2話 スマホを回すな! 自分が回れ!
結局、ハルトは本来乗る予定だったふじさん号を見送り、次のロマンスカーを待つ羽目になった。
券売機でハルトは、浅野から特急券代を預かり、彼女の分の特急券も発券する。
「へぇ、これが特急券。なんかリッチな気分ね」
浅野はハルトからもらった特急券をいろんな角度から物珍しそうに眺めている。
「伊勢原までなら数百円で買えるからね。……で、これが次に乗るロマンスカー『EXEα』だよ」
ハルトがホームの電光掲示板から視線を落としたタイミングで入線してきたのは、シルバーとムーンライトグレーの車体に、オレンジのラインが入った車両だ。
「さっきの青いやつと全然違うわね。なんか四角い?」
「ふふっ、甘いな浅野さん。このEXEαはね、『Excellent Express』の略で、観光だけじゃなくてビジネス需要にも対応するために作られた働き者なんだ。派手さはないけど、居住性は抜群で、実はロマンスカーの中で一番座席定員が多いんだよ。まさに『縁の下の力持ち』ってやつさ」
ハルトが早口で解説を始めると、浅野は「ふーん」と興味なさそうに聞き流す。
完全にオタクの独り言扱いだ。
「ま、座れればなんでもいいわ。……あ」
乗車口へと向かってホームを歩いていた浅野が、不意にピタリと足を止めた。
視線の先には、大きな荷物を抱えて立ち止まっているお婆さんの姿があった。
どうやら、荷物が重すぎて階段を上ることができなくて、困っているようだった。
「ちょっと待ってて」
浅野は迷わずお婆さんの元へ駆け寄った。
ハルトは反射的に「えっ」と声を漏らす。
左手首の腕時計に目を落とすと、発車時刻が刻一刻と迫っているのがわかった。
(もうすぐ発車時刻だぞ? 乗り遅れたらまたチケット買い直しだ。面倒なことにならなきゃいいけど……)
ハルトの臭いものに蓋をするような思考とは反対に、浅野は屈託のない笑顔でお婆さんに話しかけている。
「荷物、持ちますよ! どこまでですか? ……あ、階段の上の改札口まで? 任せてください!」
浅野は、自分の身長の半分近い高さがあるキャリーケースの持ち手を掴むと、ふん、と軽々と持ち上げた。
その華奢な腕のどこにそんな筋力が隠されているのかと、ハルトが我が目を疑うほどのスムーズさだった。
彼女はお婆さんの歩調に合わせるようにゆっくりと階段を上っていった。
しばらく様子は見えなかったが、やがてひまわりのような笑顔で階段を駆け下りてハルトのもとに戻ってきた。
その時間はわずか三分程度だった。
「お待たせ! さ、乗りましょう!」
「……え、あ、うん」
戻ってきた浅野は、額に浮いた汗を拭うでもなく、何事もなかったかのようにふわりと髪を払った。
ハルトは少しだけ、バツの悪い気持ちになる。
「……よくやるね。乗り遅れるかもしれないのに」
改札側の電光掲示板を気にしながら呟いたハルトに、浅野は「え?」と不思議そうに目を丸くして言った。
「え? だって、困ってる人がいたら助けるのが普通でしょ?」
浅野はキョトンとして言った。
そこには偽善や計算は一切ない。
道には迷うし、強引だし、人の首を絞めるような女だが、こういう時の行動力だけは、妙に真っ直ぐだった。
(……変なやつ)
ハルトはただの「迷惑な迷子」から、「ちょっと気になる迷惑な迷子」へと、少しだけ彼女に対する認識を改めた。
「ほら、ハルトくん! ドア閉まっちゃうわよ!」
「わ、わかってるよ! 押すな!」
プシュゥ……とドアが閉まる音と共に、ハルトとアサを乗せたロマンスカー「はこね号」は、ゆっくりと新宿駅を後にした。
車内は落ち着いたブラウン系のシートが並び、都会の喧騒を遮断するような静けさに包まれている。
窓の外で新宿のビル群がゆっくりと後ろへ流れていくこの時間が、ハルトの楽しみの一つでもあった。
