22話 引き抜き
これは、土樽駅での悪魔との死闘が終了してから、大怪我を負った桑原の見舞いに行くまでの二週間の間に起きた出来事である。
季節は春から初夏へと移ろい、キャンパスを吹き抜ける風も心なしか湿り気を帯び始めている。
ハルトは一人、重い足取りで大学の正門をくぐった。
隣を歩いているはずの、騒がしくも眩しい「相棒」の姿はない 。
戦闘時のリバウンドでアサはまだダウン中のため、彼女は大学を休んでいる。
ハルトは、彼女がいつ戻ってきてもいいように、そして単位を落として彼女が泣きを見ないように、必死で二人分の授業資料を整理する日々を送っていた。
特に、中間テストや中間レポートがある授業も一定数あるため、一度授業を休んだ時の反動が大きいものもある。
校門の前までやってきた。
ふとここで、ハルトの脳内で、とある記憶がよぎった。
(……そういえば、ヒマリ先輩はエクソシストだったけ? ゴールデンウィークに入る手前にアサと一悶着あってから一度も会ってないな……)
「呼びましたか? ハルト君?」
「うわっ!?」
背後から鼓膜を震わせる、鈴を転がすような、けれどどこか体温の低い声。
ハルトは心臓が口から飛び出しそうな勢いで跳ね上がり、情けない声を上げて振り返った。
そこには、理学部の誇る才色兼備の先輩、藤宮ヒマリが立っていた。
いつものように一点の曇りもない完璧な笑みを浮かべているが、レンズの奥にある瞳は、春の陽光を反射して冷たく光っている 。
「おはようございます、ハルト君。そんなに驚かないでください」
「驚かない方が無理ですよ! そもそもどっから出てきたんですか!?」
あまりにも絶妙なタイミングに、ハルトは心の中を読まれたような気がしてドギマギしてしまった。
――心の中。
そこまで考えて、ハルトは今しがた自分が抱いていた疑問を、もう一度頭の中で反芻した。
アサから聞かされた、世界の裏側の事実。
「……ヒマリ先輩」
「はい? どうしましたか、ハルト君?」
意を決して、ハルトは彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「アサから聞いたんですけど、ヒマリ先輩って、エクソシストなんですよね?」
ヒマリは少し驚いた顔をしたあと、ハルトから顔をそらした。
「……そうですか、そこに触れるんですね」
触れる……あんまり話さない方がいい話題なのだろうか。
確かに、アサも自分が魔法を使える人間だということを、むやみやたらに口外しない。
せいぜい自分が魔法使いだと口外したのは、あの日ハルトと契約を交わした時だけだ。
そこまで思い、ハルトの頭の中に一つの疑問が思い浮かんだ。
……どうして彼女は、自分に自身の正体を話したのだろうか?
「いやいや、今はそれよりも……」
「ハルト君」
「はい?」
ヒマリが言葉を遮り、一歩、歩み寄る。
ふわりと、あの鼻腔をくすぐる柔らかい匂いがハルトを包み込んだが、直後に背筋を凍らせるような威圧感が彼を射抜いた 。
「少し案内したい場所があります。私についてきてください」
有無を言わせぬ響きだった。
ハルトは抗うこともできず、彼女の華奢な背中を追うしかなかった。
「ここは……」
一時間目の授業をサボって案内された場所は、大学の裏にある寺院のような場所だった。
鬱蒼と生い茂る木々に隠れるようにして佇む、だいぶ趣のある建物である。
ヒマリは慣れた手つきで入口に立ち、守衛の警備員に社員証のような黒いカードキーを提示した。
重厚な扉が静かに開き、ひんやりとした空気が流れ出す。
「あの……ヒマリ先輩?」
「ここは、教会……悪魔を討伐するエクソシスト達の集団……の施設の一つです」
ヒマリは迷いのない足取りで、地下へと続く石造りの階段を下りていく。
壁に設置された蛍光灯が、彼女の紫色の髪を無機質に照らしている。
「はい?」
「もっとも、ここは予備の訓練施設と臨時部隊のベースキャンプを兼ねた場所。普段はあまり使用されていません。ですが、今の貴方には『ここ』が相応しいでしょう」
ハルトは黙って、ヒマリ先輩の言葉の続きを待った。
「……ハルト君、私の弟子になりませんか?」
「……え?」
唐突すぎる申し出に、ハルトの思考が一瞬にして白く染まった。
弟子になる。それはつまり、彼女と同じ『狩人』の血生臭い世界へ足を踏み入れることを意味しているのではないか。
確かに、ハルトはYouTuber『銀次』として活動するさなか、先の悪魔戦を通じて、相棒であるアサの力にもっと、もっと直接的になりたいと強く願った。
脳裏をよぎったのは、アサの母、浅野みゆきから言われた言葉だ。
「もし魔法を学ぶ時は、アサの……その時の銀次くんの大切な人の、レールになる魔法を学びなさい」
(レールに、なるために……)
だが、今ハルトの目の前にいる存在は、魔法使いではなくエクソシストだ。
アサは、どうにも彼ら――特にヒマリ先輩のことをひどく警戒し、嫌っているようだった。
そもそもの話として、ヒマリ先輩たちエクソシストは、魔法が使えるのだろうか?
