21話 機関車とレール
嵐のような閃光が収まり、土樽駅の待合室には奇妙な静寂が戻っていた。
コンクリート造りの寒々しい空間。
ベンチには、穏やかな寝息を立てるアサ。
床には、憑き物が落ちたように眠るナルトch。
そして――。
「ふぅ。この駅、本当に何もないわねぇ。自販機しかないじゃない!」
空中から舞い降りた美女、浅野みゆきは、呆れたように駅舎の中を見回した。
彼女は指をパチンと鳴らすと、何もない空間から湯気の立つティーセットと、優雅な椅子を出現させた。
殺風景な無人駅が、一瞬にして貴族のサロンのような雰囲気に変わる。
「座りなさい、少年。ここは空気が美味しいわね。……せっかくだし、少しお話をしていきましょう」
「……わ、わかりました」
ハルトは促されるまま、出現した椅子に腰掛けた。
ふかふかだ。
グリーン車のシートよりも座り心地がいい。
目の前に置かれたティーカップからは、極上の紅茶の香りが漂っている。
「いただきます……」
一口飲むと、張り詰めていた神経が少しだけ緩んだ。
だが、ハルトの視線はすぐに、眠っているアサの方へと向く。
「この子が心配?」
「……はい」
みゆきはふぅ~と息を吐いた。
「この子は、今回だいぶ無理をした。完全回復に、早くて1週間、まぁ、一ヶ月は見込まないといけないかもね」
「……はい」
ハルトは、うつむき、ゆかを睨んだ。
その目頭には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「……よほど、悔しかったのね」
みゆきの言葉に、コクリと小さく頷くことしかできなかった。
みゆきは、静に紅茶を口に運ぶ。
「僕が……僕が、もっと強ければ、アサを守れた。いやそもそも、最初からこんな秘境駅でコラボ撮影なんて怪しいって気づいていれば、アサをこんな危険な目に合わせることはなかった」
ハルトは言葉を絞り出す。
今にもハルトの涙のダムは、決壊しそうだった。
「全部……全部……僕の……せいだ」
ハルトはぐしゃぐしゃの顔のまま、顔を上げた。
「アサが傷ついて、血を流して……殺されそうになっているのに。僕はただ、檻の中で叫んでいるだけでした。魔法も使えない、戦う力もない。僕は……足手まといでした」
あの時。
ナルトの攻撃でアサが吹き飛ばされた時。
ハルトの心臓は恐怖で止まりそうだった。
もし、あの一撃が当たりどころが悪かったら? もし、アサが立ち上がれなかったら?
自分はただ、その光景を見ていることしかできなかっただろう。
「みゆきさん……いや、浅野さん」
「別におばさんでいいわよ。これから家族になるかもしれないんだし」
「……ハハハ。御冗談を」
ハルトは真剣な眼差しで、大魔女を見据えた。
「教えてください。僕のようなただの人間が……いざという時に、アサを守るにはどうしたらいいんですか?」
魔法を教えてくれとは言わない。自分に才能がないことくらいわかっている。
だが、何か方法があるなら。
どんなに泥臭い方法でも構わない。
アサの隣に立つ資格が欲しい。
みゆきは紅茶の手を止め、ハルトをじっと見つめ返した。
その瞳の奥には、底知れぬ深淵が広がっている。
数秒の沈黙。
やがて、彼女は静かに口を開いた。
「……あなた、鉄道は好き?」
「え? は、はい。好きですけど」
「じゃあ、機関車とレール、どっちが偉いと思う?」
唐突な問いかけに、ハルトは戸惑った。
だが、鉄道オタクとしての脳が反射的に答えを導き出す。
「……どっちが偉いとかは、ありません。強力なエンジンを持つ機関車があっても、レールがなければ走れませんし、レールだけあっても、動力がなければただの鉄の道です。両方揃って初めて『鉄道』として機能します」
「そう。その通りよ」
みゆきは満足げに頷き、眠っているアサを指差した。
「あの子はね、機関車なの。それも、とびきり出力が高くて、でもブレーキが壊れかけた暴走機関車。放っておけば、どこへ突っ走るかわからないし、最悪の場合、脱線して自滅するわ」
「……方向音痴ですしね」
「ええ。物理的にも、運命的にもね」
みゆきは立ち上がり、ハルトの目の前まで歩み寄った。
そして、人差し指で銀次の胸をトン、と突いた。
「あなたは、レールになりなさい」
「……レール?」