ハルトは窓際の席に座り、慣れた手つきでスマートフォンのカメラを窓の方へ向けて固定していた。
もちろん、隣には浅野が座っている。
彼女は物珍しそうにキョロキョロしていたが、ふとハルトの手元を覗き込んだ。
「ねぇ、ハルトくん。さっきからずっとカメラ起動してるけど、何を撮ってるのかしら?」
「えっ?」
ハルトの指先がピきりと止まる。
(……あー、やっぱり聞かれたか)
正直、この展開は少しだけ予想していた。
普段の一人旅なら、車窓風景や通過駅の様子を撮影するのはいつものことだ。
今回だって特に隠すつもりはなかった。
ただ――いざ説明しろと言われると、なんとなく気まずい。
「何撮ってるのって聞いてるんだけど?」
ハルトは隣に座っている浅野から目をそらす。
そのおかげか浅野はハルトをじろっと睨みはじめた。
さながら蛇に睨まれた蛙である。
「いや、別に……ちょっと風景を……」
「風景?」
浅野は首をかしげながらハルトに対して追い打ちをかける。
ハルトは徐々に冷静さを失いかけていた。
「記録用というか……趣味、みたいな?」
「ふーん?」
(なんでだろう。嘘は言ってないはずなのに、ものすごく悪いことをしている気分になる)
ハルトはなんとか誤魔化そうとするが、自分の良心の痛みと同級生女子からの度重なる追撃により、怪しさは逆に増す一方だった。
「でも、それずっと撮ってるのよね?」
「まぁ……そうだけど」
「そんなに長時間撮ってどうするの? 容量もったいなくない?」
それはその通りである。
「いや、その……後で、編集して短くするから……」
「編集?」
「……あっ」
とうとうハルトは口を滑らせてしまった。
浅野はじっとハルトの顔を見る。
「ねぇハルトくん。その映像、何に使うの?」
「…………」
「今、すごく分かりやすく黙ったわね。怪しい」
「いや、その、別に怪しいことじゃ……」
ハルトは最後の抵抗を見せるがそれも空しく、浅野は何かひらめいたような顔をした。
「もしかして、ハルトくんってYouTubeとかやってる?」
「えっ!?」
浅野から「Youtube」という言葉が登場したとたん、ハルトは最大級の焦りをみせた。
浅野は面白いものを発見したときのように、にやりと笑う。
「なるほど」
「いや違っ――」
「その慌てっぷりは図星ね。違うかしら?」
もう逃げられない。
そう思ったハルトは、観念したかのようにため息を吐いた。
「ああもう、そうだよ!? 僕はYouTuberだ! 旅行系の動画を、趣味の延長で細々と上げてるんだよ」
「え、もしかしてと思ってあてずっぽうで言ってみたら、ハルトくん本当にYouTuberなの!? ウケる! チャンネル名は? 登録する!」
「いや、あてずっぽうなのかよ!? クッソ、墓穴を掘った……言わなければよかった!」
どうやら、浅野は直感でハルトがYoutuberだと当てたらしい。
まさかの結果にハルトが頭を抱えて悶絶する横で、浅野は楽しそうにスマホを操作し始めている。
「いいから、早くチャンネルを教えなさいよ。登録してあげるって言ってるんだから、光栄に思いなさい」
「いや確かに光栄だよ! チャンネル登録者が一人でも増えるのは嬉しいことだよ! 嬉しいけどさ……!?」
ブツブツと文句を言いながらも、ハルトは渋々と自分のスマホ画面を、隣でうきうきと待ち構えている浅野に向けた。
画面のトップには『銀次』という、2文字しか書かれてない質素なチャンネル名が表示されていた。
「へぇ、チャンネル名、銀次っていうの……。なんていうか、新幹線の中で犯罪してそうね」
「確かに僕も桃鉄好きだけど、そいつと一緒にするのはやめてくれ!」
「はぁ、静かにしてくれない、銀次くん。……で、チャンネル登録者数は、500人? 私のインスタのフォロワーより多いのね。すごいじゃない」
