14話 みさきマグロ切符
「おはようございます、銀次です。今朝は品川駅に来ています」
カメラに向かって元気よく挨拶するハルトの横で、魔法少女のアサはきょろきょろと忙しなく辺りを見回していた。
「アサよ。銀次くん、今日は何に乗るの?」
「今日乗る電車はこちら。路地裏の超特急で有名な京急電鉄の快特電車です!」
ハルトが指差した先には、艶やかな赤い車体に白い帯を巻いた列車が滑り込んできていた。
「この赤い電車、何回か見たことあるわね……。横浜に行く時に乗ったことがあるわ」
「そう。京急線は、ここ品川駅から横浜を経由して、三浦半島の久里浜の方まで伸びているんだ」
「あれ、あのオレンジの電車、この間も乗らなかったかしら? あれも京急の電車なの?」
反対側のホームに停まっている車両を見つけ、アサが首を傾げる。
「いいところに気づいたね。あれは京成線の車両だ」
「京成線って、確かこの間成田空港に行くのに乗ったわよね?」
「うん。京急線は、都営浅草線を経由して、京成線の成田空港まで直通してるんだ」
「ふーん。それより、早く電車に乗らない? 私、早くみさきマグロ丼が食べたいわ」
「全くアサのやつ……。まあでもちょうど次乗る電車が、快特三崎口行きだね」
二人が車内に足を踏み入れると、そこには通勤電車とは一線を画す空間が広がっていた。
「すごい! とても豪華な車内ね! これ、特急券とかいらないのかしら?」
「これは2100形と言って、京急線の中でもかなり豪華な列車なんだ。座席は転換クロスシートになっていて、行楽客用に快適な作りになってるけど、追加料金がいらないのが特徴なんだよね」
進行方向に向かって座れるふかふかの座席に腰を下ろすと、列車は品川駅を滑り出す。やがてモーターが唸りを上げ、景色が飛ぶような速さで後ろへと流れていった。
「おお! これすごい速いわね、銀次くん」
「そう。京急線の特徴は、その圧倒的な加速の速さと最高時速120kmで路地裏を爆走するその俊足ぶりなんだ!」
住宅街の軒先をかすめるように疾走する車窓に、アサは目を輝かせた。
やがて列車は終点の三崎口駅に到着した。
一度カメラを止めて、YouTuber『銀次』のモードを停止させる。
「ようやく着いたわね! マグロの匂いがするわ!」
ホームに降り立ち、大きく深呼吸をするアサ。
「いや、駅前はまだ畑だぞ。……さて、今回の依頼人の場所は『三浦海岸』なんだよね?」
「ええそうよ。だけど、依頼まで少し時間があるわね……」
「そしたら、三崎港の方まで観光に行かない? せっかくこの切符があるんだし」
ハルトが手にした『みさきまぐろきっぷ』をヒラヒラと揺らす。
「みさきマグロきっぷね! いいわ。行きましょう!」
「よし。まずはバスに乗って、三崎港まで行って『ミサキドーナツ』を食べよう」
「ドーナツ……今すぐ食べに行くわ!」
バスに揺られて辿り着いた港町は、潮の香りと活気に満ちていた。
おしゃれな店構えのドーナツ屋で色とりどりのドーナツを買い込み、海を見ながらかぶりつく。
「ん〜! ふわふわで美味しい! 魔法の味がする~!」
「お前が言うとややこしいな。……よし、腹ごしらえも済んだし、バスで戻って依頼人のもとへ向かおう」
再びバスに乗り、約束の場所である三浦海岸へと向かった二人は、砂浜で待っていた少しやせ気味の初老の男性に声をかけた。
「二人とも待ってたよ! ようこそ、三浦海岸へ」
「こんにちは大野さん! 本日の依頼は『海釣り』でしたよね?」
「そうなんだよ。実は今度、孫の誕生日があってな。『じっちゃんの釣ったデカイ鯛が食べたい』って言われてるんだが……」
「釣れないんですか?」
「ああ。最近どうもスランプでな。当たりすらないんだ。何か少しでも変わればいいなと思ってまじない屋さんに依頼したんだよ。まあ、ゲンカツギみたいなものかな」
「任せてください! 大漁間違いなしですよ!」
アサが力強く胸を叩き、一行は釣り船に乗り込んで沖へと出た。
しかし、いざ糸を垂らしてみたものの、一向に浮きが沈む気配はない。
「……おかしいな。魚群探知機には反応があるんだが」
船長の大野が首を傾げながらモニターを指差す。
確かに画面には赤い影が無数に映っているのに、まったく食いついてこないのだ。
「ねぇハルトくん。なんか、魚たちが怖がって逃げてる気がしないかしら?」
船縁から海面を覗き込んでいたアサが、不思議そうに呟いた。
「怖がってる? 天敵でもいるのかな」