「そう。あの子が持っている莫大なエネルギーを、正しい方向へ導いてあげるの。あの子が迷わないように、脱線しないように、あなたが強固な路盤となって支えてあげるのよ」
みゆきは優しく微笑んだ。
「戦う力なんて、あの子自身が持っているわ。物理的な敵なら、あの子がぶっ飛ばせばいい。でもね、少年。魔法使いにとって一番怖いのは『迷い』と『孤独』なの」
「迷いと、孤独……」
「精神が揺らげば、魔法は弱くなる。自分が何のために戦っているのかわからなくなれば、魔女はいずれ自滅するか、悪魔に飲まれるわ。……今回の彼のようにね」
みゆきは視線をナルトchに向けた後、再びハルトに戻した。
「でも、あの子にはあなたがいた。『アサの魔法は鉄道を汚さない』『アサの想いは間違ってない』……あなたがそうやって肯定して、道を示してくれたから、あの子は迷わずにフルパワーを出せたのよ」
ハルトはハッとした。
あの時、自分が叫んだ言葉。
それが、アサの「ブレーキ」を外し、同時に「目的地」を与えていたのだとしたら。
「守るというのは、盾になって傷つくことだけじゃないわ。……あの子が安心して背中を預けられる『帰る場所』になること。それが、魔法を持たないあなたにしかできない、最強の守り方よ」
みゆきが指を離すと、ハルトの胸の奥がじんわりと温かくなった気がした。
無力感に苛まれていた心が少しだけ晴れた。
でもあの時、もしもアサがいなくなってしまったら。
そんな想いが、まだハルトの頭の中で錯綜していた。
「どうしても魔法が学びたいなら……そうね……信頼できる師を見つけなさい」
「師……ですか?」
「ええ。アサや私からはあなたに魔法を教えてあげることはできない。特にアサは、あなたが魔法を覚えたいと言ったら、必ず心配させてしまう」
「……そうですよね」
「でも、あなたの師は、意外とあなたの身近な場所にいる」
「……え?」
「フフ、まあ、師に関しては、ゆっくりと見つけていけばいいわ。それと……」
「はい……」
「もしハルトくんが魔法を学ぶ時は、アサの……その時のハルトくんの大切な人の、レールになる魔法を学びなさい」
みゆきはウィンクすると、再び椅子に戻った。
「さて、真面目な話はこれくらいにして。……ねぇ、動画の続きはどうなるの? 私、あの『方向音痴と行くシリーズ』大好きなのよねぇ。特にアサが改札で引っかかるシーンとか、爆笑しちゃったわ」
「……あ、やっぱり見てたんですね」
「当然よ。チャンネル登録もしてるし、高評価も押してるわ。……あ、でも私の出番も作ってくれない? 『美魔女降臨!』みたいなサムネで」
「いや、キャラ濃すぎるんで勘弁してください……」
そんな他愛もない話をしていると、ベンチの方で身じろぎする音がした。
「……んぅ……」
アサがゆっくりと目を開ける。
「……あれ? ここ……土樽駅? 私……」
「アサ!」
ハルトは椅子から立ち上がり、アサの元へ駆け寄った。
アサはぼんやりとした目で銀次を見上げ、それから安心したようにふにゃりと笑った。
「……おはよ、ハルトくん。……私、勝った?」
「ああ。大勝利だ。お前はすごいよ」
「へへ……よかった……。なんか、ハルトくんの声が聞こえた気がして……それで、頑張れたの……」
そう言うと、アサは再びハルトの胸に頭を預けた。
まだ眠いようだ。
ハルトは、その温もりを感じながら、みゆきの方を見た。
みゆきは「やれやれ」といった顔で肩をすくめると、立ち上がった。
「さて、お楽しみは家に帰ってからにしなさい。……転移魔法、準備完了よ」
みゆきが杖を一振りすると、待合室の床に巨大な魔法陣が展開された。
幾何学模様の光が、駅舎の薄暗さを払拭する。
「さぁ、掴まって。一瞬で東京までひとっ飛びよ」
「あの、ナルトくんも一緒ですか?」
「もちろん。彼には少し『お灸』を据えないといけないし、その後でちゃんと更生させなきゃね。……ま、それもあなた達の仕事になりそうだけど」
みゆきは意味深に笑うと、魔法陣を発動させた。
「――テレポート!」
視界が光に包まれる。
土樽駅の冷たい空気が遠ざかっていく。
ハルトは、腕の中のアサをしっかりと抱きしめた。
もう、迷わない。
彼女がどこへ行こうとも、どんなに暴走しようとも。
必ず、目的地まで導いてみせる。
それが――『銀次』という役割だから。
光の彼方へ消えゆく意識の中で、ハルトは新たな決意を胸に刻んだ。