「これはもうツッコまなくていいか……」
ハルトは、何か大きな疲れを感じながら、自分の椅子の背もたれによりかかった。
ハルトと浅野を乗せたロマンスカーはやがて、多摩川を渡り、東京都から神奈川県へと入っていく。
最初はビル群が中心だった窓から見える風景も、やがて住宅地、山沿いのニュータウン、郊外のターミナルと、徐々に様々な風景に移り変わっていく。
Youtubeの話がひとしきり終わると、浅野はハルトと席を交換して、窓の外を流れる景色をそれはそれは目を輝かせながら眺めていた。
海老名を発車して相模川を渡るころには、窓の外の風景には、すっかり首都圏郊外の新緑が映し出されていた。
やがてハルトと浅野を乗せたロマンスカー「はこね号」は、伊勢原駅に到着した。
伊勢原駅に降り立つと、新宿駅よりも少し空気がひんやりとしている。
午前中の下り便ということもあり、ハルトと浅野以外では、これから丹沢の山々にトレッキングに行くであろう登山客の降車が目立っていた。
「さて、ここでお別れだな」
浅野さんの目的地は大山の麓付近だと言っていた。
ここからはバスでの移動になる。
「そうね。……えっと、目的のバス乗り場は北口から出てるようだけど、こっちかしら?」
浅野は手元のスマホマップを見つめながら、自信満々に案内板とは真逆の方向へ歩き出そうとする。
「待て待て待て。そっちは南口! 北口は反対側!」
ハルトは頭痛を覚えながら、思わず彼女の華奢な肩を掴んで引き留めた。
(なぜ地図を見ているのに、目の前にあるデカデカとした看板の文字を見ないんだ? この人の空間認識能力はどうなっているんだ?)
「あれ? そうなの? 地図だとこっちっぽいんだけど」
「スマホを回すな! 自分が回れ! ……はぁ、もう。心配だから、バス乗り場までついてくよ」
「あらそう? ありがと」
悪びれもしない様子で笑う浅野を先導し、階段を上がって北口のバスターミナルへと向かう。
そこには、大山ケーブルカー駅行きのバスを待つ、リュックを背負った登山客や観光客の長い列がすでに出来上がっていた。
「ここだよ。この列に並べば、目的地まで行けるから」
「わかったわ! 完璧ね!」
浅野は言われた通り列の最後尾に収まると、くるりとハルトに向かって振り返った。
正午過ぎの遮るもののない太陽の光が、彼女の屈託のない笑顔を一段と明るく照らし出している。
「はぁ、これで今度こそさよならだな」
ハルトは肩の荷が下りたような、それでいて少しだけ名残惜しいような、奇妙な感覚を覚えた。
これから自分は、当初の予定を変更して別の動画を撮りに行くつもりだ。
彼女とはもう関わることはないだろう。
「そうね、付いてきてくれてありがとう。とても助かったわ」
「そりゃどうも。というか、バス停を降りた後は大丈夫なのか?」
「ええ。バス停までは迎えが来てくれてるわ。帰りに関しても、伊勢原駅まで送ってくれるそうよ」
「そうなのか。一応、気をつけてな、迷子になるなよ」
「失礼ね! もう大丈夫よ!」
浅野さんはふふっと笑うと、小さく手を振った。
「じゃ、また、大学で会いましょ?」
「は……? あ……」
ハルトがその言葉の意味を脳内で処理し、声を返すよりも早く、大きなエンジン音を響かせて路線バスがロータリーに滑り込んできた。
プシューと開いたドアへ向かって、列がゾロゾロと進み始める。
浅野は軽やかなステップでステップを駆け上がり、一度も振り返ることなくバスの奥へと消えていった。
……大学で、会いましょ?
バタン、と重いドアが閉まり、バスがゆっくりと発車していく。
排気ガスの匂いが漂うロータリーに取り残されたハルトは、思考が完全にフリーズしたまま、その場で5分近く一歩も動くことができなかった。




