一章エピローグ
――同時刻、上越線水上駅構内にて。
「……終わりましたね」
ヒマリが小さくつぶやくと、携帯を開き何者かに電話をした。
「こちら、上越国境臨時魔導部隊隊長のヒマリ。上越線土樽駅構内にて、エンヴィーの魔力反応消失が確認。これより作戦を終了する。ただちに撤退するように」
すると電話越しからのんびりした男の声が返ってきた。
『……いいんですか?』
「何がです?」
『ターゲットの救出ですよ。僕達は、エクソシストである前に公務員だ。被害者の救護活動も仕事に含まれてるんじゃないのかい?』
「……そうですね。ですが、もう間に合わないでしょう。エンヴィー討伐と同時に、強い魔力の気配を感知しました。この隠す気のない魔力量と状況から推測して、現浅野家当主の、浅野みゆきだと考えられます。今の戦力で、彼女と鉢合わせるわけにはいきません。今すぐ撤退するように」
『へいへい。じゃあ、ヒマリ隊長も、早めに帰ってくるんだよ。後片付けの仕事が待ってるんだから』
そういって、電話は一方的に切られてしまった。
「……まったく」
ヒマリは携帯をしまってゆっくりと立ち上がろうとした。
彼女の頭に強い痛みが走ったのはその瞬間だった。
「うっ……」
痛みは三秒くらい続いた後に、やがて落ち着いてきた。
彼女はゆっくりと深呼吸をする。
「……もう、あまり時間はないのかもしれませんね」
彼女はそう言って、何かを諦めるように、小さく笑った。
悪魔に乗っ取られたナルトchとの戦いが終わり、2週間後。
都内の総合病院、屋上庭園。
5月の爽やかな風が吹き抜けるベンチに、一人の青年が座っていた。
ナルトchこと桑原だ。
浅野みゆきの手によって、悪魔による身体的な侵食は完全に治癒していた。
精密検査の結果も異状なし。
今日、退院が決まったところだ。
「……来てくれて、ありがとう」
桑原は、屋上の入り口に現れた二人――ハルトとアサを見て、力なく笑った。
その顔には、以前のような粘着質な脂っこさや、狂気じみた陰りはなかった。
あるのは、ただの疲弊した、どこにでもいる大学生くらいの年齢の青年の顔だ。
「体は、もう大丈夫なのか?」
「ああ。不思議なくらい、どこも痛くない。といらうか、ゴールデンウィークの前後の記憶が、かなり曖昧で……ただ、2人をすごい傷つけてしまったことだけは覚えているんだ」
悪魔に憑かれた反動だろうか。
あの日、ハルトとアサを夢の世界で攻撃した記憶は、うっすらとしか存在しないらしい。
ただそこには、逃げようのない罪悪感だけが取り残されているようだった。
「……ごめん」
消え入りそうな声だった。
「謝って済むことじゃないのはわかってる。自分は、君たちを殺そうとした。君たちの大切なものを壊そうとした。……警察に突き出されても文句は言えない」
「警察沙汰にはしたいところだが……残念ながらできないな」
ハルトは静かに言った。
一様、前にアサが言ってた、総務省異界管理局に駆けつければ対応はしてくれるかもしれない。
だが、桑原がどのような罪で裁かれるのかわからない以上、怒りに任せて無闇に通報するわけにもいかないのだ。
「今回の件は、説明しようがない。『悪魔に憑かれました』なんて言っても信じてもらえないし。それにこれは……君だけの責任じゃない気もするから」
ハルトは静に嘘を吐いた。
それを知ってか知らずか、桑原は自嘲気味に呟く。
「……優しいんだな、銀次くんは」
桑原はふと、空を見上げた。
「ずっと……妬ましかったんだ」
彼の独白が始まった。
「自分には、何もないから」
「……何もない?」
「ああ。勉強ができるわけでもない、運動神経がいいわけでもない。顔も良くないし、友達もいない。コミュニケーションだって苦手だ。……自分には『鉄道』しかなかった」
桑原は、自分の掌を見つめた。
「鉄道の知識だけは、誰にも負けない自信があった。始発に乗って音を録って、ダイヤを研究して……それが自分のアイデンティティだった。これさえあれば、自分は特別な人間になれると思ってた」
「……」
「でも、YouTubeを始めて気づいたんだ。世の中には、知識があるだけじゃ評価されない世界があるって。……数字がすべてだ。再生数、登録者数。それが伸びない俺は、やっぱり『価値のない人間』なんだって、突きつけられた気がした」
桑原の声が震え始める。
「そんな時に、君たちが現れた」
彼は顔を上げ、ハルトとアサを見た。
「楽しそうだった。本当に、心から楽しそうに動画を撮っていた。知識は自分の方があるはずなのに、君たちの動画には、自分にはない『輝き』があった。……悔しかった」
桑原の目から、涙がこぼれ落ちた。
「君たちが、嫌な奴らだったらよかったのに」
「えっ?」
「君たちが、性格の悪い、金儲け主義の連中だったら……自分は心置きなく軽蔑できた。攻撃できた。……でも、違った」
桑原はアサを見た。
「君は、自分みたいなキモいオタクにも、分け隔てなく接してくれた。『なんで人気ないの?』って聞いてくれた時、悪気がないのがわかったから……余計に惨めだった」
そして、ハルトを見た。
「君は、コラボの時に自分のマウントを全部受け流して、動画でも自分を立ててくれた。……二人とも、めちゃくちゃ『いい人』なんだよ。それを見れば見るほど、自分の小ささが浮き彫りになって……自分がゴミみたいに思えて……どうしようもなく、苦しかったんだ」
