16話 片道切符
「……土樽?」
大学の食堂。
ハルトは、送られてきたメールの中身を見て、素っ頓狂な声を上げた。
差出人は、つい最近コラボしたばかりのナルトch。
メールに書かれていた情報は、丁寧な詫び状と、二枚の切符のリンクだった。
「どこよそれ? 樽の中に土が入ってるのかしら?」
「違うよ。新潟県にある、上越線の駅だよ。……しかも、ただの駅じゃない」
ハルトはゴクリと唾を飲み込んだ。
「上越線の『国境越え区間』にある、谷川岳の麓の無人駅だ。隣の『土合駅』はモグラ駅として有名だけど、この土樽駅も負けず劣らずの『秘境駅』なんだよ。昔は信号場だった場所で、周りには山と川しかない」
「へぇ〜! 秘境駅! なんか冒険っぽくていいじゃない!」
アサは無邪気に目を輝かせる。
ハルトは手紙に目を落とした。
『先日はコラボをしていただき、誠にありがとうございました。あの時の非礼を詫びたく、また、僕のとっておきの撮影スポットである土樽駅で、改めてコラボ撮影をさせていただけないでしょうか。最高のロケーションを用意して待っています』
文面は殊勝だ。
ご丁寧に、切符も向こうが予約購入してくれたようである。
送られてきたQRコードを、JRの指定席券売機に読み込むと、土樽行きの二枚の乗車券が出てきたというわけだ。
この間のコラボ動画のお礼を兼ねてだろうか?
それとも……。
(……いや、考えすぎか。鉄道好きに悪いやつはいない、って信じたいしな)
「よし、行こうアサ! 上越線の山越えは、鉄オタにとっても聖地巡礼みたいなもんだからな!」
「それじゃあ帰ったら準備ね!」
ハルトの不安は、アサの明るい笑顔と、鉄道旅への期待感にかき消された。
***
早朝の上野駅。
二人は高崎線に乗り込み、北を目指した。
都会のビル群が徐々に住宅地に変わり、やがて関東平野の広い空へと移り変わる。
高崎駅で上越線の普通列車に乗り換え、さらに北上。
渋川を過ぎると、車窓には利根川の急流と、迫りくる山々が映し出される。
「うわぁ、山だ! 川だ! 日本の原風景って感じね!」
「だろ? ここからが上越線の本番だ。勾配がきついから、昔のSLにとっては最大の難所だったんだよ」
そして、列車は水上駅に到着した。
ここで、さらに長岡行きの列車に乗り換える。
ホームに待っていたのは、E129系という新しい車両だ。淡いピンクと黄色のラインが入っている。
「ここから先は、列車の本数がガクッと減る閑散区間だ。アサ、心の準備はいいか?」
「もちろんよ。秘境なんてどんとこい!」
列車が動き出す。
水上を出ると、すぐに景色は険しくなる。
列車は順番に、湯檜曽、土合と停車していく。
そして、山の中へ中へと吸い込まれていった。
「ねぇハルトくん。気のせいかもしれないけれど、なんかずっとトンネルじゃないかしら?」
「そう! ここが有名な新清水トンネルだ!」
ハルトが興奮気味に解説を始める。
「上越線の下り線は、勾配を緩くするために山の深いところを掘り進んだトンネルを通るんだ。一方、上り線はループ線と言って、山の中をぐるりと一周して高度を稼ぐ構造になってる。まさに鉄道技術の執念が詰まった区間なんだよ!」
「ループ線……ジェットコースターみたいだわ」
「ま、このトンネルの中じゃ景色は見えないけどな。……でも、この暗闇こそが、国境を越える儀式みたいなもんなんだ」
ゴーッ……。
暗いトンネルの中に、走行音が反響する。
長い長い闇。
スマホの電波も途切れがちになる。
アサはふと、窓ガラスに映る自分たちの顔を見て、背筋が寒くなるのを感じた。
(……なんか、変な感じ)
ただのトンネルではないような。
まるで、別の世界へ続く筒の中を通っているような、奇妙な浮遊感。
「……そろそろ抜けるぞ」
ハルトの声で、アサは我に返った。
白い光が差し込む。
「国境の長いトンネルを抜けると……」
川端康成の小説の一節をハルトが口ずさむ。
視界が開けた瞬間、そこには圧倒的な緑と、残雪の山々が広がっていた。
「わぁっ……!」
「着いたぞ。ここが『土樽駅』だ」
***
プシュゥ……。
ドアが開き、二人はホームに降り立った。
ひんやりとした空気が肌を刺す。5月だというのに、ここにはまだ冬の気配が残っていた。
列車が去っていくと、あとに残ったのは静寂だけだった。
いや、正確には静寂ではない。
すぐ近くを走る関越自動車道の車の音が、ゴォォォと遠雷のように響いている。
だが、人の気配は全くない。
「……誰もいないね」
「無人駅だからな。それにしても、ナルト君の姿が見当たらないな」
ホームは、かつて長い編成の列車が停まった名残で無駄に広い。
周りは高い山に囲まれ、駅前には数軒の廃屋のような建物があるだけだ。
「とりあえず、駅舎の中で待とうか」
二人は、コンクリート造りの小さな待合室に入った。
中は薄暗く、木製のベンチがポツンと置かれているだけだ。
壁には、古い時刻表と、色褪せた観光ポスターが貼られている。
「……ねぇハルトくん」
「ん?」
「ここ、なんか変だわ」
アサが自分の二の腕をさすりながら言った。
「寒いっていうか……空気が重い。それに、さっきから魔法の通りが悪い気がするの」
「魔法の通り?」
「うん。私の中の魔力が、何かに反応しているみたいな……」
ハルトは苦笑した。
「またまた。秘境駅の雰囲気に飲まれてるだけだって。……あ、桑原君にメッセージ送ってみるか」
ハルトがスマホを取り出そうとした時だった。
急激な眠気が、波のように押し寄せてきた。
「……あれ?」
スマホを持つ手が重い。
視界がぐにゃりと歪む。
「……ハル、ト……くん?」
隣のアサも、ふらりと体を揺らしていた。
ベンチに座り込むアサ。その瞼が、抗えない力で閉じられていく。
(なんだ……これ……。ただの眠気じゃ……ない……)
ハルトは必死に意識を保とうとした。
これは罠だ。
頭の隅で警報が鳴り響く。
だが、体は鉛のように重く、指一本動かせない。
待合室の空気が、紫色に変わっていくような錯覚。
甘く、そして腐ったような花の香り。
「……ようこそ」
薄れゆく意識の中で、誰かの声が聞こえた。
それはここで待ち合わせをしているあの人の声のようでいて、もっと別の、おぞましい何かの響きを含んでいた。
「ここからは、俺の時間だ」
ハルトの体がベンチに崩れ落ちる。
アサの頭が、ハルトの肩にもたれかかる。
二人の意識は、土樽駅という現実の座標を離れ、深く暗い底なし沼へと沈んでいった。




