18話 救済のダイヤグラム
アサの啖呵と共に放たれた光が、豪華列車の車内を白く染め上げた。
拘束していた黒い手が一瞬で霧散し、ハルトの自由が戻る。
「……ッ、いけるか!?」
ハルトは期待を込めて叫んだ。
アサの魔法は幸せを呼ぶことを、ハルトはよく知っていた。
この悪夢の世界ごと、彼を浄化できるかもしれない。
そんな期待をハルトは抱くのも無理はなかった。
だが。
「……ふふ、ふはははは!!」
光が収まった後、そこに立っていたナルト・エンヴィーは、傷つくどころか、愉悦に歪んだ笑みを浮かべていた。
「惜しいなぁ、アサちゃん。ここは現実じゃない。俺の精神世界、『ナイトメア・レイルウェイ』だ。ここでは俺の『嫉妬』こそがエネルギー源。お前のそのキラキラした『幸福』の魔力なんて……ただの美味しい餌でしかないんだよ!」
ナルトが大きく息を吸い込むと、空間に残っていたアサの光が、黒いもやに変換されて飲み込まれていく。
「なっ……私の魔力が、食べられた!?」
「ごちそうさま。……さあ、お返しに美しい音楽でも流そうかな!!」
ナルトが指を鳴らす。
キィィィィィィィン!!
耳をつんざくようなブレーキ音が空間全体に響き渡った。
「うぐぁっ!?」
「きゃあぁっ!!」
ハルトとアサはその場にうずくまった。
ただの音ではない。鼓膜を通り越して、脳に直接「止まれ」という命令を書き込まれるような、強烈な金縛りだ。
「この世界では、俺が信号機であり、指令室だ。俺が『止まれ』と言えば、心臓の鼓動だって止められるんだぜ」
ナルトがハサミを振り上げる。
アサは歯を食いしばり、震える足で無理やり立ち上がった。
「誰が……止まるもんですか!」
「アサ、無理するな!」
「ハルトくんは下がってて! 私がなんとかする!」
アサはドレスの裾を翻し、ナルトに向かって駆けた。
彼女の身体能力は魔法少女補正で強化されている。ハサミの一撃を紙一重でかわし、懐に飛び込む。
「フンッ!!」
彼女の拳が光を帯び、ナルトの腹部に叩き込まれた。
ドォン!
鈍い音がして、ナルトの体が後方へ吹き飛ぶ――はずだった。
「……え?」
アサの拳は、ナルトの腹にめり込んでいた。
だが、そこには肉体の感触がない。まるで泥沼を殴ったかのように、拳が黒い影にズブズブと飲み込まれていく。
「痛くないなぁ。言っただろ? この世界では俺がルールなんだぜ! そんな弱々しいパンチじゃ、この世界の王にはなれねーなー!?」
ナルトの腹部から、無数の黒い棘が生えた。
「しまっ――」
「遅い!!」
ズズズズズ……!
アサの前後左右の空間から、見えない壁が迫ってきた。
それは、通勤ラッシュの圧迫感を物理的な攻撃力に変換した、圧殺の檻だ。
「くっ、うぅ……!」
アサが悲鳴を上げる。
見えない壁に押しつぶされ、骨がきしむ音がする。
「アサ!!」
ハルトは金縛りを振りほどこうと必死にもがいた。
だが、体は鉛のように重い。
彼はただの人間だ。この超常的な空間で、物理法則を無視した力には抗えない。
それでも、彼の「鉄オタ脳」だけは高速で回転していた。
(あいつの攻撃……この空間、どことなくあいつの鉄道知識に基づいて形成されている。まるでこの世界が1つの鉄道という存在のような……)
ハルトは必死に観察した。
ナルトの背後に浮かぶ、歪んだ時計。
そして、床に走る光のライン。
それは、鉄道の「ダイヤグラム」のように見えた。
「アサ! 右に飛べ!」
「なんで……」
「いいから、右へ飛べ!」
ハルトの指示が飛ぶ。
その直後、ナルトの背後の時計の針がカチリと動いた。
アサを押していた壁の圧力が、一瞬だけふっと弱まる。
アサはその隙を見逃さなかった。
渾身の力で壁を蹴り、右方向へ転がるように脱出する。
「はぁ、はぁ……! さっすがね人間GPS!」
「チッ……あいつ底辺YouTuberのゴミ人間のくせに……気づきやがったか」
ナルトが忌々しそうにハルトを睨んだ。
「やっぱり目障りだね、銀次君。君は知識がある分、厄介だ。……隔離させてもらおうか」
ナルトが床を足で踏み抜いた。
ガタンッ!