ハルトも隣で海面を見つめる。その時だった。
——ブィィィィン……。
頭上から、羽虫の羽音を何十倍にもしたような人工的なモーター音が響いてきた。
見上げると、小型の黒いドローンが海面すれすれをホバリングしている。
その下部からは、一本の細いワイヤーが海中へと伸びていた。
「なんだあれ? 誰かが空撮でもしてるのか?」
「ハルトくん、違うわ。あのワイヤーの先から、すごく嫌な『波』が出てる。魚たちはあれから逃げてるのよ」
アサの魔法少女としての感覚が、水中の異変を捉えていた。
「嫌な波……超音波か!」
ハルトは即座にスマホを取り出し、検索をかける。
「最近、密漁グループがハイテクな水中ソナーを使って、魚を特定の網に追い込む手口があるってニュースで見たことがある。もしかして、あれもその類かもしれない」
「じゃあ、あいつのせいで大野さんのお魚が釣れないのね! 許せないわ、私が魔法でドカンと……!」
アサがドローンに向かって手を伸ばそうとするのを、ハルトは慌てて手で制した。
「待て待て! ここでドローンを壊す魔法なんて使ったら、密漁者どころか魚も完全に散っちゃうし、なにより大野さんの船が危ない!」
力任せに破壊するのではなく、理詰めで対処するべきだ。
ハルトは頭をフル回転させる。
「アサ、あのソナーから出ている音の波だけを、別の音で打ち消すような魔法は使えないか? ノイズキャンセリングイヤホンみたいな原理で」
「音を相殺する魔法? ……うん、それくらいなら簡単よ!」
意図を理解したアサは手を船の外に伸ばし、海面に向けて小さく呪文を唱えた。
「『サイレント・メロディ』!」
彼女の右手から放たれた淡い光の雫が水面に落ちると、目に見えない小さな防音のドームがソナーの周囲を包み込んだ。
瞬間、海中に響いていた不快な超音波がパタリと途絶える。
「よし、これでノイズは遮断されたはずだ」
「あ! 見てハルトくん、魚たちが戻ってきたわ!」
アサが指差す先、魚群探知機のモニターに映る赤い影が、再び船の下へと集まり始めていた。
「おおっ! 来た来た来たぁ!」
大野の持っていた竿が、突然大きくしなりを見せる。
リールが激しい音を立てて回転し、太い糸がピンと張った。
「すごい引きだ! これはデカいぞ!」
大野が必死にリールを巻き上げる。
数分の格闘の末、バシャッと海面を割って現れたのは、太陽の光を浴びて見事な桜色に輝く、巨大な真鯛だった。
「やったあ! 大漁ね!」
アサが無邪気に飛び跳ねて喜ぶ。
「ははは! お前さんたちのまじないのおかげで、孫に最高の誕生日プレゼントができそうだよ!」
大野は満面の笑みで鯛を網で掬い上げた。
遠くでホバリングしていたドローンは、目当ての魚群をコントロールできなくなったと判断したのか、不自然な動きをした後、くるりと向きを変えてどこかへ飛び去っていった。
「しっかしなぁ。あのドローンは迷惑だ。密漁の可能性もあるし、あとで漁協に連絡しないとなぁ」
顔をしかめる大野を横目に、ハルトが安堵の息をつく。
「ねえハルトくん! お仕事も無事に終わったし、そろそろアレの時間じゃない?」
アサが期待に満ちた目で銀次を見つめる。
「ああ、わかってるよ。みさきまぐろきっぷのメインイベント……」
「みさきマグロ丼!!」
「よし、港に戻ったら、三崎港の方に移動して、美味しいマグロを食べに行こうか。京急が誇る極上の旅は、まだまだこれからだからね」
心地よい潮風に吹かれながら、二人の乗った釣り船は、大漁の鯛とともに意気揚々と三崎港への帰路についた。
***
一方その頃。
三浦海岸を見下ろす高台の茂みの中。
「クソッ……! なんで釣れるんだよ!」
ナルトchこと桑原は、ドローンのコントローラーを地面に叩きつけた。
モニターには、歓喜するアサと銀次の姿が映っていた。
せっかく、魚を散らすためにドローンで特注のソナーを使っていたのに。
「あの女……何かしたな? 風が急に吹いたり、魚が急に食いついたり……」
桑原は爪を噛んだ。
物理的な妨害は失敗した。
SNSに流した彼らの悪評のデマも、今のところまだ彼らの勢いを止めるには至っていない。
「もっとだ……もっと絶望させないと……」
ブワッ。
桑原の影が、夕日とは逆方向に長く伸びた。
その影の形は、もはや人のそれではなく、角の生えた獣のように見えた。
「……さらに力をお貸ししましょうか?」
脳内に響く声。
桑原は、ニタニタと笑いながらその声を肯定した。




