」
アオイはハッとして自分の手元を見つめ、またやってしまった、とでも言いたげな後悔の表情を浮かべた。
気まずい沈黙が、二人の間に重くのしかかる。
「……えっ、あ、ああ! そうだよね。女の子の身体に勝手に触るなんて、僕がどうかしてたよ! マジでごめんね」
ハルトは慌てて引きつった笑いを浮かべ、大袈裟に手を振って見せた。
弾かれた手のひらには、微かな痺れが残っている。
「い、いえ……こちらこそ、すいませんでした」
アオイは、すっかりしょんぼりしてしまった。
これでは、おじさん……秋津宗助のことを聞き出すのは難しい。
ハルトは気まずさを払拭するため、自分の机の上に常備してある小箱へと手を伸ばした。
中から取り出したのは、個包装されたチョコレートクッキーだ。
これは、ハルトが普段から勉強や動画編集の作業中に、手軽に栄養補給ができるようにと買い置きしているものである。
「こ、これは?」
差し出されたお菓子を見て、アオイが丸い目を瞬かせた。
「アルフォート。いる?」
「あ、えっと……」
戸惑う彼女に、ハルトはなるべく優しい声で尋ねる。
「チョコレート、嫌い?」
「……ありがとうございます。いただきます」
アオイは遠慮がちにクッキーを受け取り、小さく口に運んだ。
サクッという音とともに、甘い香りが漂う。
最初こそ緊張でこわばっていたアオイの表情だったが、チョコレートの甘さが口の中に広がったのか、今はほんの少しだけ幸せそうに目元を和ませていた。
「それで、おじさんはなんて言ってたんだ?」
ハルトが改めて問いかけると、アオイは思い出したようにコクリと頷き、着ていた服のポケットの中から一つの古い道具を取り出した。
手のひらに乗せられたそれは、鈍い金属の光沢を放っている。
「時計……?」
「『不思議な力で困ったときは、これを使ってくれ』、だそうです。奏介さんからは、魔道具と、聞いています」
魔道具……。
つい最近、アサやヒマリ先輩のおかげでいっぱい関わる機会のある魔法。
それに関連する道具だということは、なんとなくわかる。
だがこの時計は、いったい何に使うというのだろうか。
後で、ヒマリ先輩に確認をとる必要がありそうだ。
ハルトは訝しげにその時計を見つめた。
「では、私はこれで失礼します。また何かありましたら、お呼びに参ります」
ペコリと深く頭を下げたアオイは、逃げるようにハルトの部屋から出て行った。
「あ、ああ。ありがとう……」
取り残されたハルトは、手元の奇妙な時計と閉まったドアを交互に見つめ、小さく息を吐いた。
――3時間後。
時間はちょうどお昼時になっていた。
窓の外を見ると、雲一つない青空からサンサンと太陽の光が降り注ぎ、この街を明るく照らしている。
「はぁ。やっと編集終わった!」
ハルトはパソコンのモニターから目を離し、ぐっと両手を上に伸ばして大きく背伸びをした。バキバキと凝り固まった背中が鳴る。
「収益化を達成してるとはいえ、編集者を雇うほどの収益はまだないから大変だなぁ」
疲労感とともに達成感を噛み締めていると、ハルトの腹の虫がグーグーと情けない鳴き声をあげた。
頭を使ったせいか、空腹感は限界に達している。
「お腹空いたなぁ」
ハルトがそう呟いた瞬間、トントンと控えめなノックの音が扉から聞こえた。
『ハルトさん、ご飯の時間なので、居間にお越しくださいとお母さまからの連絡です』
扉の向こうから聞こえたのは、アオイの凛とした声だった。
「ああ、わかった。今行くよ」
ハルトは自室の扉を開け、階段を降りて居間へと向かった。
居間には、昼食の準備をする母の姿があったが、なぜか先ほどまで一緒にいたはずの客人の姿が見当たらない。
「あれ? アキラさんとチハルさんは?」
「帰ったわよ」
母はエプロンで手を拭きながら、あっさりと答えた。
「ああ、帰ったんだ。お昼ごはん食べて行かないんだね。……あれ?」
ハルトは、母の言葉に納得しかけて、ふと違和感に気づいた。
視線を横に向けると、そこには居間の隅にじっと所在なさげに立っている、同い年のアオイの姿があったからだ。
ハルトと目が合うと、アオイは小首を傾げる。
「どうされましたか?」
「アオイさんはお昼ご飯食べてから帰るの?」
「……えっと……」
アオイは困惑したように瞬きをした。
(あれ? 僕、何かおかしなこと言ったか?)
ハルトが首を傾げていると、台所から母の呆れたようなため息が聞こえてきた。
「何言ってるのハルト。アオイちゃんは今日からこの家に下宿するのよ」
「げ、下宿?」
ハルトの裏返った声が居間に響き渡る。
「はい。私がこれから通う大学が、実家よりもこちらの家から通う方がずっと近いということで……家族で話し合った結果、お言葉に甘えてこの家に下宿させていただくことになりました。お父様とチハルは実家の方が都合がいいので、ここでお世話になるのは私だけです」
アオイは真面目な顔で、丁寧に事情を説明してくれた。
「あ、ああ、そう。……うん? えっ?」
ハルトの脳内は完全にキャパシティを超え、何も理解できていなかった。
「マジでどういうこと?」
「あんた、なんも聞いてなかったのね。1ヵ月前から言ってたじゃない。『この家に親戚の子が住むかもしれない』って」
「ああ、そういえば言ってたね。あれ?」
ハルトは、壁に掛かったカレンダーと、目の前に立つ美少女――アオイの顔を交互に見た。
「マジかよ」
ハルトの呆然とした呟きは、誰の耳にも届くことなく、ただ虚空へと消えていくのであった。