ハルトの足元の床が抜け落ちた。
「うわぁぁぁっ!?」
「ハルトくん!!」
ハルトの体が真っ逆さまに闇の中へ落ちていく。
かろうじて下の階層に張られていた『網棚』のような場所に引っかかったが、周囲はたちまち透明な強固な壁で覆われ、絶対に出られない牢獄と化してしまった。
「ハルトくん!」
「僕は平気だ! それより自分の身を守れ!」
アサとハルトは分断された。
ナルトはニヤリと笑い、アサに向き直る。
「さて、これで邪魔者はいなくなった。……ここからは『終電後の点検作業』といこうか」
ナルトの姿が変化する。
背中から、クレーンのような巨大な機械アームが4本生えてきた。
それは、線路の砕石を突き固める保守用重機「マルチプルタイタンパー」の鉄の爪。
見るからに重く、凶悪な殺戮兵器だ。
「叩き潰してやるよ!」
ヒュンッ!
風を裂き、巨大な鉄の爪が頭上から襲いかかる。
アサは必死にステップを踏んで避けるが、今度は死角を補い、的確な指示を出してくれるハルトがいない。
攻撃のパターンが読めず、動きが後手に回る。
「きゃぁっ!」
回避がほんの僅かに遅れ、無骨な爪がアサの肩を深く掠めた。
布の裂ける音とともに、彼女の白い肌に、生々しい赤い筋が走る。
赤い 赤い 血
生きていて滅多に見ることのない、圧倒的な暴力と絶望の景色。
それをガラス越しに直視したハルトは、自分の肩をえぐられたかのように錯覚し、強い痛みにこらえるように頭を押さえた。
「……ナルト、お前っ!」
「雑魚は黙っとけよ」
「ぐあぁ!?」
透明な壁に電流が走り、ハルトの体を焼く。
「ハハハ! いい気味だよな。そこで自分の大事な女が壊れていくのを、おとなしく特等席で見ていろよ。どうせお前には、何もできないんだしよぉー!?」
「痛い……!」
「さて、逃げ回るだけか? 魔法少女さんよー!?」
狂気に満ちた追撃は止まらない。
鉄の爪が床を無惨に砕き、飛び散る破片が散弾銃のようにアサを襲う。彼女は完全に防戦一方だった。
彼女がどれほどのポテンシャルを秘めた魔法使いなのか、ハルトは知らない。しかし、防戦に必死なアサの様子を見ていると、もしかしたら彼女には、他者と命のやり取りをするような戦闘経験があまりないのかもしれない。
もしくは、今回の相手……ナルト・エンヴィーの執念が、自分たちの想定を遥かに超えて強すぎるのか。
相手は、彼女の『幸せの魔法』そのものを無効化、あるいは吸収してしまう最悪の属性を持っている。
(どうすれば……どうすればいいの……)
アサは荒い息を吐きながら、ついに車両の隅へと追い詰められた。
度重なる回避と、魔力を吸われたことによる影響で、体力も魔力も限界に近いのは誰の目にも明らかだった。
「どうした? もう終わりか? 再生数はどうした? もっと俺を楽しませてくれよ!」
ナルトの嘲笑う声だけが、この気味の悪い空間を支配した。