「安心してください。私たちエクソシストも、魔法を使うことができます。魔法使いもエクソシストも、取り扱う本質は同じなのですから」
「それは……」
ヒマリは教壇に立つ教師のように、淡々と説き始めた。
「人間の科学力では解明できない『魂』の領域。あるいは、鏡合わせのように存在する異界の事象。それら『この世ならざる力』を、私たちは便宜上『魔法』と定義しています。浅野家のように血筋で継承する者もいれば、私たちのように訓練と契約によって行使する者もいる。ただ、定義の幅が違うだけです」
「じゃ、じゃあ、魔法使いとエクソシストの違いって言うのは?」
「単純に、定義の幅が違うんです。魔法使いは単純に、魔法を使える人たち、エクソシストは、悪魔討伐のエキスパートなんです。浅野家の人間みたいに、魔法使いであってもエクソシストではない者もいるし、逆に私達教会のエクソシストでも、魔法を使えない人間は一定数います」
「なるほど……」
「理解してもらえましたか? それでは、話を戻して、ハルト君、私の弟子になりませんか?」
ヒマリ先輩のまなざしは真剣だ。
「あの……」
「どうして? って聞きたいんですか? それは、あなたが私の弟子になったらおしえてあげましょう。選択を間違えてはいけませんよ。『とりあえず保留』はナシです。今ここで決めてください」
ハルトは言葉に詰まった。
ヒマリの眼差しが、ハルトの心の奥底を覗き込むように強まる。
見透かされているようで恐ろしい。
それでも、ハルトはどうしても確認しなければならないことがあった。
「1つ、聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「僕には、魔法の才能はありません。それは、アサも言ってましたし、自分でもそう思います。なのに、ヒマリ先輩は、僕に弟子になれと言った。才能のない僕に、どうしてそんなことを言うのですか?」
すると、ヒマリは驚いたようにパチリと目を見開き、その後、自らの手でこめかみを押さえながら「はぁ……」とこれみよがしに大きなため息を吐いた。
「あなたに言わなかったのですね。まったくあの子は……」
そしてヒマリは、哀れむような、それでいて獲物を見定めたような目で、じっとハルトを見た。
「ハルト君。あなたには、魔法の才能があります。あなたの家……秋津家はもともと、魔法使いの家系なのですから」
「……え?」
ハルトはひどく混乱した。
自分の家が、魔法使いの家系? 両親も、じいちゃんもばあちゃんも、ごく普通の人間だぞ?
ということは、自分の中にも魔力が眠っているということか?
だとしても、何故、アサはそれを隠した?
そして何故、ヒマリ先輩はそのことを知っているんだ?
「さて、これ以上のことは、あなたの選択次第です。どうしますか?」
ハルトは強烈な恐怖を感じていた。この底知れない先輩の手を取れば、後戻りはできない。
だが同時に、彼女の誘いに乗れば『アサの隣に立つための確かな力』が得られるのではないかという熱い期待が、胸を激しく焦がした。
地下施設の冷たい静寂の中、ハルトの耳に、自分の早鐘を打つ心音だけがやけに大きく響いていた。




