118話 ありがとう
「ハルト君!」
ハルト、ミストの攻撃からヒマリを庇う。
「くっ……!」
腕に力を込め、迎え撃とうとした――その時だった。
「貴様らそこまでだ!」
ミストは勢いよく声の方向を向いた。
つられてハルトとヒマリも上を見上げる。
「ミスト、貴様誰の許しを得て、この者達を攻撃している」
「カイト! なぜおまえがここに」
「聞いているのは俺様の方だ!」
カイトの大声にミストは怯む。
「もう一度問おうミスト。貴様は何故その者達に攻撃を仕掛けておる」
ミストは屈辱を感じながらゆっくりと頭を垂れ、膝まづいた。
「申し訳ありませんカイト様。私は、マダー様救出のため、障害となりうる者達の排除を行っていた次第でございます」
「ほう、マダーの救出か。あのような残忍な者にも、未だ忠義を尽くす者がおるとは。……これは驚いた」
ミストは、頭を垂れたまま、小さく歯ぎしりした。
「面をあげよ、ミスト」
ミストは顔を上げない。
「面を上げよと言っておる。貴様の行いを、我が許そうではないか」
その言葉に、ミストは一瞬だけ顔上げる。
その隙を、『王』は逃さなかった。
「……えっ?」
ハルトは小さく声を上げた。
シュバッという音と共に、さっきまでそこにあったミストの首が胴体から切り離されて転がっていたからである。
「貴様の死をもってな」
カイトは冷たくそう言い放った。
「無事かしら? ハルト君、ヒマリさん」
「あ、ああ無事だよ、ミニラスト」
「あれ? どうして私の名前を知っているのかしら? ねえマモン、エンヴィー。以前私、どっかで二人に会ったことある?」
「いえ。そのお姿になってからは、一度も出会ってないと存じます」
「はっ。どっかの誰かに記憶でも操作されてるんじゃねーのか?」
そうか。
ミニラストも、マモンも、エンヴィーも、ちゃんと生きてたんだ。
その事実に、ハルトは涙がポロポロとこぼれてきた。
「え? ハルト君!? どうして泣いてるんですか? それに、カイトに連れられてやってきたこの3人のこと、何か知ってるんですか⁉」
ヒマリ先輩は、突然のできごとにあわあわと慌てだした。
「……うん、まあ、ちょっとね」
そして、カイトもやってくる。
「ほう、いい涙を流すではないか、秋津ハルト」
「……カイト」
「泣く……ということは、弱さの印に思う雑魚も多いと思うが、俺様はそうは思わない。むしろ、大事な場所でしっかりと泣ける者は、強さの才がある者だ」
「何言ってんだか、親玉は」
エンヴィーはカイトの言葉に毒づく。
「……カイト、お前、随分と変わったな」
ハルトが、涙を拭いながら、静かに呟いた。
「変わった、か。……そうかもしれんな」
カイトは、夜空を見上げた。
その横顔には、かつての焦燥や渇望とはまるで違う、静かな重みが宿っている。
「今の俺様は、魔界の統治者だ」
「――統治者?」
「そうだ。ファーベルの一件で、魔界全体で発生していた混乱を逆手にとって、俺様が事前に作っておいた軍を魔界中に侵攻させ、ものの数日で統一させてもらっただけだ」
「……すご」
ハルトもヒマリも、そのスケールの大きさについて行けず、唖然としていた。
「エンヴィー、マモン、ミニラストは……」
「俺様の下で働いてもらっている。忠実な、いい配下共だ」
「んだと!? 別に俺達は好きでお前なんかに従ってるわけじゃねぇからな!」
「まあまあ、エンヴィーさん。落ち着いてください。せっかくハルト君たちと感動の再会ができたのですから、今はそれを喜びましょう」
「マモンのいう通りよ、エンヴィー。今くらいはおとなしくしてなさい」
「……マモン、ミニラスト!」
だが、三人の表情に、不満げな色は薄かった。
「――さて」
カイトは、改めて、ハルトへと向き直った。
その瞳の奥に、真剣な光が宿る。
「せっかくだ。お前が、ずっと気になっていたことを、教えてやろう」
「気になってたこと……?」