それが、悪魔につけ込まれた隙だった。
自分に自信がない。
だから、他者を落とすことでしか自分を保てない。
そんな弱さが、彼を怪物に変えたのだ。
「……情けないよな。勝手に嫉妬して、勝手に自滅して」
桑原は涙を拭い、深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
屋上に、風の音だけが響く。
アサは困ったように眉を下げ、ハルトの方を見た。
ハルトは、ゆっくりと口を開いた。
「……そうだ。君は弱い。何故なら自分の弱さを人のせいにして、僕達を攻撃したから」
「うん」
「でも僕は、君は……ナルトchという人間は、強くないとも思わない」
「……え?」
「だって桑原くんは今回、自分は弱いんだって気づくことができた。多分、本当に弱いやつって、今回みたいなことがあっても、自分の弱さを直視できないやつだと思うし」
「……そうだろうか」
「それに桑原くんは、今回私達のことを知ろうとしてくれたわよね?」
「……そう……?」
「桑原くんは、今回私達のことに嫉妬して、いろいろやってたと思う。でもそれは、私達に興味がなかったらできないことだとも思うの」
「……そうかもな」
「そう、だから……今回、桑原くんが、私達とコラボしてくれたこと自体が、私達も嬉しかったのよ」
桑原は、苦悩してるように見える。
そこに、ハルトは続ける。
「僕だって、弱い。今回だって、アサどころか自分で自分を守ることはできなかったし、嫉妬や他責だって……いっぱいしてきた」
「ハルトくん……?」
アサは不安そうな視線をハルトに向けた。
「でも、桑原くん。君には『何もない』なんてことはないよ」
ハルトは一歩、彼に近づいた。
「あの悪夢の中で、桑原くんが作った『ナイトメア・レイルウェイ』……あれ、すごかったよ」
「……は?」
「めちゃくちゃな世界だったけど、車両のディテールとか、走行音の再現度とか、変態的なこだわりを感じた。あれは、本当に鉄道を愛して、観察し続けてきた人間にしか作れない世界だ」
ハルトは真っ直ぐに桑原の目を見た。
「桑原くんの『好き』という気持ちは、自分だけの宝物だ。それだけは、悪魔だって消せなかったはずだろ?」
桑原はハッとして、目を見開いた。
自分の知識。情熱。
それは、数字や評価のためだけの道具ではなかったはずだ。
最初はただ、電車が好きで、その音を聞くだけでワクワクしていた。あの純粋な気持ち。
「自分の……好き……」
「桑原」
銀次は右手を差し出した。
「また、コラボしてくれないか?」
「……っ!?」
桑原は息を呑んだ。
信じられないという顔で、ハルトを見る。
「無茶だよ……自分は君たちを……」
「今じゃなくていい」
ハルトは首を横に振った。
「僕は、今のナルトchとコラボできるほど強くない。君だって、僕とのコラボに負い目を感じていると思う。だから……」
ハルトの瞳に、強い光が宿る。
「お互い強くなろう。それからコラボしたほうが、きっといろんな人をYouTubeを通じて楽しませることができる」
「……!」
それは、許しではない。
挑戦状だった。
桑原は震える手で、ハルトの手を見つめた。
今の自分に、その手を握る資格はあるのか。
いや。
握らなければ、一生このままではないか。
桑原は歯を食いしばり、涙を堪えて、立ち上がった。
そして、ハルトの手を強く握り返した。
「……やるよ」
声に力が戻る。
「自分は……強くなるよ。もう二度と、自分を卑下したりしない。自分の知識も、オタクな部分も全部武器にして……お前らなんて目じゃないくらい、面白い動画を作ってやるんだ」
桑原は、ハルトと、そしてアサを睨みつけた。
そこにはもう、ドス黒い嫉妬はない。
あるのは、燃えるような闘志だ。
「銀次。アサ。……自分は……俺はここから強くなる。だから、2人が今より成長してなかったら、俺は絶対に許さない」
「……うん」
ハルトはニヤリと笑った。
アサも、挑戦的な笑みを浮かべる。
「もちろん! 受けて立つわ!」
「アサちゃん、次は負けない。……その天然も、計算高い魔法も、全部上回ってやる」
「望むところよ! 返り討ちにしてあげる!」
三人の間に、爽やかな風が吹き抜けた。
それは、泥沼のような因縁が、清々しい競争関係へと昇華された瞬間だった。
「……じゃあ、行くよ。まずは自分の生活の立て直しからしないといけないし」
桑原は背を向け、歩き出した。
その背中は、まだ少し頼りないかもしれない。
けれど、もう俯いてはいなかった。
屋上のドアを開ける直前、彼は一度だけ振り返り、不器用に手を振った。
「……ありがとう」
その言葉を残して、かつての敵は去っていった。
ハルトとアサは、彼の姿が見えなくなるまで見送った。
「……行っちゃったね」
「ああ」
「ねぇハルトくん。桑原くん、強くなるかな?」
「なるさ。だってあいつ、根っからの『鉄オタ』だもん。しつこさは折り紙付きだよ」
ハルトは苦笑いしながら、空を見上げた。
青い空に、一筋の飛行機雲が伸びている。
「さて……僕らも負けてられないな。行こうか、アサ」
「うん! 次の旅が待ってるもんね!」
二人は並んで病院をあとにした。