「ファーベルが、なぜあれほどまでに、浅野家の力に執着していたのか。……その理由だ」
ハルトの背筋に、緊張が走った。
「聞かせてほしい」
「ああ」
カイトは、夜空を見上げながら、静かに語り始めた。
「魔法が世間に知られていない理由は、スカイから聞いたな。『点と点が線にならない確率』の上に、隠蔽は成り立っている、と」
「うん」
「浅野家の力は、その構造の、真逆だそうだ」
カイトは、指を一本、静かに立てた。
「隠蔽システムってのはな、『現象同士が偶然にも相関しない』という、確率的な分散の上に成り立っている。だが浅野家の力は、『望む結果が起きる確率』を、意図的に操作する力そのものだ」
「つまり……」
「浅野家の力だけが、隠蔽の前提条件を、直接崩すことができる。この世で唯一な」
夜風が、四人と一匹の悪魔たちの間を、静かに吹き抜けていく。
「わかりやすく言えばな」
カイトは、指を三本、宙に立てた。
「北海道で悪魔化事件が起きる。沖縄で見たこともない生き物が目撃される。東京で異界の門が開く。――本来はバラバラの、無関係な事件だ。だが、これが『同じ日、同じ時刻に、誰の目にも明らかな関連パターンで』起きる確率を、無理やり引き上げてやったら、どうなる」
「……報道も、SNSも、勝手にそれを一つの線として結びつけてしまう」
ヒマリが、掠れた声で答えた。
「そういうことだ。個別の隠蔽工作を、どれだけ固めても意味がない。『偶然の一致』という土台そのものを、演出されちまうのだからな」
カイトは、淡々と続ける。
「もう一つ、わかりやすい例を挙げてやろうか。アサが得意な、優しい魔法――CMと唐揚げの匂いを重ねて、親子の仲を取り持つような、あれの真逆」
「真逆……」
ハルトの背筋に、嫌な予感が走った。
「体調不良者の発生。非常停止ボタンの誤作動。消火器の故障。駅員の対応の遅れ。一件一件は、よくある小さな不運だ。だが、それを、全国で、同じ瞬間に、絶妙なタイミングで集中させ続けたら――」
「……社会が、見えない悪意に怯え始める」
「正解」
カイトは、静かに頷いた。
「浅野家はもともと、秋津家の魔法に感銘を受けて、確率操作を『人を幸せにする』方向に使うようになった一族であろう。……ならば、その善性のフィルターさえ剥がしてしまえば」
「誰かを幸せにする道具が、世界を最も高確率で破滅に導く道具に、反転する……」
ハルトは、思わず、その先を口にしていた。
「そういうことだ」
カイトは、静かに目を細めた。
「ファーベルが欲したのは、浅野家の血そのものではない。……浅野家の力が持つ、その反転の可能性だったのだ」
その言葉の重さに、ハルトもヒマリも、しばらく言葉を失っていた。
「……教えてくれて、ありがとう」
ハルトが、静かに、頭を下げた。
「別に。俺様にとっても、他人事ではなかっただけだ」
カイトは、そう言うと、ふいに、かつての面影を覗かせる笑みを浮かべた。
「――さて。俺様たちは、そろそろ帰るとしよう。魔界の統治者様は、意外と忙しいんでな」
「あら、私はまだ帰りたくないんだけど」
ミニラストが、不満げに口を尖らせる。
「贅沢言うんじゃねぇ」
エンヴィーが、静かに、けれど有無を言わせぬ声で告げた。
その横でマモンがニコニコ笑ってる。
「マモン! エンヴィー! ミニラスト!」
ハルトの声に三人が振り返った。
「『年中オーバーツーリズムの江ノ電の沿線を、真夏に全線徒歩で観光したら意外と快適説!?』の動画! 投稿待ってるから!」
三人はその言葉に驚愕の表情を見せ、そして笑った。
「さらばだ、ハルト。また会おう」
カイトは、片手を軽く上げると、三人の配下とともに、闇の中へと姿を消していった。
後には、ハルトとヒマリ、そして、静かな夜だけが残された。
「……終わったのですよね、これで」
ヒマリが、ぽつりと呟く。
「うん。少なくとも、一つは」
ハルトは、静かに空を見上げた。
雲間から差す月明かりが、二人の背中を、優しく照らしていた。




